炭火
2006.3

 ディズニーがこの春に贈る映画は、『ナルニア国物語』第一部「ライオンと魔女」。半世紀以上昔に書かれたイギリスのファンタジーが、今映像で迫ります。

 疎開先で4人の兄弟姉妹が不思議な衣装ダンスに出会います。まず末の妹ルーシーがその奥に見たものは、雪と氷に閉ざされた別世界でした。4人はそのナルニア国の世界で、白い魔女と戦います。このナルニア国を創造し支えるのはアスランというライオンですが……。

 作者C.S.ルイスは、ファンタジーとしてはこのシリーズ作品しか遺しておらず、他はキリスト教を伝えるために優れた本を書き続けました。すると、彼の宗教著作の中に、ナルニア国の謎解きができそうなくらいです。

 なぜ神は力ずくで悪魔をやっつけてくれないのか。クリスチャンは誤りを犯さない人間ではなく、つまずくたびに悔い改め、立ち上がってやり直すことのできる人のことであり、キリストが内から十字架の死を以てそれをなさしめてくださるのだ。

 一旦は魔女により殺されたアスランが蘇ったとき、アスランは言います。「なんの裏切りも犯さない者が進んでいけにえになって、裏切り者のかわりに殺された時、おきての石板はくだけ、死はふりだしにもどってしまう」と。原文では"a willing victim"つまり「自らの意志で犠牲となった者」という簡潔なもの。

 映画を観た人が福音に触れ、目が開かれ、心で受け容れることを祈ってやみません。


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炭火
2006.2

 101年前の2月2日木曜日の午後、24歳の若者が、八幡駅に到着しました。三年前のYMCA関係の大会で、外国伝道への召命を受けたばかりでした。

 クリスチャンがいないような地に、福音を伝えたい。それでも協力者がいれば。その祈りは、翌3日にクリスチャン教師との出会いで叶えられました。英語教諭としての仕事から、聖書に惹かれる生徒も続出しました。

 しかし仏教の地盤の強い地域で激しい中傷や排斥運動が続き、ついに教職を解雇されます。それでも滋賀を離れず、持っていた建築の技術によって、人々に奉仕します。彼は、神学を専門に学んだ宣教師ではありませんでした。

 不思議な助けが各方面から及びます。アメリカのクリスチャン事業家ハイド氏からメンソレータムの販売権を得、これが日本で爆発的な売れ行きを示します。建築でも、日本各地のYMCAやミッション校の建築で評判を上げていきます。関東大震災の際彼の設計した建物は倒壊しなかったといいます。この近江兄弟社グループは、結核療養所を建て、学校も運営し始めました。

 彼はすべての財産を事業のために使いました。やがてアメリカとの間に戦争が始まったとき、アメリカに帰ることもできたはずでしたが、日本に帰化し日本のために尽くします。敗戦時、天皇の立場を守るために貢献したことも伝えられています。

 ウィリアム・メレル・ヴォーリズ。日本名、一柳米来留。讃美歌236番が今も彼の平和への祈りを伝えます。


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炭火
2006.1

 中学入試は今や福岡でも1月前半が大半となり、クリスマスの頃は追い込みの時期となりました。かくして、冬期講習の始まりとして、クリスマス当日はもちろんのこと、イヴ礼拝にも出られない私でした。

 キャロリングにもなかなか参加することができない有様でしたが、この度のクリスマスでは、冒険をしました。仕事から早く抜けて帰宅すると、二歳の子を引き連れて、いざ教会へ。

 今回、ホールの一部を借りて歌うことができました。しかも、当初数人しかいないとの見込みだったのに、私が駆けつけると教会には大勢の兄弟姉妹が。大きな聖歌隊となりました。

 その音楽的技術はともかくとして、歌う側は、たしかに大きな恵みの中にありました。上からの力です。とくに私は、歌いながら、涙していました。歌える喜び、感謝。希望があるという信頼。パウロやペテロが牢の中で賛美していたというのと、どこか通じるものだと思います。

 はたして、自分の中に不安や苦しみがないかというと、そんなことはありません。でも、希望をもつ「ゆとり」だけはあります。クリスマスは、希望の時なのです。

 この福音は、金銀によらずして与えられます。ただ人々が幸せでありますように、との祈りだけでなく、人々がこの福音を心に受けとれるように、という祈りこそ、望ましく思えてなりませんでした。


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炭火
2005.12

 悲しいことですが、子どもの命が理不尽に奪われた報道がありました。多くの事件に感覚が慣れてしまうことを恐れなければならない、と言ったキャスターもいます。火事で、虐待で、事故で、子どもたちの未来が消されます。シートベルトの着用率で、福岡県は、最下位に近いというデータも発表されました。

 戦争や内乱のために飢餓に陥っている子どもたちもいます。戦争は天災と異なり人間が起こすことだから、防ぐことはできるのだと、ある小学生は作文で訴えました。

 一年の中で一番楽しみにしている行事は何ですか。バンダイの調査によると、小学生以下どの年代も、一位は半数以上の支持を得て「クリスマス」でした。その楽しみが、サンタクロースであれ、親などからのプレゼントであれ、そこに大きな夢と期待がこめられていることは間違いありません。

 教会ではこの12月18日に、こどもクリスマスを開催します。子どもたちは言葉で表す以上に期待しているのだということを、私たちも強く受け止めましょう。

 『みんなまってたクリスマス』(女子パウロ会)は、クリスマス物語を聖書に忠実に、しかし子どもに分かりやすい言葉でまとめた優れた絵本です。その締めくくりはこうです。「この あかちゃんは かみさまが せかいじゅうの ひとたちに くださった おおきな おくりものです。」


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炭火
2005.11

 ある町にマルティン・アヴジェイチという靴屋が住んでいました。仕事が丁寧で誠実なその靴屋は、家族を失い、孤独となり、生きていくのがいやになります。ですが友だちに、神さまからさずかった命は神さまのために用いるよう諭されます。マルティンは聖書を熱心に読むようになりました。

 マルティンは、聖書の言葉を自分の問題として受け止めるようになりました。そのとき声がします。「明日は往来を見ていなさい。わしが行くから」。

 翌日外を見ていると、旧老兵士が歩道の雪掃除をしています。マルティンは彼を暖かい部屋へ呼び、お茶を振る舞いました。次に貧しい赤ん坊づれの母親を見かけて、二人を助けます。最後に、リンゴを盗んだ男の子をかばい、代金を払ってやりました。

 ついにキリストは現れなかった、とマルティンが思ったとき、また声がしました。「あれはわしだったのだよ」と(『愛のあるところには神がある』トルストイ)。

 10月24日の集いで、T牧師が世界の貧困や飢餓を知ること、そのために小さな何かを自分が始めることができること、を教えてくださいました。一円や五円を貯めること、ホームページに貧困を知らせるリンクを張ること、そんなことから、私たちには「できる」わけです。

 わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。(マタイ25:40)


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炭火
2005.10

 すべり飛んでしまったことでしばらく怖がっていたすべり台も、最近はお手のもの。2歳4ヶ月の三男は元気です。新しい靴だと、すべり台を下から逆に登りやすいようで、とうとう登りきってしまいました。もちろん、ほかの子がすべり台の上にいるときにはしませんが、長閑な公園で遊ぶせいか、好き放題やっています。

 よい子は、すべり台を逆に登ってはいけません。でも、子どもはえてして、登ります。自分の能力を試すかのように。これが、自由です。

 決められたとおりの遊び方しかしないのであれば、ロボットでもできるでしょう。最近は相手に自在に反応するロボットもありますが、それとてプログラムの中での反応です。それに対して人間は、プログラムされたロボットではありません。

 だからこそ、人間は過ちも犯します。それでも、神さまは人間を、ロボットとしてつくられたのではなさそうです。クリスチャンはこうでなければならない、といったプログラムも、おそらくないのでしょう。

 飾らぬままで、あなたのままで、ただ神の前に出て、神とつながっていることが、まず求められます。そうすれば、あなたには、不思議な力が満ちてきます。この自由を楽しむ人こそが、それをまた人のために使うこともできるのではないかと感じます。

 この三男、ほかの子がすべり台にくると、逆登りをしないどころか、階段を登る順番すら譲っていました。


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炭火
2005.9

 将棋の森安正幸六段は、1962年15歳の時に弟と共にプロ入りしました。順調に昇段した兄は、20歳を過ぎて慢心を覚えた結果悩み落ち込むこともありましたが、復帰し、「将棋界で初めての兄弟棋士の誕生」となりました。その後弟が常に先を歩むようになります。

 30歳を超えて見合いをして結婚した女性は、クリスチャンでした。牧師にもよい導きを与えられ、結婚と共に正幸さんは聖書を読み、信仰をもつようになりました。はっきりと洗礼を受けたのは、40歳のときでした。

 六段になったとき、扇子に、マタイ伝の「神の国とその義をまず第一に求めなさい」から、「順義」という言葉を記しました。対局前には「主の祈り」をしてから臨みました。ついには、ご両親も信仰をもち、天に凱旋されたというのです。

 しかし1993年11月、弟の森安秀光九段が西宮の自宅で突然亡くなりました。中1の息子に刺殺されたという報道がなされましたが、真相はその後明らかにされていません。家では厳しい父親だったようです。秀光九段は当時将棋界のほぼ最高の地位にあり、だるま流と呼ばれたその四間飛車戦法は今なお語り継がれるものです。

 かつて弟の協力で森安将棋センターを開いていましたが、2004年に引退の後は、神戸聖約キリスト教会で将棋道場を開いています。礼拝後将棋の指導をなさることもあるとか。


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炭火
2005.8

 視力障害の方がどのように調理をするのか、家庭に訪ねて紹介するコーナーが、福岡の深夜の番組で好評です。その包丁さばきや揚げ物の勘などは、見事と言わざるをえません。

 「見る」という経験のない方が、どのような世界観・世界像をお持ちなのかは、私には今は想像がつきません。逆に、元々から視力のない方は、「見る」ということがどのようなことなのか、分かりにくいかもしれません。

 沖縄出身の新垣勉さんは、いわば医療ミスで、生まれ落ちて間もなく失明に陥りました。アメリカ軍人だった父親は国へ帰り、祖母を母と呼んで暮らすような幼児期でした。やがて事情を知ると、人に対する憎しみの感情に支配されます。

 しかし歌に関心をもち、その西洋人の血が発声の魅力と告げられると、気持ちが固まりました。神と出会うことで、憎しみが許しへと転換し、福岡で牧師のための学びもなさいました。

 その活動は時折マスメディアでも取り上げられるようになりました。名曲『さとうきび畑』の切実な歌い上げは圧巻です。

 先月発売の新曲は、宮本和史さんの全面的な協力のもとにできました。沖縄出身ではないのですが「島唄」で沖縄と平和の心を世界に伝えた人です。戦後60年に対する新垣先生の思いを伝えるのに、私もまたその一端を担いたいと願っています。


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炭火
2005.7

 われをもすくいし くしきめぐみ……有名な「アメイジング・グレイス」。こんな罪に汚れた私をも、神は愛してくださった。

 この曲の作詞はジョン・ニュートン。1725年ロンドンに生まれ、アフリカとアメリカの間を、奴隷とするための黒人たちを運搬することを生業としました。嵐の中神に祈り助かった経験から、奴隷の待遇をよくすることを考え、若くして仕事をやめると聖書を学び、一生神に仕えました。

 今では奴隷制度は否定されますが、当時として、奴隷のことを思いやるというのは、画期的なことだったと思われます。それを罪深い仕事だと認識したニュートンには、やはり神の光が強く当たっていたのでしょう。

 私は罪人だ。この悔いから生まれた歌が、人々の心に響きました。賛美歌としてのみならず、心を打つ歌として、一般にもよく知られています。日本でも、ドラマの主題歌にもなりました。

 僕は罪人です――6月26日、六年生のSくんはそう言って、バプテスマを受けました。「神様は、いつも僕と母をまもってくれました」の言葉に私たちは重みを感じました。どうかSくんの夢への道が、開かれていきますように。

 24日の誕生日を迎えるにあたり、Sくんは、霊においても、すべてが新しくなることを望みました。ジョン・ニュートンの誕生日も、同じ6月24日だと伝えられています。


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炭火
2005.6

 (新聞に連載中の)こども教理問答のコーナーが30回を数え、終わるときがきました。それらはすべて「こども教理問答」(川瀬勝次編著・CS成長センター)の内容を短く紹介させて戴いた形をとりました。ここに、この本の製作に携わった多くの方々に感謝の意を表します。

 この本は、プロテスタント教会が遺した偉大な知恵である「ウェストミンスター信条」の中の「小教理問答書」を要約したものだそうです。イラストを文中に交えた、ユニークな教理解説書となりました。

 教理というと、堅苦しいものだととられがちです。教理は理屈だから聖書さえ読めばいいとか、聖霊さえ受ければいいとか、極端な言い方をする人がいるかもしれません。でも、聖書を偏りなく読む心、聖霊に正しく導かれた心の持ち主は、理性の上でも、納得できる聖書や神の理解をすることがあると私は思います。

 イエスさまのたとえ話がそうでした。理屈に長けた学者たちよりも、虐げられた民衆の中にしばしば主の言葉を理解する心が与えられました。

 黙示録には「聞く耳のある者は聞きなさい」とくり返されます。私たちは今、祈りや賛美の中に神の言葉を聞くことがあります。この楽しい教理問答は、そんな祈りを可能にする一つの方法であるように感じました。

 次の企画は、伝道を見つめたものにしたい、と思案しています。


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炭火
2005.5

 山型になった雲底が公園にあります。とても一歳の子には登れそうにありません。すべり台の階段がいいとこでした。でもその日、彼は初めてよじ登れた遊具がありました。一つできると、今まで見上げるだけだったあの雲底にも、登れるような気がしたのでしょう。タタタと走って行き、雲底の鉄棒梯子に手をかけました。

 やる気があると、一つ上の棒を握り体を高く上げていくことも怖くありません。一段、また一段と登っていきました。1度目は、高いところで体が水平になっていくのが難しく、私に下ろしてもらいました。でも再び挑戦します。先ほどのことを教訓として、今度は要領よく足場を決めました。頂上に到達です。

 しかし、それからのことを考えていません。やっぱり私にすがり、下ろしてもらうしかありませんでした。私に助けてもらえるから、子どもは安心して高いところまで登り詰めます。次々挑むのは、助けてもらえると信じているからです。また、何より、横で見ていてもらえるという安心感があるから、どんどん登れるのかもしれません。

 幼い子は、自分と親とを区別していないともいいます。自他の区別がないので、親が泣くと子もつられて泣いたりします。自分と親とを同じだとみなしているというのです。

 イエスさまが、幼子こそ神の国に入れるのだと仰った意味の一つを、ここから教えられた気がしました。


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炭火
2005.4

 教会学校で、毎週祈り続けていることがあります。久山療育園のためです。また、S牧師が転任するとの報告を受けてからは、大阪のことも含め、春からの教会のことについて、祈っていました。

 4月直前になって、新しい牧師が赴任することが決まりました。まさかこんなにすぐに決まるとは、と驚きの決定でした。子どもたちの祈りの力を感じましたが、当の子どもたちは、さも当然という顔をしています。そう、それでいいですね。

 20日の礼拝中のことでした。十字架のイエスさまの子どもメッセージを聞いていたとき、教会が揺れました。カタカタと小さな揺れが起こったときに、これが地震だと直ちに動いたのは、十年前の阪神での揺れを知っている私たち夫婦が最初ではなかったでしょうか。

 大きな揺れがきた後も、甚大なものではないと理解しましたが、会堂後ろのスチール本棚はcm単位でずれていました。自宅に戻ると、CDとビデオが棚から落ちるなどしていました。

 十年前の体験は、地震の少ない福岡に来たときにも私たちの意識を変えていました。家具は天井との間に突っ張り棒を張り、食器棚は観音開きをやめました。そのため、家の中は傷むことなく済みました。ともし火のため壺に油を備えていた5人のおとめたちのたとえを、再びかみしめました。

 玄界島のように直撃を受け、人や建物の被害の大きかった方々のうえに、一日も早い日常生活の再開がありますよう、子どもたちとともに祈ります。


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