1歳9ヶ月の下の子が、何か拾って私に持ってきます。「あいやとー」と言って私の手に握らせようとします。たぶん、そうやって物を渡したら、私たちが「ありがとう」と答えるので、その言葉を口にするのでしょう。
目的となる事柄を先に言ってしまう、ちょっと変な語法を、私たちは日常使っています。「穴を掘る」というのは、地面を掘って穴にすることです。「穴」を掘るのではありません。「お湯を沸かす」とは、水を沸かしてお湯にすることです。
これを手渡すと言ってもらえる言葉を「あいやとー」と先に自分で言ってしまう。何だか、感謝というのはそうありたいなあと感じました。何かしてもらってから初めて御礼を言うのでもないし、これをしてやったのだから御礼を言えよという態度でもありません。目的あるいは結果がもうすでに「ありがとう」と先取りされているわけです。
お祈りにも、感謝の祈りがあります。教会学校でも実行しています。でも、叶えられたから感謝という限定はしないところにまで、進みたい。祈りは聞かれている。そのことにも感謝したい。
治してもらった十人のうち、一人のサマリア人だけがイエスさまに感謝するために戻ってきました(ルカ17章)。このくらいをクリアするのも難題となっているのが、私たちの現実というものなのでしょうか。
無人島に一冊だけ本を持っていくとすれば、何を持って行きますか――聖書。そんな問答が、西欧では当然のことのように挙げられます。はたして、熱心さゆえなのか、それとも普段読んでいないからそう答えるのか、そのあたりは知りません。
無人島はいつやってくるか分からないとする考え方があります。どこかで待ちぼうけを食うかもしれないし、何もすることがない時間がぽかんとできるかもしれません。そんなとき、手近に聖書があれば、当面退屈することはないでしょう。
職場や学校、あるいはお出かけの際に、聖書を持って行くことが、あるでしょうか。携帯電話を忘れないくらいなら、小さな聖書を忍ばせておくくらい、難しいことではありません。
教会学校の小学生の中には、聖書の物語をけっこうよく読んでいる子がいます。ファンタジーなど楽しい本も読みますが、それと並べても、聖書のストーリーにはなかなかの魅力があるということかもしれません。
別の子は、学校に聖書を持って行くことがあるそうです。家で読んでいると面白くなってきて、学校でも読もうと思ったそうです。休み時間に開いていると、友だちが「それ何?」と集まってきます。聖書だと言うと、へぇということに。
さりげないこんなひとコマのことを大袈裟に言うと、却って変かもしれません。それほどに、その子にとっては自然なことなのです。きっとそれでいいと思います。
クリスマスの時期は1月初めまで続くのが伝統ですが、日本では25日を過ぎると一斉にツリーが取り払われてしまいます。寂しい思いがします。
日本のクリスマス風景は、アメリカ合衆国の影響が強いそうです。そのアメリカでこの冬、熱い論争が起こりました。「政教分離」の原則が見直され、「クリスマス」の言葉も飾りも、公の場では御法度になる、というのです。
「サンタクロース」「ジングルベル」はよいが「イエス・キリスト」「きよしこの夜」はダメだ、と。宗教の自由は、キリスト教を信じない人々にも当然あります。そこで、公的機関がキリスト教を取り扱ってはいけない、と認識されるようになりました。
当然反対の声もありますが、たしかに一理ある考えです。クリスマスが風物でなく信仰の事柄であるからこそ、こんな議論が沸き起こるのでしょう。逆に日本でも、反対運動が起こるくらいに、クリスマスが宗教なのだと意識されたほうがよいのでしょうか。
「クリスマス」は、カタカナ外来語の季語第一号だそうです。正岡子規の句「八人の 子供むつまじ クリスマス」(1896年)。
ところで、「X'mas」という日本だけの誤りがまだまだはびこるこの世の中。キリスト教会として「Xmas」が正しい、とアピールするのは如何でしょうか。クリスマスの意味を伝えることになるかもしれません。今年のクリスマスのために、今から動いても早すぎることはないのでは。
イギリスのホテルチェーン「トラペロッジ」は、クリスマスに、メアリーとジョセフという名前の二人が泊まれば、宿泊料を無料にする、と発表しました。メアリーという英語はマリアのことで、ジョセフとはヨセフのことです。つまり、イエスさまの両親の名前をもつ人たちです。
ルカによる福音書によると、マリアとヨセフが宿を探したとき、もう満員だからと宿泊を断られた末、ようやく家畜小屋をあてがわれました。「宿泊業として、2004年前のクリスマス・イブの埋め合わせをしたい」のだそうです。ホテルの経営者が、聖書を読むたびに、胸を痛めていたのでしょうか。
私は子どもたちに勉強を教えていますが、聖書の律法学者などが人々に間違ったことを教えているとイエスさまに非難されるのを見ると、自分もそんなことをしてはいないかと胸に手を当ててしまいます。自分はもしかすると間違ってはいないだろうか、という可能性を念頭に置くことも時に必要です。
クリスマスの祝い方も、いつも同じような感じがしないでもありません。それも悪くありませんが、このホテルのように、クリスマスをどう迎えることができるか、問い直すこともできるでしょう。それが原点への問いかけになるかもしれません。
イギリスではクリスマスの翌日、困っている人たちに募金などをする習慣があります。あのホテルも、その気持ちを表したのかもしれません。神さまは私たちを愛し、そしてまた、私たちの出会うその人をも、愛してくださっているのです。
西武ライオンズのカブレラ選手がホームランを打った後、いつも胸で十字を切ります。ホークスから見て敵ながら、彼に打たれたのなら仕方がないな、と思ってしまいます。
北海道日本ハムファイターズのヒルマン監督は、13歳のときに洗礼を受けました。試合中もつい口から悪い言葉が出てきそうになるのを、神さまから何度も止めるよう教えられたそうです。選手一人一人を愛することを心がけており、また、聖書をプレゼントしているのだそうです。
オリックスから阪神タイガースに移って優勝の立役者となったアリアス選手は、メジャーリーグのとき、チーム専属の牧師の話を聞いて、キリストをはっきり信じました。恐ろしい頭への死球のときも、怒りに包まれずにすみました。サインするときには「主のために野球をしています」という意味の言葉を書き添えています。阪神を退団することになったのは残念です。
10月31日のタイトルマッチでは惜しくも敗れてしまいましたが、「乱暴者」の異名をとる総合格闘技のジャクソン選手。ひどい言葉を吐き、手のつけられない暴れ者でしたが、この8月、うなされる悪夢をきっかけに、神さまを信じるようになりました。神のために自分のできる力を使うのだという気持ちで、新たな試合に臨んでいます。取材記者も、どこか優しさを感じさせるようになったと記しました。
「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」(イザヤ40:31)
9月19日の西日本新聞に、映画「月光の夏」を記念したモニュメント「平和の鐘」が完成したという記事がありました。太平洋戦争末期、特攻隊員が出撃直前に鳥栖小学校にピアノを弾きにきたという実話を元にした映画は、1993年に公開され、人々に知られるようになりました。
小学校の元教諭の吉岡先生が、小学校の古いピアノが処分されると聞いて、そのピアノにまつわるエピソードを話したところから、世間でも話題になりました。すると世間は、その特攻隊員は誰かと探し始め、作り話ではないかと勘ぐるようになります。
風間という人が生きていてそれらしいとなりましたが、昔のことを思い出したくないからと硬く口を閉ざします。吉岡先生は、騒がせたお詫びの手紙を送りますが、それが風間の心を動かして、ついに実話であることがはっきりします。
私は、特攻というものを美化することには反対です。ただ吉岡先生のモデルの上野先生という方がクリスチャンであったということを知り、関心をもちました。映画ではそのことがはっきり描かれていませんでしたが、原作では、悩む中教会で祈るときに、第一コリント13章が与えられ、風間に手紙を綴っています。
戦時中、アメリカとの親善の証しだった青い目の人形を焼かれ、涙した思い出が、このピアノのことを嘘だと言われたくないという思いになっていきました。平和は「守る」ものではなく「創る」ものだと、上野先生から私たちは学ぶような思いがします。
昔アテネで、ゼウスの神を称えるオリンピア競技がありました。そのオリンピア祭の期間は、ギリシアではポリス間の戦争がすべて「聖なる休止」となりました。ペルシア軍の侵攻によって滅亡の危機が迫っているときにも、金品によらず栄誉のみを求めて技を競っていたのでした。
聖書でいえば、ウジヤ王の時代、預言者ヨナやアモスがいた頃に、第一回オリンピア競技が始まりました。4年に一度、293回に渡って続き、その歴史が終わったのは、キリスト教がローマ帝国の国教となった時でした。ゼウスの神を祝う祭が禁じられたからでした。
新約聖書でも、オリンピア競技のことが書かれています。「あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい」(コリント一9:24)
このアテネ五輪。日本人メダリストを称えるのは悪くないのですが、いつしかメダルしか目に入っていませんでしたか。ついこの間まで、誰もがこんな歌に感動していたのに。「頑張って咲いた花はどれもきれいだから」「No.1にならなくてもいい、もともと特別なOnly one」
最終日に、独走中のブラジルのマラソン選手を襲ったとんでもない男がいました。自分を司祭だと称し、キリストの再臨に備えて走るのをやめさせた、と語ったとか。心の弱さのある人と見られていますが、私たちは、そのくらい変に見られても構わないほどに、キリストの名を口にしているでしょうか。
1945年8月9日午前11時2分。長崎に、プルトニウム型原子爆弾「ファットマン」が落とされました。永井隆博士のことを、知らない人が増えていないでしょうか。
永井博士は、放射線科の医師として放射線を多量に浴びていたことから、すでに白血病に冒され、あと三年の命と宣告されていました。たとえ戦争は終わっても、負傷者がここにいる以上、救援は必要だと、永井博士は、働き続けました。
寝たきりとなった後には、執筆活動で、救援の力となり、結局六年後に天に召されます。
永井博士自身、カトリック信徒です。どうして教会の多い長崎に原爆が落とされたのかと神に問いました。一つの答えが与えられました。「キリストが小羊としていけにえにならなければ、人間の罪は購うことができなかった。清い長崎に原爆が落ちなければ、この戦争は終わらせることができなかったのだ」
検閲の厳しい時代に、永井博士の著作だけは次々と出版されました。米軍がすべて許可したからです。米軍は、原爆投下を責めない博士の著作を好意的に受け止めたのでした。
こちらは広島ですが、折り鶴の少女の物語で描かれた佐々木禎子さんのことです。「サダコ」として世界中に知られている人です。アメリカのシアトルにあるサダコの像は、去年一部が壊されてしまいましたが、善意の寄付が集まり修復され、この8月6日に披露されるそうです。福岡県那珂川町在住のサダコのお兄さんは、少しほっとしています。
石丸進一というプロ野球選手がいました。名古屋軍(現中日)のエースで、シーズン84試合という中20勝やノーヒットノーラン、防御率1.15を記録。佐賀商業出身であるため、彼の乗った零戦の模型を復元して、佐賀空港に展示したいという動きが高まっています。来年の5月11日、亡くなって60年目のその日に甦らせたいと。
太平洋戦争で、プロ野球選手は69人が戦死しました。本格派投手に贈られる沢村賞の沢村栄治投手は輸送艦が撃沈されて戦死しました。プロ野球選手の中で、特攻隊員として死んだのは、この石丸投手ともう一人だけでした。
小泉首相が無念だろうと涙して見せる特攻隊ですが、実は特攻隊というのはエリート中のエリートでした。今の東大に合格するくらい難しいことだったのです。戦死とは、美しくもないし、かといって犬死にでもありません。国を守るという美しい言葉で、多くの国民を死に導くのが戦争なのです。
出撃命令を受けた石丸は、友人と最後のキャッチボールをした後、ボールとグラブと鉢巻きを友の手に委ねて、飛び立って行きました。満22歳、新垣や和田、松坂よりも若かったのです。
球団合併やリーグ構想を、お金の計算ばかりで模索しているようなプロ野球の姿を、石丸投手がもし見たら、何と思うことでしょうか。生きていれば7月24日でまだ82歳でした。
「うるさい」は漢字でどう書くでしょう。「五月蠅い」「煩い」が浮かんできた人は立派。でも元々この言葉には違う意味があったとか。
時は平安、894年に遣唐使中止を提言して日本の歴史を大きく変えた菅原道真は、5年後に右大臣に上りました。しかし天皇に関する謀があると藤原氏が讒言したことにより、大宰府へ流されました。「東風ふかば匂いおこせよ梅の花あるじなしとて春なわすれそ」と詠まれた飛梅は、今も太宰府に香ります
体よく左大臣に任ぜられた藤原時平は、道真発案の改革を実行して次々と成功させます。一方道真は、寂寥の中で2年後に没します。間もなく時平が39歳の若さで急死し、以後関係者の死が相次ぎます。特に930年、雨乞いの最中に起こった清涼殿への落雷は、衝撃的でした。道真の怨霊だと慌てた宮中は道真の復権を図り、天神として祀りました
右大臣が流され、左大臣が死んだ。これを人々は「右流左死」と書いて「うるさし」と読み、背景に策や謀がある嫌なことを、そう呼びました。今でも「歴史にはちょっとうるさいよ」と言うとき、その感じが残っています
イエスさまは私(たち)の罪のために十字架で惨い殺され方をしました。その死の背後には計り知れない神の深い愛と恵みが隠されていました。「聖書にはちょっとうるさいよ」といきたいものですね。
塾の小五でつるかめ算を教えました。つるかめ算は、抽象的な思考ができる子は式だけで解くこともできます。また、面積図という図をかいて解く方法もあります。ですが私はこのクラスで、表をかいて見つける方法を教えました。カメの数をまずゼロにしておいて、それから1,2…と変化させて目指す数字になったら答えです。
一見カッコ悪い解き方なのですが、子どもたちはよく理解できます。だからそのうち式で解けるように変わっていくのです。むしろいきなり式を覚え込むように強制されたら、意味が分からず応用が利かなくなることでしょう。
神さまも、私たちによく問題を出されます。難問に頭を抱える人もいます。計算通り解決できず、どうにかしてそこから逃げずに乗り越えていく方法を考えなければなりません。でも神さまに従う人には、神さまは最高の○をくださるはずです。
教会学校では、先月から聖書の最初、創世記を読み始めました。神さまが、人間のことを、そしてあなたのことをどう思って創られたのでしょうか。基本からよく考えて読んでいくといいですね。
おとなの方もご注意を。公式の暗記でなんとか済ませている人、いませんか。しかも計算間違いに気づかなかったりして……。
大バッハの有名な「マタイ受難曲」が京都のコンサートホールで演奏されます。時は4月9日、まさに2004年の受難日です。
キリストの受難、つまり十字架を描いた名曲のハイライトの部分を、4人のソリストが歌うと共に、教会の牧師が舞台に立って解説を加えます。語りの言葉はドイツ語から日本語に換え、その意味を解説する説教を交えるというのです。
たしかに日本にもクラシックファンは少なくありません。しかし、曲のムードだけを楽しむのと違い、これは日本語ですから、意味がストレートに心を突き刺します。この牧師が五年前に一度試みたときも、演奏後に心打たれた人が歩み寄り、また、ソリストの中からも、初めて曲の真実が分かったという言葉が漏れ、聖書を信じたい願いが起こされたといいます。
バッハは、ルターの訳、つまり当時誰が耳にしても分かる言葉を用いて曲を作りました。同じ精神で、クラシックを日本語で奏でることには、何の問題もないはずです。今年もまたよい知らせが人々の心に届きますように。
メル・ギブソン制作の映画「パッション」も今世界中で騒がれています。キリストの十字架をかなりリアルに描いた映画です。残酷なシーンもあるようですが、この映画を見たアメリカの若者が、自分が犯した殺人を悔やみ、自首してきたというニュースがありました。神は生きておられます。