炭火
2003.3

火曜夜10:00から『僕の生きる道』というドラマが放映されていて、多くの視聴者の魂がこれに揺さぶられています。

 若い高校教師である中村先生(草なぎ剛)は、余命一年を宣告されます。田舎で一人暮らす母親にも言えず、苦しみの日々を過ごしますが、後悔しないよう、好きだったみどり先生(矢田亜希子)に気持ちを打ち明けました。真摯な生き方をする中村先生をみどり先生も好きになり、二人で残された日々を生きようと努めます。

 重いテーマです。演技も地味で、カメラワークも静かで、まったく派手さのないドラマです。この冬の新しいドラマの中でもあまり話題に上りませんでした。ですが、これを見た人は、ぐんぐん引き込まれていきました。

 インターネット上に番組の掲示板があるのですが、ここに書き込まれた視聴者の声は、真剣そのものです。とにかく号泣した人、生き方を考え直した人、大切なものは何かを知った人、さまざまです。

 中村先生は、幼いとき、教会で歌う子どもたちの声を聞いて、美しい世界に憧れます。何度もそのシーンが現れ、ついにそこで結婚式を挙げます。

 結婚をためらっていたとき、先生に、担当医がルターの言葉を贈っていました。「世界が明日破滅に向かおうとも、今日私はリンゴの木を植える」

 残された日々に限りがあるのは、中村先生だけではありません。今どう生きるか、それが問題です。


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炭火
2003.2

「クリスチャン・ライフ」発行委員会(http://www.clife.info/sda-osaka)が平日に毎日発行している無料メールマガジン「クリスチャン・ライフ」に、以前こんな話が載っていました。

 青い色が好きな少年がいました。洋服から食器、そして部屋までも、全部青にしてもらいました。青い部屋にいると、心が安らぎます。でも部屋を一歩出ると、落ち着かなくなりました。少年はすぐに青い部屋へ戻り、安心するのでした。

 やがて、家の壁も、屋根も青にしました。でも、外を出歩くと、もう青い色ではなくなります。なんとか街を全部青にしたい。少年は一所懸命勉強して、ついに町長になることができました。町長になった彼は、法律を作り、街を全部青い色にすることに決めました。

 街は見事に青一色になり、彼はご機嫌でした。しかし、晴れの日はよいとしても、曇りや雨の日は、空は青でなくなります。曇りの日は青い煙を出すよう工夫しましたが、風が吹くともうだめです。どうすればよいか、彼は悩みました。

 ある日、彼の孫が遊びにきたので、彼は何気なく言いました。「なんとか世界を全部青に変えたいんだがねえ」と。すると孫は、「そんなの簡単だよ」と言いました。「青い色のめがねをかけたらいいんだよ。」

 まわりを、相手を変えようとしても、変わるものではありません。本当に変わらなければならないのは、自分のほうだったのです。


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炭火
2003.1

 先月、豊後高田市で開かれた講演会で、永六輔氏は、日本人の宗教観について、「日本人はクリスマスを祝い、大晦日は除夜の鐘を突き、正月は初詣に行き、お年玉をもらう。クリスマスはキリスト教、除夜の鐘は仏教、初詣では神道、お年玉は儒教の教えに由来する。いろんな宗教を体験するんです」と話しました。

 キリスト教会でもそう語られます。日本人が無節操だとか真の宗教がないとか指摘するために。でも永六輔氏は違う。この日本人の無節操な宗教観こそ、世界の平和のために必要だから広めよう、一神教こそが戦争に明け暮れているので、と言って笑わせたといいます。

 最近、一神教が危険で愚かだと叫ぶ声が、少なからず見られます。愛国心を評価の対象に入れる教育界の動きも、無縁ではないと思われます。私も教会に来る前は、それに近いことを考えていました。

 宗教をイデオロギーとしてしか捉えないなら、それも一面正しいかもしれません。宗教が思想なら、一神教は多分に危険でしょう。正義同士がぶつかり合い、争うゆえに。けれども、一神教を批判する自分自身はどうなのか。神にでもなった気でいないか。そのとき私は、おまえはどうかと問われて、神の前に土下座するしかなかった……。

 新しい年の初め、あなたはどちらを向いていますか。あなたと神との関係はどうですか。


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炭火
2002.12

「うちの子、オシッコが青くないんです。異常じゃないでしょうか?」紙おむつのコマーシャルで、吸収力を示すための青い液体を見ていたため、実物のオシッコを見て若いママが驚いた、という話。にわかには信じがたいけれども、さもありなん、と思わせます。

 小さな子に触れたことのないままに、母親に、あるいは看護師になる女性もいるとか。温泉には水着で入るものと信じていた若い女性も、テレビをそのまま信じたのでしょうか。

 でも、悲観することはありません。子どもは豊かな想像力と感性をもっています。小学六年生が修学旅行で原爆資料館を見たレポートには、戦争と平和への確かな理解が現れていました。資料という、いわばバーチャルなものから、その背後にあった現実を、しっかりと再構成することができるのです。

 それは想像力のなせるわざ。物的証拠がないから大虐殺はなかった、などと言い張る人は、きっとこの想像力が枯渇していて、あるいは枯渇していることにさえ気づかないほど、欠落しているのでしょう。愛国とは、それとは反対であるとも想像できずに。

 目を閉じてみましょう。二千年前、御子が地上に生まれた……それは、伝説でも、物語でもなく、現実の出来事、事実でした。物的証拠はないにしても、それを想像することができ、信じることができます。これが、クリスマスの恵みなのです。


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炭火
2002.11

 去る10月13日、町の保健施設で「健康まつり」が開かれました。保健福祉事業のアピールのための催しです。日曜日でしたが、礼拝の後、二人の子を連れて会場へ急ぎました。お目当ては、歯科検診。

 なにしろ無料で検診をしてもらえ、子どもはフッ素塗布までしてもらえます。これを逃す手はありません。子どもたちは、歯の生え方や虫歯、ちょっと欠けたところなど、気になるところを担当の歯科医に相談しました。で、ついでに親も診てもらいました。何年、いえ何十年ぶりかに、歯を診てもらいます。

 「ごらんなさい。あなたの歯のここに虫歯がありますね。それから、ここには……」ミラーを通じて、自分の醜いところをまざまざと見せつけられて、正直ショックでした。「まだ今なら間に合います。早いうちに歯科にかかりなさい」。

 テレビや本などで、歯についての知識がないわけではありませんでした。でも、人の歯の病気はしょせん人のもの、自分はそれとは違うのだ、という考えが、どこかにあったのでしょう。「ほら、あなたこそまさにその病気になりかかっているのですよ」と示されるのは、貴重な体験でした。

 聖書を読むことは大切です。でも、その言葉が生きてくるのは、その言葉を自分自身のこととして受け止めたときではないでしょうか。「あなたこそ、まさにそうなのです。今ならまだ間に合います。早いうちに……」。


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炭火
2002.10

 女子中学生が無言で背中を突き飛ばされた。男から石を投げられた。駅ではスカートを引っ張られ、様々な罵声を浴びせられた。学校には「爆破してやる」「カッターで襲ってやる」と脅迫電話が入り、やむなくしばらく休校の措置をとった……9月17日に拉致を北朝鮮が認めてから、日本中の朝鮮学校に関して駆け抜けたニュースです。

 朝鮮から、日本は絶大な恩恵を歴史上受けてきました。しかし明治の江華条約以来、日本は朝鮮を見下すようになります。そんな中、1909年に伊藤博文をハルビンで射殺したのは、安重根(アンジュングン)というクリスチャンでした。日本の侵略に抵抗したのです。しかしこれで怒った日本は、朝鮮を植民地化し、ついに朝鮮は以後36年間、世界地図から消えてしまいます。

 福音書でイエスさまは、ユダヤ人群衆の煽りによって、十字架へと追いつめられていきました。ユダヤ人たちは、罪がない人を死刑にはできない、とためらうピラトに対して、「私たちの王はローマ皇帝だ」とまで叫んで、自分たちがイエスさまを訴えた理由そのもの、つまりユダヤの神を冒涜した、という件も自ら否定するかのように、神を蔑ろにしたのです。

 一人で面と向かってはできないことが、多数の中であるいは匿名で隠れたところからならできる。群集心理は、ユダとは違った形で、悪魔の道具となっていきます。


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炭火
2002.9

「26歳の頃、やることなすこと全てうまくいかなくて、生きていても仕方がないと部屋にこもり、死のうとまで考えたことがあった。ある時、教会の牧師さんに話を聞いてもらった。牧師さんはアドバイスをくれないかわりにけん玉をくれた」

 日本けん玉協会公認の『けん玉道六段』の腕をもち、その全国大会で何度も優勝を重ねている、創世記ヤコブさんの証しです。彼は熱中しました。けん玉は彼に目標を与え、関西チャンピオンになりました。しかし日本一になったことも、彼に喜びを与えませんでした。王者の地位を維持するプレッシャーもありました。

 35歳で九州の大道芸大会に出たとき、観衆の喜びが、自分の喜びと重なりました。それから彼は、日本では唯一のけん玉大道芸人として全国を廻るようになりました。小学校を訪ねては、子どもたちに語ります。「私はこのけん玉の為に生きている。みんなにも何か一つ見つけて欲しい。最初はあれもダメ、これもダメとなるけど、 何かあるはず」

 福岡のU伝道所は、毎月第三土曜日に、小中学生を対象に、けん玉伝道を行っています。サマー・キャンプで牧師の六年生のお子さんのけん玉の世界に魅せられた、私たちの教会の二人の小学生も、これに通い始めました。8月17日のたった一日の教室で、ずいぶん上手になりました。集中力がつくという話ですが、勉強のほうはどうでしょうか。


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炭火
2002.8

 昨年7月21日夜8時半ごろ、兵庫県明石市には、花火大会で多くの人が集まっていました。身動きがとれない人混みの中、朝霧歩道橋の上で突然、将棋倒しの波が押し寄せました。

 20歳と18歳の若夫婦は、ベビーカーに乗せた生後二か月の赤ちゃんが人波につぶされるのを止めることができませんでした。そばで同じ圧力に耐えていた71歳の草替律子さんは、「赤ちゃんが死んでしまう」と叫び、ベビーカーを抱えるように倒れ込みました。

 律子さんの遺体には、踏み続けられた無数のむごいアザが残っていました。夫の与一郎さんは、半世紀にわたって連れ添った律子さんを失い、神も仏もあるものか、と呪いの日々を過ごしました。がある日、与一郎さんは目を開きます。「神さまはいたのだ!本当に!」

 あの幼子が、人から人へと救い出され、パトカーで病院へ運ばれていたと分かったのです。両足を紫色に腫らしながらも、四日間の入院で事なきを得ました。

 律子さんは、カトリック教会の信徒でした。「人の世話を焼かずにいられない性格だった」。与一郎さんはそう律子さんを振り返り、律子さんのかわりに祈りの言葉をとなえるようになりました。

 事故後一年を経て、兵庫県は律子さんに人命救助ののじぎく賞(県花の野路菊に因む)を贈りました。助かった赤ちゃんは今、立って歩くようになりました。


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炭火
2002.7

 イングランドの予選第一試合は、6月3日日曜日の夜でした。それは、イギリスでは、ちょうど礼拝の時刻。カンタベリー大司教は数日前、礼拝の時刻を変更しても構わない、と通達しましたが、大司教自身はサッカー好きな王子たちとともに、女王の在位50周年記念礼拝を執行。ある教会は、礼拝時刻に集まり、教会にスクリーンを広げ、皆で試合を観戦。ビールまでふるまったとか。

思い起こすのは、映画『炎のランナー』。1924年のオリンピックパリ大会に出場した、エリック・リデルの物語。100m走のメダル有力と目されたリデルは、競技が日曜日にあると知って、悩んだ末、出場しないことを決めます。「安息日には走らない」と。

祖国からは狂人呼ばわりされ、王室の説得も受けました。それでもリデルは動きませんが、すでにメダルを取った中距離走の選手から、平日の400m走の出場枠を譲られました。

彼は本来短距離選手。400mに通用するのか。しかし神の力を得て、見事に優勝。その後、リデルは中国へ宣教師として渡り、第二次大戦中、日本軍の強制収容所で亡くなりました。43歳。

イングランドのベッカム選手の、日本人の応援に感謝しているとの談話に、胸が痛みました。ちなみに、このワールドカップの選手入場の公式テーマソング「アンセム」の作曲は、『炎のランナー』と同じヴァンゲリスでした。


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炭火
2002.6

 中国では、聖書を持ち込むと「邪教組織による違法行為」という法律で裁かれます。今年初め、香港の貿易商が中国に聖書を持ち込もうとしたときは、アメリカの顔色を見て、別の罪状で懲役2年との判決。

 中国瀋陽での事件は、映像の力もあり、衝撃を世界に与えました。韓国に着いた家族が、「神様に感謝したい」とまず答えた言葉が印象的でしたが、総領事館のお粗末な対応を追及した民主党に対して首相は「自虐的だ」と片づけました。

 日本の戦争責任を問う姿勢を「自虐的」と一蹴するのは、「問答無用」だの「天誅」だの、対話のできない卑屈な精神の現れという見方も。

 しかし、自分のしたことを「悪かった」と認めることが「自虐的」だというのなら、その人は、自分はつねに正しいと考えているのでしょう。まるで、神の立場。自分の「罪」に気づくことなく、自分だけの「正義」を貫くのでしょうか。

 二年前に二丈町で居眠り運転による正面衝突事故を起こした19歳のドライバーに、この5月、福岡地裁が判決を下しました。偶像崇拝を禁じられている信仰のゆえ、被害者の仏前に焼香を上げたり、遺影にぬかずいたりしなかったために、慰謝料に700万円を加算するというのです。

 自分の罪を悟りながらも信仰を貫こうとしたこの若者もまた、首相の目にはただ「自虐的」としか映らないのでしょうか。


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炭火
2002.5

 アメリカのヘンダーソンという学者は、野球をこう解釈しています。守るほうは司祭団、打つほうは悪魔、そして、神が球である。

 神なる球が司祭団の手元におさまるように、大司祭である投手が球を捕手に送る。途中、打者という悪魔がいて、秩序を乱そうと球を打つ。司祭団は、神の秩序を守ろうと、必死で球を追いかける。見事アウトにすると、神なる球を内野に回して派手に喜びを表す。神の秩序は守られたぞ、と。

 なるほど、守る側が主役だとは。私たちも、悪魔のかき乱しに翻弄されず、人生で出会う意外な事の成り行きに、落ち着いて対処したいものです。

 たかが野球、されど野球。福岡ではホークス、兵庫大阪ではタイガースが、経済をも動かします。

 その阪神、4月19日の甲子園での試合に、レインボーハウスの子どもたち17人を招待しました。それは阪神大震災で親を亡くした子どもたちの施設。今年から阪神の打者のヘルメットには、その運営者「あしなが育英会」のステッカーが。

「大リーグのようなボランティア活動は必要。勝った、負けただけでなく、何か社会貢献ができないか」と星野監督が提案して、この企画は実現しました。お父さんにも阪神の活躍を見したる、と形見の野球帽とバットをもってきた少女も。星野監督自身、生まれる前に父親を亡くしたそうです。

 たかが野球、されど野球。


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炭火
2002.4

 ここしばらく、永田町劇場は展開が激しく、政治の話題が途切れませんでした。辻元議員の辞職も劇的でした。つい先般、鈴木議員を追いこんだ歯切れのよい説法が印象に残っていただけに、残念という声も聞かれました。

 もちろん、法に触れることについては、責任をとる必要があります。たとえどんなにすばらしい業績を残していようと、どんな将来が嘱望されていようと、一つの汚点がすべてをだめにするということがあるものです。まるで罪のように。

 辻元議員自身、まわりから期待され、時におだてられ、これくらいよいかなという気持ちが入り込んで罠となったのかもしれません。期待した人たちの失望も大きかったことでしょう。いえ、どうかすると、その人に期待してまつりあげた当の人々が、逆恨み的にその人を糾弾しあるいは破滅させるということもあります。

 彼こそメシアだ、救い主だ、だからさあイスラエルをローマから解放してくれ……なに、そんなことをする気はない? それなら死刑にしてやれ。イエス様はこうして、十字架に上げられました。しかも、一点の曇りもない、罪のないお方が、です。

 それくらい完全な、聖いいけにえが、人間の罪を赦すためには必要でした。最高にむごいその死により示されたこの愛があったからこそ、私の罪も、そしてあなたの罪も、赦されています。すっかりと。


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