炭火
2004.3

 卒業の季節です。この「卒」という漢字はもちろん「おわる」という意味ですが、そのほかに「卒然」「卒倒」など「とつぜんに」という意味ももっています。さらには「しもべ・めしつかい」という意味も。たとえば「従卒」という語のように。

 学研漢和大字典によると、「衣+十」で、はっぴのような上着を着て、十人ごと一隊になって引率される雑兵や小者をあらわすそうです。その小さいものから、小さくまとめて引き締める意、そして締めくくる、つまり、「おわり」の意味へと変化したというのです。

 成長して立派になって卒業する、というイメージとはずいぶん違います。思えばイエスさまも、あまりにみすぼらしい地上生涯でした。宿に入れず家畜小屋で生まれ、地味な大工として過ごし、王として歓迎されたときも、ろばと棕櫚の葉のみ。直後にユダの裏切りに遭い、唾され殴られ、木を背負わされた末、最高に惨い十字架刑に死ぬのです。

 どうして私たちは、こんなイエスさまを信じるのでしょう。キリストを信じる人を、弱虫だとか卑屈だとか悪く言った人もいました。他方、日本人はしばしば、キリスト教徒を、品行方正なお利口さんな人々と考えています。でも、イエスさまは私たちに何を与えてくださったのでしょう。永遠の命ではありませんか。

 卒業も、ただの終わりではありません。その先に、きっと夢が待っているのでしょう。


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炭火
2004.2

 太平洋戦争直前の神戸から物語は始まります。絵と映画の好きな少年Hは、しだいにおかしくなっていく世の中を感じ取ります。父親はよき相談相手です。母親は与える愛をモットーとする模範的なクリスチャンですが、Hは懐疑的です。

 中学に入ると、一斉に同じことを言う大人たちが不思議でならなくなります。本当に日本は神国と思うのか。皆が大和魂で勝てるなどと叫ぶが本当にそう思っているのか。

 空襲で家を焼かれた一家は、教会の一室に住まわせてもらいます。Hは勤労動員の学徒として働きつつ、射撃部に属し兵隊まがいの生活を続ける中、戦争終結を迎えました。そこで見たものは、ずるい大人たちの変貌でした。

 軍国主義や玉砕を昨日まで叫んでいた大人たちが一斉に、ころりと民主主義を語り始めます。口で言うこととは別に、かねてから大人たちは心の中では負けることが分かっていたようです。しかし子どもたちは、厳しく教育されて、心底玉砕すべしと思い込んでいました。

 戦争は、いきなり空襲や原爆では始まらない、と作者はまえがきで語ります。《何か変だなあ?という感じがその前にあります。でも、それはよほど注意していないと気づきません。ずーっと後になって、「そーか、あれが戦争が始まる前触れだったんだ」と知るのです》。

 妹尾河童著『少年H』。ふりがな付きです。


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炭火
2004.1

 百年前のこの時期、日本は、ロシアとの戦争が不可避の状況になっていました。満州からの撤兵が果たせなかったロシアに対して、有力新聞が開戦すべきだと論じ、開戦を断行しない政府を弾劾していました。

 ついに1904年2月、日露戦争へと突入します。大国ロシアも、国内でこの戦争に反対する動きも強かったことなどから、勢いが出ません。日本海海戦で勝利した日本でしたが、経済的には戦争を続けていく力はありませんでした。アメリカに和平仲介をいち早く依頼し、なんとか講和条約へとこぎつけます。

 キリスト者内村鑑三は非戦論、社会主義者は反戦論を説きましたが、増税に耐えたあげく賠償金のない講和に腹を立てた民衆は、講和支持の新聞社やキリスト教会などを襲撃し、戒厳令が発されました。この戦争で、日本は110万の兵力を動員し、20万の死傷者を出したといいます。

 この後、日本はいわゆる帝国主義の時代に入ります。つまり、対外膨張政策により、海外へと勢力を広げるようになりますが、国内の独占資本主義が十分成熟していなかったことから、ついには破綻を迎えることになります。

 新年早々、どうにも暗い話題ですみません。でも人間は、歴史から学ぶ必要があります。だからこそ歴史を学ばなければならないし、歴史を現在に活かすように考えなければならないのです。


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炭火
2003.12

 早いもので、末の子も生後半年を迎えました。神と人とに愛されて、成長しています。すでに寝返りを覚え、今は這い這いがしたくてたまらない様子。這えば立て、立てば歩めの親心。見れば見るほど、親自身の成長のなさに、悲しくなる思いがします。

 さあ、這いたい。四つん這いになって、膝で床を蹴るのですが、いかんせん、前へ進むどころか、後ろへ動いていくばかりです。これでいいんだっけ、それともこうだったかな。後戻りする悔しさを悟った後、どこかで前へ進む感覚をつかむときがくるでしょう。会得すると、少しずつ赤ちゃんは這い這いが上達してゆきます。

 それにしても、もがけばもがくほど、後ろへ行ってしまい、自分の目的の場所から遠ざかるというのは、見ていて悲しいものがあります。

 あ、と私は思い知りました。人間だってそうなのだ、って。何かがしたくて手足を動かす。もがくのだけれども、そうすればするほど、目的とは逆の方向に後退してしまう。しかも一人で解決しようと意地になる。

 神さまも、もしかしたらそんなふうに見つめているのかもしれません。人間も、もしかしたら、自分のしたいことのためにもがいているのかもしれません。そうすればするほど、後退する、つまり自分の目的とは逆方向に退いてしまうのです。

 クリスマスの物語。ただ星に導かれてきた博士たちは、喜びにはちきれそうでした。


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炭火
2003.11

 10月20日、ある関西の新聞社のネット掲示板に、こんな言葉が書き込まれていました。「レギュラーシーズンの試合が面白かった。」プロ野球日本シリーズ第二戦で、ホークスに13-0で負けたときに、阪神ファンが述べた感想です。こんな負け方は見たことがない、とがっかりしているのでした。

 阪神は10点以上取った試合が20もあるのに、取られた試合が6試合しかありません。ホークスは、10点以上取った試合が22、取られた試合も12試合あります。防御率はホークスのほうが悪くなりますが、簡単には負けない強さがそこで養われます。8点差をひっくり返した5月14日の近鉄戦のように、何点でも取れるのだという意気込みがつねにありました。

 悪魔の策略の一つに、人が何をやってもうまくいくように仕向けるのがあるといいます。いつしか神さまがいなくても大丈夫と思うようになり、ドカンと試練がきたとき、もう神さまへは戻らないというのです。でも、ふだんから試練を背負い、その都度神さまから助けられてきた人は、神さまを忘れることがありません。

 神さまを信じているのにつらいことがある、と思えるときがあるかもしれませんが、それは神さまがいつも一緒にいてくださることの証拠だと思えたら、きっと勝利を収めることができるでしょう。ホークスのように、ふだん通りのやり方をしていれば。


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炭火
2003.10

 ヘブライ大学の研究班が、エルサレムの地下に巨大水路を発見した、と『ネイチャー』誌が9月に報じました。ギボンの泉からシロアムの池までに見つかった500mの水路は、ユダの王ヒゼキヤが「貯水池と水道を造って都に水を引いた」(列王記下20:20)という記述と年代的にも一致するそうです。

 ヒゼキヤは、預言者イザヤやホセアと同時代の王。宗教改革を実行し、アッシリア帝国に立ち向かいました。水路もそのために造られました。存亡の危機の中、奇蹟(野ネズミのせいだという説あり)によりアッシリア軍が壊滅したといいます。

 そのヒゼキヤについては、重い病気になったとき、イザヤの預言により、寿命を15年延ばしてもらった話が有名。イザヤが干しいちじくを用いることにより、ヒゼキヤの病は治癒しました。

 いちじくの名は、一日一個熟すから、または果実が一ヶ月で熟すから「一熟」、その他ペルシア語の音からとったとも言われています。日本には1630年長崎に渡来したといい、便秘・痔・胃弱・二日酔い・喉の炎症・黄疸に効果があります。

 聖書では、アダムとエバが罪を犯したときに、いちじくの葉で腰をおおったということで有名ですし、イエスさまは、実のならない木を枯れさせました。教会の牧師館の前のいちじくの木には青い実が並んでいます。この秋の特伝でも豊かな実りがありますように。


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炭火
2003.9

 夏休みの終わり近くになると、気象協会には、夏休みの天気を尋ねる問い合わせの電話が殺到する。そんなイメージが定着していました。けれども、最近はそうでもないそうで、今年など、27日現在、一本もそんな問い合わせがないのだそうです。

 子どもたちがマメに調べていたせいかもしれません。そうでなくても、新聞に、先取りしてすでに一覧表が掲載されているのを見たり、インターネットで調べたりすると、電話するまでもなく、分かってしまいます。気象協会の人は、忙殺されるのも嫌だが、一本もないのは物足りない、と漏らしていました。

 保育園に行く子どもは、母親から離されて精神が不安定になり、将来問題が生じるのでは、という心配がありました。しかし調査によると、保育園を経験した子のほうが、不登校は少ないのだそうです。生活のリズムが刻まれる点がよいのかもしれない、とのことです。

 ともすれば、先入観や思いこみで判断してしまうことが、私たちにはよくあります。でも、たとえば子どもたちの能力は、そんな予想を覆すことが度々です。おとなが思う以上のことを、子どもは実現してくれます。希望の塊であることができるのです。

 幼子のようにならなければ、という言葉は、先入観で決めつけてしまうおとなたちが、信仰や、教会活動を停滞させていることへの、警告であるのかもしれませんね。


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炭火
2003.8

 長崎では、子どもが子どもを殺めるという、やるせない事件が起こりました。沖縄では中学生が中学生によって命を絶たれ、東京ではおとなの世界に背伸びしようとした小学生の女の子たちが、危うく命を奪われるところでした。

 子どもが悪いとか、その親が悪いとか、偉い人たちは、他人のせいにばかりしています。でも、こっそりお金を受け取ったり、税金をごまかしたりする政治家はが、子どもの悪をとやかく言う資格があるでしょうか。自分が世界の外から世界を眺めているわけではないのです。この世界に責任を負っています。子どもは、おとなの、つまり私の、悪を見て、学んでいるのです。失言を繰り返す大臣もまた、見られているのです。

 おとなは皆、子どもにとり教師です。子どもはおとなのまねをします。おとながしているから、同じようにしよう、と考えます。ちょっとのつもりの路肩や舗道上の駐車も、信号無視も、歩きタバコも、子どもに教えています。悪いこともしていいんだよ、人の迷惑なんて考えたら負けだよ、と。

 夏休み、子どもはふだん以上に、おとなを見ています。おとなは、子どもに見られており、子どもの教育を誰もが背負っているのです。教師だけが、先生なのではありません。先に生まれたおとなは皆、子どもたちの手本なのです。


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炭火
2003.7

 夏至の夜、節電のための消灯キャンペーン「100万人のキャンドルナイト」が日本各地で行われました。観光地や都会のライトが2時間だけ消されたのです。東京電力の原子力発電所の運転停止に伴い、夏の電力不足が懸念されるため、環境NGOと環境省が企画したものでした。

 福岡市早良区室見の西福岡教会では、「ピースローソク」の催しも開かれました。日頃経験しない闇が広がりました。昔懐かしい暗がりを思い起こした人もいましたし、ろうそくの火がやけに明るく見えるなど、新鮮に感じた若者も多くいました。

「くらやみ」は漢字で「暗闇」と書きます。どちらの漢字にも、「音」という字がふくまれています。ある教会の先生は、神の言葉、つまり音が聞こえないことが、人間にとって闇である、と説きました。これもまた、知恵の言葉でしょう。

「音」という漢字は、人が口からものを言う、つまりことばの「言」からできています。その「口」の中にものがはさまって「日」となり、もごもごと口ごもりはっきり聞き取れない様子を表しました。「日」へんに「音」で、閉ざされて光がさしこまない様子、「闇」はその元の形で、やはり門が閉ざされて家に光が入らない様子を表します。

 暗闇は光に勝てないけれど、光は暗闇の中に輝きます。心が暗く闇のようでも、神からの光は射しこんでくることができるのです。


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炭火
2003.6

 高等小学校に入るとき、滝廉太郎は東京から大分に移り住みました。絵と音楽が得意だった彼は、当時女性の習い事と思われがちだった音楽への道を選び、東京音楽学校(現東京芸術大学)へ進学します。大分県にはピアノが一台もないという時代でした。

 忠実に教えに従い、その才能を発揮した滝は、21歳の年に「四季」「荒城の月」「箱根八里」など数々の名曲を作ります。それから男子音楽留学生の第1号としてドイツに留学しました。

 名曲「荒城の月」は、土井(つちい/但し誤読されるので自らどいと称す)晩翠の詩に滝廉太郎が曲を付したものです。仙台あるいは福島の城をイメージした土井に対して、滝は大分の竹田などの城を頭に作ったといいます。

 「春高楼の花の宴」の「え」の音は、元々#が付いていましたが、古来日本の旋律にない新しい音だったため、ついに後の編曲者山田耕筰が#を外してしまいました。そのため曲はポピュラーになったものの、滝の思いはどうだったでしょうか。

 新しいことは、なかなか受け入れられないもの。出る杭は打たれ、長いものに巻かれます。しかも打った者、巻いた側には、そんな意識もないままに。

 最後の曲は美しいピアノ曲『憾(うらみ)』。滝はドイツの寒さに耐えられず風邪をこじらせ、大分に戻って療養しますが、翌年命尽きました。百年前の1903年6月29日、23歳のことでした。


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炭火
2003.5

 1919年4月15日午後、韓国の小さな堤岩里(チェアムリ)村に、日本の警察と憲兵隊が来ました。3月1日に、ソウルの塔洞(タプゴル)公園に数千人が集まり、当時支配していた日本からの独立を叫んだことへの報復でした。

 その運動の中心的役割を果たしていた、あるクリスチャンの命を狙った日本人たちは、堤岩里教会の礼拝堂に31名の男性を閉じこめて、そこに火をつけ、さらに銃弾を撃ち込み、全員を殺しました。教会の外で夫の助けを求める女性たちも殺されました。

 堤岩里事件と呼ばれるこの事件。三十数年前ごろ思い返され、日本のキリスト教会に「同じクリスチャンとして自分たちの国がかつて行った罪を悔い改め、この村に謝罪のしるしとして教会堂を建てよう」との謝罪運動が展開されました。今も現地を旅する日本人が多くいます。顔が上げられないくらい恥ずかしい思いで。

 今、ラオスでは、教会が次々と閉鎖されており、クリスチャンが逮捕されています。ある地区では、礼拝さえ禁止されました。このような迫害を受ける国は、北朝鮮・サウジアラビア・ベトナム・ラオス・トルクメニスタン・パキスタン・ブータン・モルディブ諸島・ソマリア・イランの順になるそうです(宗教迫害を監視する米国の団体『オープンドアーズ』の調査)。

 日本がその中に再び入らないための祈りも必要です。


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炭火
2003.4

「福岡高校吹奏楽団・定期演奏会」という一枚のチラシに誘われて、礼拝の午後、会場に足を運びました。クラシックからポピュラー、そして若い輝きに満ちた、コスプレありコントありの楽しいステージに、腹を抱えて笑いました。

 アンコールに応えて、総立ちで演奏したのは『ドレミの歌』。心憎い演出でした。私は涙が溢れてきて、仕方がありませんでした。

 誰でも知っているこの歌は、映画『サウンドオブミュージック』の挿入歌。オーストリアのトラップ大佐の家に、家庭教師として雇われた修道女マリアが、大佐の七人の子どもたちに、歌のイロハを教えるために歌った曲です。

 やがてナチスドイツに囲まれた大佐は、祖国を去ることを決意し、一家で『エーデルワイス』の歌と共に国外へ―。映画は、戦争を表立てず、むしろ家族の絆を描く方針で制作されたにも拘わらず、『ドレミの歌』が、私には何よりも強い平和のメッセージとして伝わってきました。

 音楽は不思議なもの。反戦の叫びや行進にはどこかなじめなさを感じていた私が、涙にむせぶとは。なるほど、音楽です。聖書にはすばらしい曲の歌詞が大量に残されています。『詩篇』です。

 私たちは、賛美します。賛美できます。賛美は、理屈抜きで、心を神からのもので満たしてくれます。牢獄のパウロたちも、賛美をしていました。神を賛美することは、私たちの力です。


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