信仰と親交

2002年12月

 事の発端は、クリスマスポスターの依頼でした。
 いつものように、私にポスターを作ってもらうよう依頼がくる。小さな教会ですが、その旨委員会の了承をもとに、正式にきます。若い三十代の牧師は、その教団の性格もありますし、招聘されたという立場もあるのか、こうした役員や委員会の動きをいつも気にしています。
 でも今回は、牧師が「ほんとうのクリスマス」というテーマを決めました。昨年が「クリスマスは教会で」という、面白くない(でしょう?)テーマだったので、それよりは少しいいかと思いましたが、それでもおとなしいテーマには違いがありません。ただ、飾り立てたクリスマス、もう人々が辟易しているような押しつけがましい商業的宣伝とは違い、質素なほんとうのクリスマスを感じさせることができたら、という私の願いには重なると喜びました。
 牧師には、相談しておきました。今回は、いつもと違うようなものにしたい、と。というのは、赤と緑でいかにもクリスマスらしいデザインをしても、もう町の風景の中では、それは商業目的の一つのようにしか数えられないのではないか、と思ったからです。冒険になるかもしれないけれど、ありきたりのクリスマスのポスターでは、もう目を惹くこともないし、魅力もないのではないか、という観点から、ポップなものにしたい、と申し出ていました。牧師は了承しました。
 かなり苦労して、女性のイラストを描き、画像として作り上げました。女性が胸に手を当てて何かを見上げ、そこに十字架とメッセージ、そして、茨で編まれたような「ほんとうのクリスマス」というタイトル文字が、中央から右に配置されています。保守的な牧師にはこのままでは通るまい、という思いと共に、これを一つのモデルとして教会に届けました。
 翌日、ファクシミリが届きました。これはすべてやめて、普通のにしてください、と。
 これでは女性だけしか誘っていないようだ、分かりにくい、などと私のデザインの難点を並べ、天使や贈り物などの図案にせよ、というのです。さらに、私はクリスマスへの誘いの短い文を載せていましたが、ポスターには文を載せると分かりにくくなるものだ、これでは長すぎる、とコメントしてありました。昨年は、牧師自ら、同時多発テロに対する、もっと長いエッセイを綴り、それをポスターの中央に掲げるようにと指示したことを、覚えていらっしゃらない様子です。そして、私の短文に代えるものとして、自分で考えたごく短い言葉を修正案として記していました。素朴で質素なクリスマスについて。ああ、それは、まったくクリスマスらしくないにせよ、私のデザインとコンセプトがぴったり合うではありませんか。
 また、「ほんとうのクリスマス」という文字は、質素さを表すためには、可能な限り小さく表したいと思ったデザインにしていましたら、文字はもっと大きく、と指示がありました。どんなポスターでも、とにかく文字が大きければ目立つと勘違いしていらっしゃいます。質素なクリスマスこそほんものだ、というメッセージをこめたポスターの「ほんとうのクリスマス」という文字が、スーパーの特売広告のように大きな文字で記してあったら、興ざめではありませんか? 牧師は、質素であるべき、などという短い言葉を自分で用意してそれを載せるよう指示すると同時に、タイトルは大きく、と命じました。
『恋ノチカラ』というドラマが昨年あって、広告クリエイターの話でした。その中で、無粋な社長が、自分の孫をモデルに使えとうるさく迫り、しぶしぶ載せると、顔が小さくてよく見えないから孫をアップにしろ、と怒る話がありました。あれを思い出しました。デザインというものは、一つの大きな中心テーマやコンセプトがあって、それを柱に、それを実現すべく、さまざまな要素が具体的に検討され、表現されていくものです。クライアント(依頼者)の思いつきや気まぐれで、つぎはぎのアイディアをして完成するというものではありません。
 もしも牧師の返事が、私のコンセプトを受容しつつ、ただ、イラストをもう少し工夫して、男性のイラストも入れるとどうか、とか、もっと人を群衆のようにするのは、とかいう修正案でしたら、私は諸手をあげて賛成したでしょう。しかし、私が祈りとともに苦労して考えたものは、根底からすべて否定し尽くされてしまいました。それどころか、最初に相談していた、ありふれたいかにもクリスマスめいたものはやめましょうと合意していた内容を振り出しに戻して、いかにもがいい、という形で指示してきたわけです。
 私は、ほかにアイディアはもたないので、という理由で、今回のポスター担当を辞退する旨、ファクシミリを送りました(牧師はメールをどうしてもしようとしないこともあって)。ただし、ほかにこういうデザインでも可能ですから、それならしましょうか、と分かりやすいように書いていました。――その夜、牧師から届いたファクシミリは、では自分の方でポスターもチラシも作ります、ということでした。「気を悪くしないでください」と添えて。

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 ある意味で、たしかに「気を悪く」したでしょう。ですが、文面から察するに、ポスターを受け入れられずに怒っているのではないか、という心配しか感じられません。私は、そんなことに怒っているのではないのに。
 たしかに、時間と労力をずいぶん捧げました。しかし、ダビデの三勇士の水の話や、伝道の書にある、水の上のパンのように、主に献げられたものとして理解していますから、それが採用されなかったことについて、さほどこだわっているつもりはありません。
 問題は、なぜ指示やアイディアがころころ変わるのか、ということです。
 真に受けてその通りにやっていくと、すぐに違うことが始まり、別のように変えました、と告げられる。最初の目的はどうなったのか、と振り回されてしまう。こうしたことが、日常茶飯事だったのです。
 実はこの点が、この教会における大きな問題の一つだと、私はずっと心に抱き続けていたのです。
 教会学校は、私が担当するようになって、牧師の案で次々と変革されるようになりました。かつて9:30から始まって、それで形になっていたのが、牧師夫人(も教会学校の担当の一人でした。ちなみに、専門教育を受けた方ではありません)が、朝早いのはできないという理由で10:00開始になりました。それでその時間でうまく流れるようにいろいろ工夫してきました。すると去年、礼拝は家族で一緒にひとつとなってするべきだ、という牧師の案で、10:30に子どもたちも来て、礼拝に加わり、途中で一時子どもたちだけ別室に行く、というスタイルをとるようになりました。その代わり、礼拝の前半で、子どものための説教を10分以内で行う、というのです。今年度から、その説教は教会員が持ち回りですることになりました。しかし始まってみると、そうした子ども向けの説教は聞きたくないとか、子どもがあちこち散らばっていると話しにくいとかいう声が出たらしく、子どもだけは礼拝の前半、一番前の席に座るということになりました。お気づきでしょうが、ここですでに、「家族で一緒に礼拝する」という目的は忘れられています。子ども説教の後には、子どもは自分の親の席に帰る、という取り決めが最初あったようですが、実際それを促す司会者もいなくて、結局子どもたちは最後まで前に残って、親子はバラバラ、というままになりました。そして、小さい子は最初から前に出なくてよく、後ろで親と一緒にいてよい、というのですが、結局、親子が分裂しているのは、私の家庭だけ、ということになり、子ども説教はますますちぐはぐなものとなっていきました。
 子ども説教の前には、子どもの気持ちを説教に向けるために、子どもがよく知っている賛美を歌おう、という提案を牧師がしました。ギター伴奏で、子どものための歌を歌う、というはずでしたが、先月は、牧師がどうしてもこれを教会員で歌おう、と言って、子どもにも大人にも難解な曲を選びました。子どもがよく知っている歌、という目的は、もう忘れられていました。
 その難解な曲について、私は、音楽的に、教会の皆さんはとうていすぐには歌えない、と考えました。不規則なシンコペーションの連続である今風の曲は、日頃接していない人たちばかりです。一日がかりで、カラオケを作りました。奏楽者が礼拝に出席できないときは、教会ではヒム・プレイヤーを使います。極めて日常的なことなので、カラオケであるために歌いにくいということはないと考えました。ギターで演奏してくれと牧師に一度言われたのですが、ギター伴奏では、メロディラインのリードができません。メロディをはっきり示さないと歌えないような曲です。カラオケは最も適していると思われました。パソコンのMIDI音源で、メロディラインをはっきりさせたカラオケテープを作りました。それで一度礼拝で賛美しました。初めての曲とは思えないほど、一度で皆さんの口は大きく開きました。私は賛美ができたことに感謝していました。
 しかしその後、牧師から電話が入りました。あの曲を続けてまた礼拝で使うが、今度はギターで伴奏してくれ、というのです。私は、まだ曲が難しいから、カラオケが相応しいのではないかと言いましたが、牧師は耳を貸さず、「カラオケだと味気ないという人がいたので、今度からギターにしてください」との一点張りでした。なぜ? ヒム・プレイヤーの讃美歌に慣れている人が、なぜ? しかも、そういう人が誰かいたから、という理由はどういうこと? 私は理解できませんでしたが、まだそれでも従順に言われるままに伴奏をしました。明らかに、メロディラインがはっきりしないために、人々は歌いにくそうでしたが、牧師一人だけ、「やっぱりギターの方がいい」と満悦していました。
 牧師が人ばかり見ていることを、このとき私がはっきり意識していれば、ポスターのこともなかったのかもしれません。時期としては、この直後だったのですから。

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 何か、人目を気にして、誰かから少しでもクレームがくると敏感に反応し、対応して事態を変えていく、そうした体質は、信徒というより、この牧師に特有なものでしょうか。それは随所に見受けられます。
 以前、子どもが会堂でうるさい、という人がいて、子どもをどうするかと問題にしたこともありましたし、そのとき、小さな子をもつ母親が別室に行くと、今度はその母親が礼拝を聞けない、ということで、ビデオカメラを回すということもしばらくしていました。しかし別室に行けば母親は関係ない話をし続けるばかりで、説教を聞くような様子はあまりありませんでした。まもなく、そんなことも立ち消えになってしまいました。
 別室で子どもの面倒が見られるように、とスピーカシステムを他教会の牧師の協力で作りましたが、それはほんとうに必要とされたものではありませんでした。それを利用する人は誰もいませんでした。今ではまったく使われていません。
 人を大切にするのは悪いことではありませんが、多分に信仰とは次元の異なる場面での不満により、信仰にとって大切なものを培うものがいつも蔑ろにされているような気がしてなりません。
 八方美人であることが、決定的な要因かもしれません。誰にも気を遣いすぎるから、誰の声をもかなえようとする。それで、最初にあることを信じて行動を起こした人が混乱に陥る――一つのことを信じて貫こうとする態度に出た人をふりまわしてしまうのです。八方美人であることは、福音の中心から離れたところで、つまらないところを空回りするだけではないでしょうか。  教会は、二年続けて、年間テーマに同じものを選びました。「交わりに生きる教会」というものです。
 私は思います。この「交わり」とは、人間同士の交わりに過ぎないのではないか、と。それは「親交」ではあっても、「信仰」ではないのではないか、と。

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 このポスターの問題が起こった、次の日のことでした。
 私は、自分の中にあるこの苦しい思いや、一種の憤りのようなものも、もしかするとたんなる感情であるのかもしれない、と危惧していました。ですから、一日置いてまた問題を考えよう、と思っていました。しかし、翌日になっても、私の中では、その思いは消えてくれません。このままではいけない、自分のことを棚に上げるつもりはないが、教会の問題は根が深い、という思いは、しだいに確信へと変わりました。
 そして夜、帰宅すると、京都から週報が届いていました。京都の母教会からでした。
 この秋の特伝で、決心者が四人与えられたこと、そのうちの一人が、中学生で、障害を負い殆ど全身動けないながらも、やがてそれを理解する夫に恵まれ、ついに子宝に恵まれたという方の息子さんであることを知りました。私は涙が出ました。
 また、その他、他の教会で証しをした兄弟のことや、妻の実家の近くに保健師として就職が決まった姉妹の話も、牧師夫人(こちらは有資格者です)が記していました。それらの方々がこれまで、言い尽くせぬような苦労を味わってこられたことを知っているだけに、感無量でした。
 とにかく、祈る教会です。信じる教会です。私はここで、祈ること、信じることを学びました。人はうわべを見るが、神は心を見る、と聖書にあるように、京都の教会では、人を見ることはありません。その牧師は、けっこう口が悪い面もあります。ずばずばと言うこともあります。でも、それは信仰に貫かれた言葉です。人を見て、日和見的に対応するということは、殆どありません。もちろん、実生活上での配慮がないという意味ではありません。信仰的な部分では、きっぱりと言うべきことは言う、という態度です。ですから、私は京都の牧師の口から、「気を悪くしないでください」という言葉を聞いたことがありませんし、おそらくそんなことを大切な場面で口にしたことは、ないのではないかと思います。せいぜい、これで気が悪くなるなら、あなたの信仰に問題がある、と指摘することはあったとしても。
 だからこそ、特伝をして、信仰を決意する人が毎年与えられていくのでしょう。京都という土地において、派手な動きはないかもしれませんが、特伝を前に、名簿を教会員全体で共有し、その救いを切に祈っているのです。神が、それを見逃すはずがありますまい。

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 他方、こちらではどうでしょうか。
 教会では、特伝を前にして、一部の人はたしかに熱心に祈るものの、共にこの人のために祈ろう、というリストを作るようなことはありません。教会全体で、この人のために、という祈りの雰囲気が感じられないのです。特伝その日も、ほとんど新しい人を連れてくるわけでなく、まだ信じていない人を連れてくるのは、客員や子どもたちであって、教会員その人ではありません。誰か客が来ないかなあと待っているだけの商売人にも似た姿であって、仲間内の交わりの方が優先しているかのようにさえ見えます。つまり、むしろ教会員は、同じ教団で古いなじみのある特伝の講師との交わりが嬉しいようで、日曜朝の特伝礼拝一度をもつと、午後は講師と個人的な交わりの豪勢な食事会を催します。当然の事ながら、その場に、これから信仰へ導きたいという人が残ることはありません。かのポスターにしても、教会の宣伝をしようという意図はあるにせよ、伝道という目的でしているのかどうかは、疑問が感じられます。だから、いかにも教会なのですといったポスターでないと具合が悪いと思うのでしょう。それはそれで意味のあることですけれど、誰かを教会へ導くという姿勢は、やはり感じることができません。言葉は悪いですが、ほんとうに伝道する気があるのか、というムードですらあるように思います。
 信じられないのは、初めて教会に来た人がいた場合です。アンケート的に、名前や住所その他をカードに書いて戴きます。それはどこの教会でも一般的に行われていることです。が、そのプライベートな情報を書いた紙が、玄関に放置されています。何週間でも、玄関に入れば誰でも見えるような位置に、晒されているのです。セキュリティの面でも当然問題です。が、教会として別の面でも問題です。それは、そうした新来会者についての無頓着に、このあり方が由来しているからです。いつどんな人が教会に初めて来たのか、普通気にしませんか? またあの人が来るように、祈ろうと考えませんか? しかし教会員は、誰か新しい人が来ていたのか、ほとんど気にしていないのです。先日も、礼拝途中で出て行った二人の女性がいましたが、その方々のことを気にする声は、ついに挙がりませんでした。よほど私が言おうと思いましたが、とてもそういう雰囲気ではありませんでした。特伝前に、教会に何度か来た方々の名簿を作って祈るという、ごく当然と思われる習慣もありません。以前は少しありましたが、最近は何年もありません。
 仲良しのクラブとしては、これでよいのかもしれません。同好会であるならば、ほぼ理想の形なのでしょう。牧師は教会員に気を遣い、互いの人間関係にひびが入らないようにその場その場で当たりのよい言葉を投げかける。細かな心遣いをしているのはよく分かります。その場でそれがすべて済むのであれば、その場はつねに治まって、安らかこの上ない様子です。たとえば、教会員が何か奉仕をしたときには、必ずすぐさま礼拝の中で、たいへんすばらしいことをしてくださって……というふうな内容を牧師は語ります。でも、奉仕をするのは当たり前ではないのでしょうか。それをいちいち牧師が褒め言葉でフォローしなければならないのでしょうか。それは、ただの同好会の幹事役のすることではないのでしょうか。
 ところが他方、私は、この教会において、「では一緒に祈りましょう」という言葉を聞いたことがありません。悩みを信徒どうし互いに打ち明けることが、ないわけではありません。聖書の話を、口にしないことなどないのです。なにしろ、それが共通の話題であることには違いがないのですから。けれども、問題があって話をするときにも、一緒に祈ろうという方向には働くことがないというのは、いかにも寂しいことです。京都では、それは日常的な言葉でした。信徒同士、信仰の問題を語り合うことは、京都ではしばしばでした。そして、人間の視野では解決が見いだされなくても、とにかく祈りましょう、とその場で互いに心を合わせるひとときがありました。その人と共に祈った、という満足もありますが、何よりも、これは神に聞かれた、という確信が与えられるのが、何よりもの強みでした。自分一人の勝手な祈りではないのですから。
 もし仮に、話し合ったとき、お互い意見が合わなくても、そのときはいっそう、兄弟姉妹であることの恵みを感じるのでした。何か、天から親に温かく見守られているような安心感があって、その意味で、私たちは天の父なる神のもとで、共にその「子」として、そこで交わっている、という実感が起こるのです。ですから、人を見てああだこうだということに拘泥することはなく、親の傘のもとに共にあるのだという意識で、意見の相違さえも、広い視野でショックが吸収されるようなところがありました。少なくとも、私の理解する「交わり」はそのようなものであるし、信仰の姿勢としては、そちらこそが、ただの私の感情や感覚でというよりも、聖書を根拠に考える場合には、納得できるものであることが、今ようやく確かめられたような気がしてなりません。
 やはり、信仰と祈りとがいのちであることは、この重なった出来事からしても、私の確信として捉えられ、この日は、私にとって大きな一日となりました。
 じゃあおまえはどれほど立派なことができているのか、と問われれば、惨めなものです。でも、あえて自分のことは棚に上げたまま、神の息吹の感じること薄いこの教会の中に、自分が今ともかく置かれているとはどういう意味なのか、神に問うことになりました。そして、従来のとおりに、なあなあの空気をよしとすることなく、天を見上げて、天からの命を頼りに生きるという原則を、貫かなければならない、とつくづく感じ入るのでした。

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 誤解のないように、申し添えます。教会員の一人一人は、立派な信仰をおもちの方が多いのです。私などひたすら地を這うくらいしかできないほどに、長年、そして今も、しっかりと神と結びつき、多くの労をいとわずになさっている方が、たくさんいらっしゃいます。一人一人と話すと、すばらしいと感銘を受けることが実に多い方々です。けれども、集まったとき、すなわち教会という形でまとまろうとしたときに、まとまらないのです。牧師がまとめきっていないのです。ちょっとした意見の衝突を恐れるあまり、小さな声をすぐに全体に反映し、ポリシーも方針もないままに何でもころころと変えていく。教会の柱――神との太いパイプによるつながり――が意識されていません。神との確固たるつながりが蔑ろにされています。問題はそこにあるのです。一人一人の生き方や信仰にあるのではありません。
 八方美人の牧師には、せめて私に対して、怒りを露わにするくらいになって、闘わなければならない必要があることに気づいて戴きたい。これからもまだ、さらに沈黙を守っていることが牧師のすることではないのです。もしもここで私が自らすべてを語ったとすれば、またそんな私に気を遣ったりするでしょう。もう、気を遣わないでもらいたい。信仰に立って、信仰を基準にして、天の言葉を語って戴きたい。聖書の視点、聖書の視野から、確固とした立場を貫いて戴きたい。変な勘ぐりはあまりしたくありませんが、もしかすると、人に対して強く信仰が語れないのは、牧師自身が、信仰に立った生活を送っていないからではないか、とさえ考えてしまいます。自分が筋の通った信仰の中に立っているならば、他人への厳しさもまた生まれることでしょう。優しいのは一見よいことのようですが、人間的にのみ優しいというのは、自分に自信がないことの現れであることがあります。教師としてしっかりした地盤に立ってものを見ているのでない教師は、生徒を強く叱ることもできないのです。
 牧師は、言葉では、聖書を語ります。でも、視点と視線が、人を向いています。人の評判を気にし、人の顔色によって、言うことがころころと変わります。人が神とどうつながろうとしているのか、を見ようとはせず、ただ人の関係ばかりの中でその都度変わる指示をするからです。でも私は、人を見ません。親交を第一の原理とはせず、信仰を第一とする中で、親交が存在すると考えています。人を見ませんから、牧師が語る聖書の言葉そのものは、神の言葉であると捉えます。神の言葉は、いのちです。神の言葉の中に、私は自分の考え方や生き方を見いだします。
 その日の翌日、礼拝で牧師は、イザヤ書53章を、教案通りに開きました。
 私は、自分が、その苦難の僕のような道に踏み入ったことを悟りました。もちろん、メシアの姿と自分とを同一視するような僭越を侵すつもりは皆目ありませんけれど、ここで描かれた、メシアとしての、あるいは素朴に解釈するならばイスラエル民族としての、苦難の僕の心情が、こんなに近く魂に響いたことも、ありませんでした。
 私は、ポスターを採用されないがために機嫌を損ねた、ばかな人間としての軽蔑を、喜んで受けよう。それでも、安易に口を開くこともなく、この教会のために祈りの手を上げていよう。それは、痛みを背負うことにほかならないのではないか――。
 もしも教会の誰かが、とくに牧師が、このサイトを知り、すべての真相に触れるその日まで……。



Takapan
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