次の世代へ、などと

2026年10月1日

息子が三人いる。それぞれに、私の中にあって形にならないものを、実現してくれているようで頼もしい。その詳細をいま語るのは控えるが、「自然」とのふれあいについて、少しばかり話してみようかと思う。
 
幼稚園への送り迎えを担当していたとき、わざと田圃の中を通るような道を帰った。もちろん時間があった場合ではあるが、農道があり、畦道があった。草叢を分けるようにして、人がひとり歩けるような橋を渡ることもあった。
 
田圃には、蛇が泳ぐことがあった。というより、田圃は近年は「ジャンボタニシ」がうようよしていた。そしてショッキングピンクのけばけばしい色の卵の集合体を、稲の根元に産む。気持ち悪いが、激しい農薬を使わっていないという証しにもなるのだろうか。農薬なしで駆除する方法もあるらしいことも、その後知った。
 
躑躅の蜜は、いまでは吸わない方がよいらしい。が、やはり教えてしまう。スズメノテッポウの鳴らし方、エンドウマメもそうか。ナズナがぺんぺん草に変わる瞬間も教えるし、オオバコ相撲も楽しい。春は草花遊びの宝庫だ。
 
同じ春でも、春先のツクシ採りは、特別な場所に行かなければなかなかできない。幾つか穴場も見つけたが、大抵は車でお出かけした先となる。私が母から教えてもらったのは、佃煮だったので、そればかりしか作れないのだが、袴取りはそれなりに楽しい。
 
こうした経験は、子ども時分の息子たちの記憶の中にあるだろうか。いまは東京を含めて、街中に住むのが二人。3人目は、住む処こそ住宅地だが、大学は山の中のようなところにある。彼は、高校のときに、生物の授業で、他の生徒が生き物についてまるで知らない中で自分だけは体験していたということで、喜んでいた。
 
座学のレクチャーだと、如何にも頭の中にだけ知識が入るような気もする。だが時間をかけて体験的に刻まれた、生き物とのふれあいは、心の中に刻まれていることだろう。否、刻まれていてほしい。動物園も、何度行ったことだろう。福岡市水族館は費用がかかるので度々は行かなかったが、福岡市動物園なら、水中を泳ぐペンギンにくらいは会える。海の中道海浜公園にも動物に会える場所があるし、触ることもできた。油山牧場でも、家畜的な動物だが間近で見られた。馬にも乗れた。
 
体験は、自分のものになる。食べたものが自分の身体をつくるように、体験したことが、自分をつくる。そうなったら、次の世代に伝えてほしい。
 
私が自分でできないことだから、そうやってせいぜい託すことで、ひっそりと現場を去ってゆく。それが、年老いた、ということなのかもしれない。自分としては、どれだけ多くのことができるだろうか、と夢見た時期がないわけではない。だが、今にしてみれば、できなかったことだらけが遺っている。その繰り返しが、自分の人生の足跡となっている。
 
息子たちがいると、自分を映す鏡を見たのか、と錯覚することがある。何も強制したり熱心に教えたわけでもないのに、不思議だ。どうしてそんなに本を読む人になったのか。どうして珈琲に凝っているのか。どうしてカメラにはまっているのか。どうしてそんなに威圧的に振る舞うことが部分的にだがあるのか。
 
私はキリスト者となってから、そういうダメな自分には気づかされるようになってきたが、それ以前は、そんな自分の欠陥にすら気づいていなかった。もちろん、だからいま自分は聖人君子です、などとはとてもとても言えるものではない。
 
しかし、オトナたちは、確かに無責任に自分の益を、正義や権利などという腹をもちつつ、正当化している。後の世代が石油を得られないように、いま自分がいる間の経済を最優先している。その経済とやらは、生きるための必要というよりは、他者の権利や生命を踏みにじるほどの我欲だけを貫くものと化してさえいる。
 
そういう無責任なオトナとして、私は何を伝えようとしているのだろう。何かを伝えるなどという、如何にも良心的な態度を誇ろうとするのだろう。「次の世代へ」、などと、どうして善人ぶって言えるというのだろう。
 
ブレーキをかけることだけでもできたら、その方が、「次の世代へ」という本当の「心」になりはしないのだろうか。



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