京の夏ともののあわれ
2026年8月16日

京の夏は、8月16日の五山の送り火で終わる。夏の残り香は、一週間後の地蔵盆まで漂うかもしれない。京都で生まれ育ったわけではないので、その体験や作法などについては、何ら知るところはない。参加した、というのはおかしいが、その場に居て地蔵盆の風景を目の前にしたことはある。まだあの頃は、子どもたちの歌も聞こえていたように記憶する。
地蔵盆は、子どものための催しではあるが、地域社会のつながりや少子化という変化もあり、近年は姿を変えている、とも言われる。子どもというよりも、むしろ大人が集い、また昔を懐かしむという風景があるのかもしれない。また、伝統文化や慣習などに関心をもつ学生たちにより、地蔵盆を呼び起こし、伝えてゆこうとする動きもあるようだ。
関西の習俗であって、京都に限定するわけではないというが、私の体験した地蔵盆は、京都だけである。8月23日から24日にかけてだったと思う。この日は、あだし野念仏寺の千灯供養が行われる日でもあった。かつて空海が、風葬されていた遺骸を埋葬して供養したことに始まると言われる。
受験勉強に於いて徒然草第七段を読んだときから、あだし野のことが気になっていた。それで京都で暮らすようになって、いつか念仏寺に行ってみたいと思っていた。
あだし野の露消ゆるときなく、鳥部山の煙立ち去らでのみ、住み果つるならひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。
あだし野(西の嵯峨)も鳥部山(東山)も、古くから死者を遺棄する場所であった。貴族や皇族ならいざ知らず、火葬など丁寧に弔うことができる人は特別だった。死体が一定の場所に棄てられるのはごく普通のことであり、もし貴族の屋敷がいくらか近くにあれば、風に乗って腐敗臭も漂うことがあったかもしれない。
はかない露が消えることがないとする。火葬場の煙が上らないようになったとする。つまり、人の命が消えずに続いてずっとこの世に生き続けるものであったとする。そんな世界に、「もののあわれ」なるものがあるだろうか。あるはずがない。人の命には限りがあるのが当たり前だ。いつ死ぬやもしれない。だが、だからこそ「あわれ」という心が感じられるのであるし、命を大切にしよう、と思うのではないだろうか。
そんな気持ちを綴りつつ、兼好法師は、だらだらと生き延びているような人間の有様はよろしくない、と指摘する。はかなく死ぬ生き物が多々ある中で、人間だけが、そうした短い命を大切にしようとしないで、ああもっと生きていたいなあ、とか、死にたくないのに、とか考えているばかりなら、心に感じるべき大切なことを逃してしまっているのではないだろうか。そう漏らすのである。たとえ千年生きたところで、何の意味もなく、ただ「生きた」ということの他は何もないことになってしまうに違いないのだ。
兼好法師は、老いさらばえて生きているよりは、四十以下で死ぬのがみっともなくないのではないか、とも書いている。自身は70歳くらいまで生きていたらしいし、そもそも徒然草を執筆したときにはすでに40才を越えていたと思われるから、なんだか少しずるい書き方をしているようにも見える。
そうした血気盛んな歳を過ぎると、容姿も性格も恥に思うことがなくなってしまうかもしれない。今度は、子孫を見届けたい、などとこの世に執着するようにもなると、いっそう「もののあわれ」を感じる心からかけ離れてしまうものだ。そんなふうに述べて、この段は結ばれる。
長生きなどしないほうがいい、などと言っているのはちょっと気障だが、言わんとするところは、「もののあわれ」を感じる心を重んじよう、というところだうか。
聖書では、「永遠の命」を求めて、イエスを訪ねる者が多々現れる。特にヨハネ伝では、「永遠の命」がキーワードのようにもなっている。この「永遠」という意味は、気軽に口にするほど簡単ではない。
永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。(ヨハネ17:3)
この「永遠」の意味で使われている語は、「時代」や「歴史」をも指すことがある。そのため、プラトンは歴史を鑑みながら、この語を終わりのない時間を表すものとして使ったのかもしれない。第一、イエスはこのギリシア語を話したとは思われないから、どんなニュアンスでこのことを言ったのか、あるいはまた弟子たちがどういう考えでこの語を書き留めたのか、分からないといえば分からないのである。
兼好法師は、情を重んじた。「もののあわれ」は、紫式部の時代の意味のままだったのかどうか、それさえも私は知識がないが、もしさほど違いがないのだとすると、しみじみとした趣に心が動かされている様子、あるいはまた言葉にならない溜息でしか表せないような心を指しているのではないかと思われる。
ただ、かの第七段での文脈からすると、私たちがよく言う「無常感」にも近いものを覚えるし、無常感といえば「平家物語」といきたいが、恐らくそれよりも以前に、鴨長明の「方丈記」が成立している。兼好法師の「徒然草」より1世紀あまり遡る時代である。
日本人の心情は、確かに自分にも流れ入っている。だから、その言葉にならない次元のものが伝わらないわけではない。そしてそれを言語化しようとしても、うまくゆかないことがもどかしいと思う。どうしても言語化しなければならないのかどうか、それさえも分からないままに、私たちは曖昧な記号として、「もののあはれ」と口にする。そして互いに肯き合っている。
京の夏は、8月16日の五山送り火で終わる。一月前の祇園祭りで本格的な夏が始まってひと月。だが、灼熱の盆地はまだまだ気温を下げる気配がない。雪降る中に咲く梅に、待望の春を思った古人が、どうしようもない夏の中に、秋の風を呼ぶ思いで、ここに夏の終わりを宣言したかったのかもしれない。こうした季節を覚える中での、理屈や科学の数字を無視した心こそが、私たち日本人の「あわれ」の情なのかもしれない。
永遠の命を謳う聖書の神は、「あわれみ」という言い方の「愛」を私たちに注ぐ。日本的な心情とは相容れないものなのかもしれないが、心情をもを救いの教理につなぐ「信仰」というものがあってもよいのではないか、という気がしてきた。