こんなに哀しいのに

2026年8月10日

『長崎―閃光の影で―』という映画が、昨年2025年8月に公開された。まだ十分な知識も経験もない看護学生が、原子爆弾投下後の長崎で救護に携わる姿を描くものだった。長崎出身で、平和への思いを胸に歌う福山雅治が主題歌に加わった。
 
現実にはなかったというテロップが流れたものの、差別的な場面だけが、どうしても引っかかったが、全体的に、とても訴える力をもった、良い映画だった。
 
長崎原爆投下から81年。11時2分は、この礼拝の説教の只中だった。そして説教者は、「長崎」というところから、説教を始めていた。それは、外海の話である。九州にいなければ、なかなかそれを「そとめ」とは読めないかもしれない。20年ほど前に長崎市に編入された。ド・ロ神父記念館や、遠藤周作文学館がある。遠藤周作の代表作のひとつ『沈黙』の舞台「トモギ村」のモデルとされている。
 
そこには、「沈黙の碑」と刻まれた岩と、もうひとつ遠藤周作がこの碑のために特別に綴った言葉が刻まれた岩がある。そこには、こう書かれている。
 
  人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです
 
今日の説教では、この言葉が何度繰り返されただろう。聖書でない言葉がこれほどまで念入りに伝えられることは珍しい。最後まで、この一言を知って帰ってほしい、というような言い方を説教者はしていた。
 
遠藤周作は、周知の通りカトリックの信仰を抱き続けた作家であった。その信仰には独特の理解が伴うために、著作はしばらく、カトリックに於いて殆ど禁書扱いをされていた。その後遠藤側からの真意の説明と対話を経て、次第に穏やかになっていったと思うが、1987年ともなると、遠藤は海外で幾多の賞を受けるなどした故か、こうして広く認められる立場を得ていたということなのだろうか。遠藤文学の集大成ともいえる『深い河』は、その後で取材し、執筆されており、この沈黙の碑の建立の9年後に亡くなっている。
 
  人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです
 
美しい言葉である。また、受け取る人がそれぞれに解釈することも許すようなおおらかさを私は感じる。説教者は、この間に挟まった「主よ」に特に注目した。これは「呼びかけ」である。
 
長崎には、幾千人とも言われる殉教の信徒がいた。ローマ帝国に於ける殉教者に次いで多くの数の殉教者がここにいた、とも言われる。雲仙の「地獄」を用いた拷問もあれば、岩を膝の上に置くなどの酷い拷問もなされていたし、いわゆる「穴吊り」も有名となった。
 
だが長崎のキリスト教徒の死者というと、原子爆弾が群を抜いて多い。説教者の挙げた数字によると、浦上天主堂に属する信徒12000人のうち、実に8500人を喪ったという。そして、そのカトリック信徒の頭上に原子爆弾を炸裂させたのは、アメリカのカトリック司祭により祝福を受けて送り出された兵士だった、という重い指摘が告げられた。
 
平和への歩みは、哀しみから始まる。山上の説教が、悲しむ人の幸いに始まることもそのひとつであろうか。説教者は、イエスその方が哀しみの人であった、というようにも語った。
 
最近ようやく、若松英輔氏の『悲しみの秘義』を読んだ。「悲しみ」という言葉が、この人以上に似合う人間を探すのは難しい、とすら思える。自身背負った人生の悲しみの故でもあるのだが、「悲しみ」と真正面から向き合った本である。詩人でもあることから、綴る言葉の含蓄するものはとめどない。「はじめに」からすでに、「人は、自分の心の声が聞こえなくなると他者からの声も聞こえなくなる」とか、「人が語ろうとするのは、伝えたい何かがあるからであるよりも、言葉では伝えきれないことが、胸にあるのを感じているからだろう」とか、思わず立ち止まって深呼吸をさせられる言葉がぶつかってくる。特にクリスチャンのための文章ではない。しかし、著者はカトリックの信仰篤い人である。クリスチャンであれば尚更響く言葉をたくさん用意している。もしまだ触れたことがなければ、『悲しみの秘義』はぜひお薦めしたい本である。
 
説教者は今日は十分な時間をとって、マルコによる福音書を振り返りもした。いよいよイエスの十字架への道が始まるとされるところにまで、このマルコ伝の連続講解説教は踏み入ってきたのである。また、そのマルコ伝の冒頭である「神の子イエス・キリストの福音の初め」(1:1)の中から、「神の子」も「福音」も、ローマ帝国では皇帝に関するありふれた言葉であった点に触れるなどしたのだが、それは、マルコ伝が、イエス・キリストによって、真の神の子の物語が始まり、ここに福音が告げられるということを宣言しているのだ、と伝えたかったからであろう。これは、キリスト者が心して弁えておかなければならない、大切な原理である。
 
こうしていま、イエスはエルサレムを目指す。不可逆的な進行により、死刑台へ向かってゆくのだ。このとき、イエスはけじめとして、入城に子ろばを選んだ。それはもちろん、ゼカリヤ書9章の実現と見られる。エルサレムは、王の入城を「喜び叫べ」と預言者は叫ぶ。それは軍馬を断ち、戦いの弓を絶えさせ、その王が「諸国民に平和を告げる」(ゼカリヤ9:10)ことになる。
 
この姿は、ローマ帝国の皇帝が「神の子」と呼ばれ、皇帝の誕生や即位、あるいは戦いの勝利を告げ知らせる「良い知らせ」即ち「福音」に対して、明確にアンチテーゼを叩きつけるものとなった。ある意味でゼカリヤ書の預言よりも、こちらの方が重要である。いまここに現れた王は、皇帝のような偽物の救世主とは違い、従う者に永遠の命を与える世界の王なのである。
 
武器による戦いを放棄した姿がここにある。説教者の言葉でいうと、「力を手放すことによってつくる平和」がここに始まる。
 
だが、「平和には時間がかかる(Peace takes time)。」説教者はここで、もうひとつの、聖書外からの言葉を掲げ、ここから繰り返すことになる。これは、アメリカの神学者スタンリー・ハワーワスの言葉だという。『暴力の世界で柔和に生きる』などの中で訴える命題である。
 
平和を急ごうとして、平和を自らの手で作ろうとするのが人間の知恵である。あのオウム真理教の発想と同じである。自分たちがあれは悪だと決めた者を殺すことで救う、などという論理を実行に移したのである。そして、すべての戦争は、平和をつくるために行う正義の手段だと自ら決めることによって行われる。正義のための戦争。平和のための戦争。なんのことはない、正義の味方のウルトラマンもかつてはそうだったのだ。カトリックの円谷一族も、それこそが子どもたちの夢と希望であり、光の国だと信じてやまなかった。そこに楔を打ち込んだのが、平成のウルトラマンたちであったことはよく知られている。
 
もちろん、現実の戦争は、一部の権力者が掲げる正義感に国民を同調させるのが、何らかの形で巧いのであり、そのために国民の命を利用し、消費する。国民の財産は政府のものとし、国民個人の財産は滅ぼされてもやむをえないものとなる。否、それすらも正義の名の下に実行するのである。
 
イエスの王としての入城は、まことに地味なものであった。小さなろばは、時に愚か者の代名詞となる。だがイエスはそれと共にエルサレムに入った。イエスは確かに、平和をつくるために来た。だからこそ「神の子」と呼ばれるに値した。それは、敵をたちどころに滅ぼすような方策をとるものではなかった。説教者の言葉でいえば、「敵と共に生きる平和」であった。
 
そんな画餅のようなことを口にすると、日本では炎上することだろう。何を生温いことを言っているか。敵が侵略して家族を殺されても平然と傍観しているつもりか。核兵器をもつことが抑止力となるのだ。軍備を強くして、攻撃などされないようにするべきだ。――自称だけのクリスチャンで、そのように日々数十の投稿をしているような者もいる。
 
「ホサナ」とは、「いま救ってください」という意味を含みもつ言葉から成る、決まり文句だという。確かに群衆は、「いま」ローマ帝国の支配から独立するリーダーたる王メシアを期待していた。しかし、「平和には時間がかかる」のであって、即刻の解決を求める力は、どちらかと言われれば悪魔の力なのだ。
 
「ホサナ」との喜びの叫びは、「いま」と言いつつも、急がせるものであるべきではなかった。「平和には時間がかかる」のである。即座にイスラエルを救うことを求めた群衆の声が、数日後に「十字架につけろ」の怒号に変わるのは、変貌したのではなく、底流に於いて同じものがあって、その見かけがほんの少し別の角度からのものに変わっただけに過ぎない。
 
こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入られた。そして、周囲を一瞥した後、すでに夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。(マルコ11:11)
 
説教者は最後に、このペリコーペの最後の節に立ち止まった。表向き熱狂的な群衆とは対照的に、イエスは醒めていた。神殿の境内に入ると、たぶん静寂の内に、周囲を一瞥したという。この「一瞥」が説教者の注目点であった。
 
場面をご紹介することを略して、その言葉をマルコが用いている言い回しを羅列することにする。「イエスは怒って彼らを見回し、そのかたくなな心を悲しみながら」(3:5)、「周りに座っている人々を見回して言われた」(3:34)、「イエスは触れた女を見つけようと、辺りを見回された」(5:32)、「弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはや誰も見えず、イエスだけが彼らと一緒におられた」(9:8)、「イエスは弟子たちを見回して言われた」(10:23)、そしてこの11:11である。
 
新約聖書では、マルコ伝がこれだけ使った他は、ルカがただ一度6:10で用いただけである。マルコ伝の癖でもあろうし、マルコ伝が訴えようとしたことのひとつの鍵を示していることになるかもしれない。これは、周囲をぐるりと見回しているニュアンスをもつ語である。イエス自身がその事態の中に確かにいるような感覚をも伝える。そのため説教者は、いまここにもイエスがこの礼拝堂を見回しているのだ、と指摘した。
 
こうして今日の語りを振り返るように、告げる。悲しみに耐えながらイエスはエルサレム神殿を見回す。この教会を見回しているかもしれず、いまの世界を見回しているのかもしれない。だが海はあまりに碧い。私は説教で耳にしたとき、これは「碧い」という漢字だと思い、メモもそう書いていた。その後で調べると、やはり「碧い」であった。外海から見える海は、福岡から普通に見る玄界灘とは言えないが、対馬海流の中では殆ど同じような箇所である。その海の色は、決して「青」ではない。やはり私の感覚では「碧」なのだ。
 
すべてを包みこむようにたゆたう波は、平和を予感させるものだとも言えよう。その平和の実現には時間がかかる。イエスはその平和のために哀しみを背負う。私たちもその哀しみを覚える。イエスは、子ろばを選んだ。それは、時間のかかる平和への道だった。
 
私たちはこのイエスをどうするか。あの群衆と同じように「ホサナ」と叫ぶのか。否、同じには叫べない。別の意味での「ホサナ」の声を挙げよう。但しそれは、ワールドカップ開催のときだけサッカー中継のテレビの前で興奮するようなのとは違う。イエスに「いま救いたまえ」と身を隠して群衆のひとりとして叫ぶのではない。「いま救いを受けた」ことを信じて喜び叫ぶのだ。
 
説教者は願う。どうかこの哀しみの主としてのイエスを迎えてほしい、と。但し、哀しみの暗い思いを懐いたことで、自分は不信仰なのではないか、と思い悩む必要はない。共に哀しみを学び続けつつ、そのイエスに従うのである。それが心やわらかに生きる道なのである。まだ復活の喜びまでには、そのときのイエスはまだ時間がかかるものであったけれども、その道は確かに敷かれていた。信仰により、その時間がかかる先行きを先取りし、イエスの救いを喜び叫ぶのが、キリスト者の使命であり、特権であったということになる。私たちは信仰により、瞬間的な喜びではなく、いつまでも喜び続けることができるのである。
 
説教者は、沈黙の碑の言葉を以て、説教を結んだ。説教の初めに、この長崎のキリシタン、そして原爆の話題のために長い時間を費やした説教であった。私はそれだけで、流れる涙を止めることができなかった。原爆犠牲者を「小羊の燔祭」と称してバッシングを受けた永井隆博士もまた、カトリック。幾多のカトリック信仰が、キリシタンと原爆とを貫いていた。そして遠藤周作もまた、カトリックの河に住まう一人であった。
 
長崎の町で時刻を知らせるのは鐘の音である。浦上天主堂の「アンジェラスの鐘」は毎日時を置いて鳴り、平和公園の「長崎の鐘」は毎月9日に鳴るそうだ。どちらも、原爆につながる鐘である。この日長崎で、原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が行われた。「原爆」という、人類が生み出した悪魔のような兵器には、「平和」の言葉が繋がっていた。そこに辿り着くのには時間がかかるであろう。永遠の命というときの「永遠」くらいの時間かもしれない。
 
この日、幾つかの新聞は平和について論ずるコラムを掲載していた。仙台の河北新報は、その「河北春秋」をこう始めていた。
 
「平和とは、どこかで進行している戦争を知らずにいられる、つかの間の優雅な無知だ」。米国の詩人エドナ・セントビンセント・ミレーは1940年、「平和」をこう言い表した。
 
これは皮肉な、しかし的を射た言葉ではあるだろう。しかし、キリスト者は、そのような皮肉が必要であるようには思えない。情緒的ではあるかもしれないが、私たちは「沈黙の碑」に刻まれた言葉を以て、「主よ」と呼びかけたいものだと思う。
 
  人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです



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