透明な夜に駆ける……
2026年7月27日

元はラノベらしいが、「透明な夜に駆ける君と、目に見えない恋をした。」がこの夏にアニメ化された。アニメにでもならない限り、ラノベに何が描かれているかなど知る由もないのだが、アニメはいまのところ、爽やかな風をもたらしてくれている。
下関から東京の大学に来た「かける」は、新歓コンパで「小春」という女性と知り合う。その友人「優子」と二人で、コンパ会場でぽつんとしていたので、かけるともう一人とが傍に行く。すると、小春は目が見えないことが分かった。優子は、テイクノートなどで小春をサポートしているが、友人としてである。
かけるは、そんな優子に、自分が用事のあるときに小春のサポートをしてほしい、と頼まれる。こうして、かけると小春との関わりが始まることになる。
かけるは、家庭の事情でいろいな人に引き取られて育ったことがあり、人との距離感がうまくつかめない。もちろんサポートなど乗り気ではないが、目の前でトラブルに遭う小春に、なんとかしないではおれない。
小春は、小学上級生のときに盲目となったため、視覚障害者としての訓練を受けつつも、どこかぎこちないこともある。だが、持ち前の明るさで、少しも暗いところがないように振る舞っている。
そんな小春が、まるで自分に関心があるかのように見えてきたかけるは戸惑っているが、なによりも、視覚障害者にどのように接してよいか、まるで分からない。こんなことを言ってはいけないのか、こうしては余計なことになるのか、ぐるぐると頭の中はそんな気遣いが駆け巡る。
それは、障害者をいざ目の前にしたときの、非障害者のありがちな思いである、とも言えるだろう。確かに障害はこの社会で不便なことは多々あるが、障害を日々悔やんで生きているほどの暇はない。が、そうしたふうに想像し、腫れ物に触るような言い方や見方を重ねてしまうのだ。
どうやら作者自身が、障害者について勝手な思い込みをしていたことに気づいたことが、本作の執筆の動機となったようである。そういうリアリティを感じさせるものがあった。アニメはいま始まって一か月だが、この話はすでにドラマ化されているし、もちろんラノベとして完成しており、漫画家もいま進んでいるらしい。ストーリーは、いかにもラノベらしい展開となるようであり、いま風のメディア路線に乗っているものであるだろう。
出会ったことがなければ、どう接してよいか分からない。それは当然のことだと思う。障害者や病人など、どう接してよいか分からないというのは肯ける。世相としては、自分とは関係のない人に対しては、全く人格ある存在とは見ないのが日常であるが、いざ関わりができてしまうと、それなりに気を使うものであるらしい。気を使いすぎていろいろ考えこみ、却って何もできない、というようなこともあると聞く。
自分との何らかの関係ができたとき、どうするか。傷つけたくないから何もしない、という傾向もあるらしい。それは逆に、自分が傷つけられたくない、という心理の裏返しでもあるらしい。だいぶ前から、そういう心を示す言葉として、「優しい」という表現が広まっていた。あれこれ想像してしまい、ぎこちなくもなるのだという。
関係が実際ないときに、あれこれ想像をし過ぎるのもどうか、と思われることがある。障害者はこう考えるものなんだよ、と本やSNSの噂話で耳が肥え、自分は何でも理解しているかのように思い込んでいるような人も、いないわけではない。実際出会っていないのに、知識が聞こえてくることで、自分は何でも分かったような気持ちになる。それは、その人の人格の問題であるし、何も障害者の問題とは限らない。
聖書を自分は読んだから何でもよく分かる、と豪語している人物を見たことがある。当人は、日々他人の誹謗中傷を繰り返し、自己愛だけが原理となって、世の中のすべてを偉そうに批評している。私もそのように見えていたら悲しいが、自己愛と哲学とは些か毛色が異なる。そして宗教の場面に於いては、聖書の知識だけで話をする人ではなく、神と出会った人が語る礼拝説教を受けたいと願っている。それが、命ある言葉である。そういう願いは、真摯に願えば神は与えてくださる。神からのシャワーを浴びることで、毎週生き返る恵みを受けている。
ところで、「透明な夜に駆ける君と、目に見えない恋をした。」は、絶対音感をもつ小春と、花火に憧れる思いが、二人をこれからどこへ連れて行くのか、二人のどこかぎこちない歩みを、見守ってゆこうと思う。そしてこの作品を観ようと思ったのは、小春の声を早見沙織が演じているからであることも、申し添えてよかろうか。FMの早朝などラジオの声からも癒やされているが、今クールでは、「鬼の花嫁」もヒロインを演じ、「これ描いて死ね」でも、ヒロインよりむしろ物語の中心にいる教師の役を担っている。それぞれに役柄が異なるし、気づかない人は同じ人の声だとは気づかないかもしれない。大した才能である。