表す力

2026年7月23日

文部科学省が、国語の中核となる四つの力について、中学生の皆さんに語ってきた。「感じる力」「想像する力」「考える力」とお話ししてきたが、いよいよ最後は「表す力」である。
 
これは、自分の考えを表現する、という意味で捉えてもよいかとは思うが、ただ自分が表現すればそれでよい、というものでもあるまい。誰か理解してくれる人だけが分かってくれたらいい。芸術の世界では、そういうことがあるかもしれない。だが、これは「言葉」の世界の問題である。言葉が「伝わる」ことに焦点を当てるべきではないかと思われる。
 
言葉は、何らかの思想や意見を表明する。だが、その意見にすべての人が賛成するわけではない。ただ、何を言っているのか、が伝わるならば、そこから対話が始まるし、議論も成立するだろう。この「表す力」とは、対話や議論をつくりだす基本である、と言い換えてもよいように思う。
 
自分は自分の言いたいことだけを言う。それに反論する者がだいたらブロックする。自分にとって気持ちのいい声だけは聞いてやろう。小賢しい批判はすべてシャットアウトする。――SNSで時折見かける姿である。
 
もちろん、ただケンカを売ろうとする者もネット上にはいるし、その批判してくる者自身が、ここでいうような独り善がりの塊であると、攻撃された方は本当に迷惑する。話が通じないからだ。そのときにブロックすることを、私はよくない、などと言っているわけではない。
 
ただ、他人が何を言おうとしているのか、それを理解しよう、という聞き方ができているならば、対話は何かしら実を結ぶものになるのではないか、と期待したいのである。
 
要は、これが明らかにコミュニケーションを意図している、ということだ。「感じる力」「想像する力」「考える力」は、ある意味で自分の内部での問題であった。自己能力を開発し、自分の力を開花させるための契機であった。だが、「表す力」は、明らかに他人の存在が前提されている。他人あってこその「表現」となるはずである。
 
誰かに対して、自分の考えや感情を伝える。それを、「分かってくれ」とばかりに、言葉なしで以心伝心というのは、家族間や親友の間では大いに結構なことだ。だが、何らかの社会生活を営む上では、言葉による表現が必要になる。
 
目の前で、あるいは電話やメールで、相手に自分の言いたいことを伝える。そういう場面は多々あるだろう。会社で役職を得るためには、ふだんの仕事の現場も大切ながら、どういう考えをもっており、またどういう伝達ができるかどうか、は重要なポイントであるだろう。指示したいことが伝わらないような上司は、会社では役に立たない。部下も、何をしてよいか分からない。もちろん、顧客に伝わらなければビジネスを失うことになるだろうし、場合によっては損害賠償の話にもつながりかねない。
 
では、その「表す力」をどのように養うとよいのか。話す技術も必要であろうが、やはりまずは「書く力」を目指すのがいいだろう。それは別の機会にお話ししたことがある。毎日何らかの文章を書いてゆけば、理屈ではない書く技術が備わってゆく。実践に勝る学習法はないのである。
 
今日から、一日少しの文章を、とにかく毎日書いてみること。自分の書いたものを客観的に見る眼差しを得ること。そして、可能ならば誰かに見てもらうこと。日々の積み重ねが、あなたの「表す力」を育むことであろう。
 
そして、そのためには、言葉の数を増やすことや、言葉の意味や成り立ちに関心をもって、様々な説明に積極的に関わってゆくことが望ましい。語彙と言ってもよいが、言葉を増やすことは、受験期にさしかかる前に、ぜひ日常の課題としてほしいものである。



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