感じる力

2026年7月11日

中学2年の皆さんに、国語に関するお話をしよう。国語の力として、文部科学省は四つの力を掲げている。そのひとつに「感じる力」というものが挙げられている。国語の文章を読み、問題を説くためには、ただ自分の理屈で押し通すというだけでなく、何かを感じ取らなければならない。
 
私は、子どもの頃、理屈はある程度理解できたけれども、その「感じる力」に欠けていることを自覚していた。他人の気持ちが分からないのである。あるいはいまでもそうかもしれない。
 
中学に入った頃、ギターを始めた。カッコいいように見えたのだろう。コードを覚えて、曲の仕組みが分かってくると、作曲をしたくなってきた。そして、当然作詞もしたくなる。好きな女の子への気持ちや、青春のもやもやを、言葉にした。その作詞は毎日のように続けた。高校に入る頃には、千くらい書き溜めることとなった。
 
詞という形にすると、そこに、自分の言葉が現れる。すると、自分はこんなことを考えているのか、と客観的に自分というものが見えてくる。この言葉の背後に、こんな気持ちがあるんだよ、という説明も加えてみた。
 
そういったことが、言葉の背後にある気持ち、あるいはその文章で伝えたいこと、そうしたものを「感じる」ことが、じわじわとできるようになってきた。
 
ただ文章を読もう、と力を入れても感じられないものが、自分が書くことを実践してみると、書いた人の立場、気持ちが感じられるようになってきたというわけだ。
 
ただ受け身で読むだけではない。それを書いたのは人間だ。自分が実際に書いてみると、書く側の思いを経験することができる。すると、そこに現れた文章が、ただの文字だけではなくなってくる。生き生きと、その心が、息吹が、感じられるようにすらなってくる。
 
だから、皆さんに、毎日文章を書いてみることをお薦めしている。自分の思いを書き留める。但し、SNSで言い放つような口調ではなく、必ず文章にしてみる。今日の授業はつまらなかったことでもいい。ただ不満をぶちまけるのではなく、どのようにつまらなかったのか、何故つまらなかったのか、文にしてみる。自分の思いを形にすることを、日々続けてゆくと、訓練されてゆくはずである。
 
何かを見るときにも、別の立場から見てみる眼差しがあることを知るだろう。こちらから見えているものは四角かもしれないが、横から見たら丸かもしれない。別の立場からの視界を、何らかの形で経験してみようとするといい。出口のない、困難な問題だと思えたことも、逃れる道があることに気づくかもしれない。苦手だと思い込んでいた人と、触れあう機会が与えられるかもしれない。
 
それまで感じられなかったものが、新たに感じられるようになる。そのチャンスを、自ら求めてみるといい。



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