京のみやこ
2026年7月9日

学生時代から結婚後しばらく、京都にいた。せっかく京都に住んでいるのだから、いろいろ行ってみなきゃ。京都で生活しているとき、そう思った。いざ住んでいると、日常に追われ、「いつでも行ける」という安心感から、実はそんなに巡ってみてはいない、ということがある。それに気づくと、行ける機会があれば行ってみよう、と考えるようになった。
電車とバスがあれば、基本的にどこにでも行ける。有名どころから始め、だんだん見聞が広がってくると、関連地を調べてでも訪ねることにした。近ごろは、観光地として京都は大変らしい。オーバーツーリズムというのか、特に海外からの観光客がごった返しており、京都市民が市バスに乗れない、ということが常態化しているとも聞く。
確かに、何年ぶりかに京都駅に行くと、ここはどこの国だろう、と思われるほどに、日本人の数が少なく見えた。否、日本人に見えても、話している言葉は中国語か韓国語であることさえ多かった。
まだそこまでにはなっていない頃だった。そこそこ、あちこちに行けたと思う。もちろんある程度偏りはあって、衣笠や北山の方は、ゆっくり巡ったことがあまりない。西京区も、言うほど歩いてはいない。観光地が離れていることが多いため、歩くという感じではなかったせいでもあるだろう。南区や山科区も、行った場所は限られている。
福岡に戻る前に住んだのは、中京区である。福岡で言えば赤坂辺りに匹敵するのではないかと思うが、比較的安価な家賃で助かった。信長が死んだ本能寺(いまの本能寺ではない)跡が近くにあったし、解体新書の舞台も傍だった。二条城は庭のようなものだった。堀川通や御池通も近かったが、これらがやたらだだっ広い道路であるのは、太平洋戦争のときに軍が強制的に家を潰したためである。
歴史の本でしか見たことのない名前が、京都の随所にある。街中でも、歩いていれば立て看板があり、読むと「おおお」と思うようなことも度々あった。京都から福岡に戻って後に、歴史について知識を得るようなこともあった。
京都を舞台にした小説や映画があると、懐かしい思いがする。細かく描写されていると、小説でも食い入るように見てしまう。河原町のジュリーを描いた『ジュリーの世界』は、実に細かかった。河原町のジュリーには私も出合ったことがあるし、その死の報道のことも覚えている。小説が、どこまで真実を伝えているかは分からないが、ひとつの想像できる世界ではあっただろう。
京都には「いけず」という文化があることは確かだ。「お子さん、ピアノ上手にならはりましたなぁ」という言葉は、「ピアノうるそうてかなんわ」という意味に翻訳して受け取らなければ市民生活ができない、といった具合だが、俗に言われるようなことが日常的にあるわけではない。特に、学生は外部から来て、京都の街を活性化するのも確かだし、京都に住むのは一時的なものであることが多いので、学生は大切にしてくれる印象がある。尤も、私が田舎者だから、裏の文化に気づいていなかっただけかもしれないけれども。
お世話になった人が数多くいて、さらにその恩を仇で返したような場合もあって、思い返しても自分の愚かさには腹が立つ場合があるが、やはり一番良かったことは、信仰が与えられたことであろうし、かけがえのないパートナーと出会ったことであろう。二人の子どもも与えられ、金銭的には苦労しながらも、飢えるようなこともなく、路頭に迷うような目にも遭わなかったことで、守り支えられていたのだとしみじみ思う。
京都にいた頃の常識は、もはや通用しない。京都駅も全く別ものになった。歴史的な観光地そのものは、大きく変わっていないだろうと思うが、もし機会があれば、一週間くらいゆっくりまたあちこちを巡ってみたいものだと思う。やはり日本の「みやこ」は、京都を置いて他には考えられない。