想像の翼

2026年7月3日

奇妙な企画があったもので、生徒に励ましのスピーチをする、という業務命令が塾で下された。国語の授業時間だったので、国語の学習に役立つことがいいと思った。「がんばれ」のような精神論を話しても、そんなこと言われなくても中学生は分かっているし、心に響くはずがない。
 
幸い、勉強に意欲的なクラスだったので、言葉を選べば分かってくれそうな気はしていた。実はそのクラスでスピーチをするのは、二度目だった。そういう割り当てが与えられるのである。
 
文部科学省の国語の中核としての四つの力は、どの国語教師も心得ていることである。最初のときには、その第一として「感じる力」について話した。二度目には、「想像する力」を選んだ。「想像の翼をひろげる」ことで思い出すのは、NHKで放送された連続テレビ小説「花子とアン」であった。そこで、自分の家から『赤毛のアン』の文庫を持って来ていた。
 
文春文庫の新しい訳を生徒に見せて、主人公のアンが、目に見えるものの背後にどんな物語や思いがあるだろうか、と自分の想像に任せて、いつも見えない世界を思っていることを告げた。現実に問題に出会う。出口がないような困難を覚える。でも、見えるものだけで物事は完結しない。目の前のことに縛られず、そこから解放されて、別の道があることを信じてゆく。
 
「アン・シャーリー」というアニメ放送をきっかけに、以前読んでいた『赤毛のアン』のほかに、シリーズ8巻を全部読んだことで、自分にも小さな翼が生えただろうか。しかもこの文庫本には、かつてなかった素晴らしい注釈ノートが付いている。
 
読書感想文めいたものを、ウェブサイトに公開しているという話を、彼らには以前話していた。『赤毛のアン』シリーズもそうしたら、訳者もその記事を読んでくれていることがある日分かって、励みになったことも知らせた。
 
想像に逃げ続けることは、よくないかもしれない。だが、見えるものに迫られて逃げ場がないときに、想像の世界は、見えないものの存在を教えてくれる。そこに希望が与えられたらいい。そして、その希望に道がつながってゆくことを胸に、現実に戻ってくると、いままで見えなかったものが、見えてくるかもしれない。否、そんな経験をこれまで幾度してきたか知れない。
 
がむしゃらに、自分の気持ちだけを押し通すのではない。アンは、想像の世界を泳ぎながらも、必ず目の前の人の心をも考え、大切に扱ってきた。すると、友だちや周りの人もまた、同じように想像の世界をもっているから、互いにもっている希望が重なり合うならば、それまで現れてこなかったような新しい現実がそこから創造されてゆく。
 
本はいい。「いまここ」に縛られず、「いつでもどこにでも」自分を連れて行ってくれる。勉強で忙しい中学生も、良い本との出会いを大切にしてほしい。



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