モリユリのこころのメロディ震災特別番組

2024年1月16日

今年もこの日がくる。1月17日である。あの時も寒かった。とはいえ、私がその寒さの中で震えていたわけではない。被災者の姿である。私はぬくぬくとしていた。でも、あの姿を見ていたことは、忘れられるものではない。
 
だが今年は、また別の思いも駆け巡る。神戸よりもさらに寒い地域で震える方々のことだ。雪が積もる風景の中に、人々がビニルハウスの中で過ごしている。人は野菜ではないのに。
 
地震は、住むところをも奪う。それも、たいへん多くの人を、一度に窮地に追い込む。もちろん火災も怖いが、大規模の火災は、地震抜きには起きにくいと思われる。
 
しかも、いつ起こるか予測がつかない。可能性は頭に置いておいたとしても、緊張感をもって迎えることは無理だ。注意しておいて防げるというものでもない。もちろん、対策はある程度できる。耐震構造の建物、家具の固定、その他いくらかの知恵は、人間は得ている。しかし、立つところを揺るがすことについては、対処の仕様がない、と考えておくよりほかにない。
 
阪神淡路大震災については、もう29年を経たという感慨深さも覚えるが、同時に、それを知る人が限られてくること、知らない世代が増えていくことに、寂しさのようなものを感じるのも事実だ。だが、その傷痕が完全に癒えたわけではない。心の傷は、時がいくらか軽くするとも言われるが、たぶん実際はそうではない。
 
いまのようにインターネットが展開している社会ではなかった。限られた情報から、人々は動いた。気づかないことも多かったが、デマの拡散がいまほどではなかったのは幸いだったかもしれない。否、何が良いとか悪いとか軽々しく言うべきではない。
 
2014年10月に始まった、奇蹟のようなラジオ番組がある。「モリユリのこころのメロディ」という。ラジオ関西で夜のゴールデンタイムに置かれた30分番組である。森祐理さんについての説明をいくらでもお話したいが、全部はできない。ともかく、キリスト者である。教会学校に通い始めたことから信仰をもち、家族皆を信仰に導いた。
 
番組では、パーソナリティとして、自らを「福音歌手」と称し、聖書の話をメインに、心の歌を繰り広げている。一度放送曜日が変更されたが、キリスト教を、押しつける姿勢は少しもないが、真っ向から掲げて語る番組が、信ずる人に限らず、心優しいものとして受け容れられ、10年目を走っているのだ。
 
森祐理さんは、阪神淡路大震災で、最愛の弟を喪っている。神戸大学を間もなく卒業し、讀賣新聞に入社が決まっていた。歌手としての道を始めようとしていた祐理さんは、悲しみの中、「失望を希望に」と歌い始める。
 
特に、災害が起こると、どこへでも走って行った。地震となれば、海外へも出向いた。台湾は地震が多い地である。現地の言葉でも歌い、多くの人を慰めた。その長年の労に報いる形で、2019年には台湾政府から「外交の友貢献賞」を受けている。
 
1月17日が来る度に、番組では毎年特集を放送した。しかしそれは、その日に近い通常の曜日であった。それが、この2024年、17日当日、しかも時間枠を超えて、震災特別番組という形で、放送されることになった。午後6時〜7時、ラジオ関西にて「モリユリのこころのメロディ震災特別番組〜弟・渉の命がつないだ希望」と題して放送される。
 
ラジオ関西の周波数は、どうかするとAMラジオで九州でも聞こえる。が、いまはインターネットの時代である。radikoから全国どこでも聴くことが可能になった。但し、関西地方でなければ、有料の「ラジコプレミアム」への登録が必要である。
 
ところがこの「モリユリのこころのメロディ」、ウェブサイトにて、過去の全放送を聴くことができるように配慮されている。いまなお、2014年の第1回から、聴くことができるのである。この特別番組も、恐らくそうなるとだろう。
 
過去の震災のことを思い出している暇があったら、いまの被災者のことを考えろ。たぶんネットの中からは、そんな声も出てくるだろうと予想される。独善者は、自分の中でそれを信じている限りはよいのだが、他人を蹴散らし始めると、厄介である。
 
能登地震についても、その救援について、阪神淡路大震災の教訓が活かされていない、という指摘があった。過去の経験は、いま役立つものだと私は信じる。あの阪神淡路大震災において、中井久夫という精神医学者の対応と、そこから得られた経験が、その後どれほど災害で苦しむ人々を助けることとなったか、知る人はちゃんと知っている。
 
中井久夫氏の「災害がほんとうに襲った時」という当時の文書を、いま著書で扱った最相葉月さんが、出版社の許可を得て、いまウェブサイトkで公開している。中井久夫氏は2022年に亡くなっているため、この試みは2016年の熊本地震に対しての措置であった。
 
中井氏については、死後もまた特集が組まれた本が次々と出版されており、私も著書を含め数冊読むことができた。何らかの形で、皆さまにも触れて戴きたいと願っている。
 
人間は、歴史から学ぶことができる。いまの人を助けるためにも、過去の出来事の経験は、大いに力になり得ると考える。逆に、「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」というドイツのヴァイツゼッカー大統領の言葉は、災害とは別のフィールドをも頭に置いて語られていたが、私たちが常に戒めとしなければならない言葉であるだろう。
 
モリユリのこころのメロディ震災特別番組にも、関心をもって戴ければ幸いである。



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