地震と事故に

2024年1月6日

人間が決めた暦など、自然は知る由もない。正月、しかも元日という、日本で特異な時、激しい地震が起こり始めたことは、特殊な被災状況をつくってしまった。東日本大震災も強烈だったが、私には阪神淡路大震災が重なって見えた。都市建築と比較的近代的な住宅が並んだ関西と比較して、古民家的な特徴の目立つ石川県の町々の被害は、実に痛々しい。熊本地震でも、民家の被害は大きかったが、被害の度合いはさらに増す。阪神淡路大震災の規模よりも数倍あろうかというエネルギーが、道路などまでもねじ曲げた。
 
言葉数を多くしたくはない。偉そうなことを言うのは、実に醜い。誰の助けにもならないし、自分を誇るような口の利き方になりかねない。辛い方々に助けがあることを願い続けたいし、実際の助けをなしている多くの方々に敬意を表したい。
 
石川県には行ったことはないが、昨年はアニメーションでずいぶん注目された。『君は放課後インソムニア』(七尾市)と『スキップとローファー』(珠洲市)である。どちらも、心理描写に優れ、好感度も高かった。同じ4月から一クール放映されたというので、よけいに石川県の印象が強く伝わってきた。前者は星空を観測することを背景に、後者はそこから東京に出て来た高校生の素朴な性格と友情が、視聴者をほっとさせた。
 
阪神淡路も、決して傷が癒えたとは言えない。都市災害の被害の大きさと、また比較する必要はないのだが、ここからもまた「復興」という言葉を目指さなければならない点においては、現地の方々を支えるだけの力はないと言わざるを得ない。
 
正月休みを想定していた方々が、全力で救援活動に向かう。総理大臣や閣僚関係もそうだ。報道されないままでも、救援活動のために道備えのために勤しむ方々がいることも確かだ。交通機関も、人の必要のためにただならぬ努力を展開してくれた。
 
その救援物資をもたらす飛行機の事故があった。亡くなった方には敬服したところで、命が戻るわけでもないが、これもまたかける言葉がない。事故そのものが衝撃的だったが、幾度も映像を流す報道は、必要だったのか、些か心が落ち着かない。航空機から乗客の脱出を導いた職員には、プロの役割を改めて教えられた。多くの方々がなお尽力している。感謝の心しかない。さらに、現地で公務に携わる人々は、被災者であると共に奉仕者にもなっている。これも、阪神淡路大震災の時の有様から、特に知られるようになったと言えよう。中井久夫先生がそれを沢山書き遺している。安克昌先生を通して詳しく知ることとなったその背景を、もっと多くの人々に知って戴きたいと願っている。
 
自分の見栄と利益のために、真摯に努力している人を愚弄するような真似を働く者が現にいるということに、やるせなさと憤りを覚えるけれども、それほどに「心なき」者については、関わること自体が、汚らわしいとも思う。
 
だからまた、「祈りましょう」というかけ声も、確かに大切である。しかし、そのことで何かよいことをしたのだという満足感を覚える心理については、すでに心理学からも明らかになっている。自己義認している場合ではない。
 
そしてなお、「心なき」私を、命を棄てて愛した方が実際にいたのだ、ということを、改めて噛みしめる。だからまた、震災とその後を、幾度か苦しい気持ちで見つめ、幾らかでも関わってきた身である。当時者の現実の苦難には遙かに及ぶものではなく、比較の意味もないのだが、息苦しさと胸の痛みを覚える。その中で、九牛の一毛以下のレベルではあるが、また何らかの関わりをもつようにする。
 
大きな被害を受け、揺れ続ける地の上にいる人たちの心がどんなに傷つき、恐ろしいか、貧しい想像力だけで分かったつもりにならず、目と耳と心を注いでいかなければならない。



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