愛する者を喪うとき

2023年12月19日

猫を地域の中で育もうという運動に、陰ながら参加している。広い公園に、猫が百匹近くいるという。ボランティア団体があり、朝に夕に、餌を配し、住まいを調えている。雨の日も、風の日も。
 
今年、何匹かの猫が、虹の橋を渡って行った。虹の橋――これは、愛する猫が亡くなることの、ひとつの雅語である。
 
それまで親しくしていた相手が亡くなるのは、辛い。猫でも、情が通じると、そう思う。肌の温もりを知っていたら、なおさらである。
 
まして、その中でも「友」と呼びたい子であったら、どうなるか。
 
彼を知ったのは、コロナ禍に入る頃だった。それまでにも見たことはあったが、コロナ禍に入ると、妻はこういう広い公園でなければ、外出がままならない。医療従事者は、初期には酷い偏見も受けていた。また、職業上、相当な覚悟を以て業務にあたり、生活面でもピリピリしていた。
 
公園にいる猫も、何度も見ていると、こちらを信用してくれる。元より、ボランティアさんたちとのふれあいもあるし、道行く人も可愛がってくれることがあるために、人間に親しく寄り添ってくる子も少なくない。私たちも、そうして何匹かと友だちになっていった。
 
とくにその彼は、妻のお気に入りだった。ちょっとつれなくて、ツンデレ気味で、でもそれなりに寄ってきてくれる。第一印象は強面だが、さほど威張っていないこともすぐに分かった。
 
妻は、特に彼に癒やされていた。さらに言うと、彼に支えられていた。コロナ禍が何年も続いたからだ。
 
教会の礼拝もリモートとなった。時折、規制が緩み、教会に集まることもできていたが、そのうち教会が、だんだんおかしくなっていった。妻は手話通訳を担っていたが、通訳する価値のない「説教」ができない新しい人を、大歓迎して招き入れたのである。手話で福音を伝えるという使命をもっていた妻は、全く内容のない「説教」を通訳することが苦痛になった。これもまた、ダメージとなったが、その細かなことについては、いまここで述べる必要はないと思う。ただ、神は真実であって、恵まれた説教にその後支えられることとなる。
 
毎週、彼に会いに行った。わずかな時間しかふれあわないのだが、それで満足だった。ボランティアさんたちとも親しくなり、時には彼の様子について情報を伝えることもあった。彼は元気に何年かを過ごした。
 
最初のころ、家で誰かを飼わないか、という声をかけてもらうことがあった。だが、公園では猫たちもそれなりに仲間がいる。我が家は留守がちでもあり、飼うということには勇気が要る。家にいたほうが幸せなんでしょうか、と訊いたことがある。するとボランティアさんは、かなりの確信をもって、家のほうが幸せです、と言い切った。
 
いまごろになって、その言葉の重みが分かった。ただ、遅かった。
 
その前の週も、普通に彼と会っていた。今年、ちょっとストレスがあるか、というような行動をしていたこともあったが、長引かなかった。夏にはちょっと痩せたかな、と思うこともあったが、夏にはよくあることだと思った。秋には、また体系が戻ってきたように見えたので、さほど気に留めなかった。
 
次の週、彼はその場所にいなかった。姿が見えなくても、さほど遠くには行くものではない。名を呼べば、知った者の声だと姿を現すものである。ボランティアさんと探したが、呼びかけても出てこなかった。何日か、食欲が落ちているようだった、との報告を聞いて、とても心配した。
 
翌日、私が休日だったので心配して立ち寄ると、その日の朝、保護された、と教えてもらった。しかし、食欲がなく、体温が低いという。病院で診てもらい、ボランティアさんの家で見守られることとなった。
 
金曜日、私がまた立ち寄ると、さらに具合がよくないという。病院でも、治療というふうにはいかない情況だった。ぐったりしているが、まだカメラに向かって鳴く声が、ちゃんと出ていた。十日前には、何の変哲もない様子だった彼だったので、私はまだ受け容れられなかった。あの、ちょっとふてぶてしいような顔の彼が、確かに弱っている。
 
日曜日、礼拝の後で妻と公園を訪ねた。ボランティアさんは、私たちを見ると、駆け寄るように来て、それを告げた。
 
金曜日の午後、15時過ぎ、息を引き取ったという。
 
ボランティアさんと三人で、その場で泣いた。
 
たくさんの写真を私は撮っていた。家で、あたりまえに元気だった彼の写真を見ると、また涙が流れた。妻の「推し」の子だったはずなのに、私もまた、強いダメージを受けていることを意識した。かなり、きている。いまも、しんどいのは確かである。
 
5年前、私は母を喪った。宣告からはそう長い時間ではなかったが、ホスピスに連日通う中で、私の心は次第に受け容れる準備ができていったのだと思う。辛い、悲しいことだったが、母について、今回ほどには、涙を流してはいない。
 
人間、愛する相手を喪うことについては、「時間」が必要なのだということを知った。もちろん時間さえあればよいというのではないが、「時間」によって、いくらかでも心の準備というものが、なんとか自分を護ろうと働くものなのであろう。それなりの覚悟をつくる備えが与えられていたのかもしれない。
 
突然、家族を喪った人がショックであることは、もちろん想像できた。その原因が何であれ、予想もしなかったことで亡くなったとしたら、たいへん辛いだろう、と頭では分かっていた。しかしこの度、この何らかの形で受け容れる「時間」がなかったら、その辛さは、想像していた以上のものであるに違いない、というように教えられた。私はこれまで、辛い人の気持ちなど、少しも分かっていなかったのだ。
 
だからまた、その辛さを知る神の業は、どれほどのものなのか、気づかされるようにも感じた。金曜日の午後、15時過ぎ。聖書をご存じの方は、この神秘にすでにお気づきだったことだろう。彼に3日目の復活はなかったかもしれないが、しかし……。



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