赤十字活動への理解

2023年12月15日

発端がどうであるかなど、さしあたり無視したい。イスラエルとパレスチナはガザ地区のハマスとの間の戦闘は、その後、イスラエル側の一方的な攻撃が続いている、という情況のようである。
 
報道されることしか知らないし、背景に詳しいわけでもない。たとえ詳しかったとしても、安易にどちらがどうなどと言うのは、控えることとする。それは生温く見えるかもしれないが、安易に「正義」を持ち出したくないということだ。どっちの側につくのか、と迫られようと、特に当事者でないときには、一部の声の影響だけで事の正邪を判断したくないのだ。
 
しかし、何らかの意味で当事者となって現地に関わる人々がいる。たとえば、国際赤十字活動である。そして、日本赤十字社も、現地で救援活動を行っている。その活動と声については、直接赤十字から発信される情報をご覧戴きたい。私が変に曲げて伝えることはよくないと考えるからである。
 
しかし、穏やかならぬX(twitter)が入ってきた。一部を引用することをお許し戴きたい。
 
【イスラエルとガザで起きていることに関して、赤十字の ”物足りなさ” がさまざまに取り沙汰されています。

「最前線にいるならもっとできることがあるのでは?」
「声を上げて糾弾すべきでは?」 】
 
どうやら、現地で攻撃を止めさせる動きをしないのはけしからん、という声が上がっていたようである。そうか、それほどまでに、赤十字活動というものは、知られていないのだ、ということが私にはショックだった。続けて、次のような言葉を挙げていた。
 
【私たちの「中立」とは、紛争から遠ざかり、当事者とも距離を置く、といった回避的・消極的な姿勢ではありません。
 
犠牲者へのアクセスを確保する目的で、全ての関係当局 ・勢力と平等に接し、話し合い、信頼されるための手段です。】
 
しかし、これらに「いいね」は、せいぜい百くらいしかついていない。赤十字活動は「中立」の原則を貫く活動であるが、現地に行くのならなんとかしろ、というような無理解な――そしてしばしば無責任な――声が非難となってぶつけられてゆく一方で、その理解を求める声には大した反応がないのである。
 
もはや一般には、アンリ・デュナンの名も知らずに、ただ奉仕活動のように献身的に働くグループだという程度の認識しかないのかもしれない。一時、赤十字マークのコスプレが出たときに、赤十字は厳しい抗議をしたが、それさえも奇異の目で見られていたかもしれない。その活動は、理解されていないのだ。
 
赤十字の「中立」の原則は、そのウェブサイトにおいて次のように宣言されている。
 
【すべての人からいつも信頼を受けるために、赤十字・赤新月は、戦闘行為の時いずれの側にも加わることを控え、いかなる場合にも政治的、人種的、宗教的または思想的性格の紛争には参加しない。】
 
参加しないからこそ、活動ができる建前になっているのだ。戦場での活動でも、防弾ガラスや防弾チョッキを使用しない。命を守るものは、国際法という約束のみである。命懸けで働く医療関係者に対しても、無知の故に安全なところから無理解な誹謗さえ投げかけられるというのは、個人的に納得がいかない。
 
私は、ごく僅かな間ではあったが、赤十字活動に関わったことがあるから、ささやかな程度ではあるが、最低限のことは心得ている。しかし、そのことを敢えて大きく発言したことは、これまでなかった。これはいけないことだ、と省みた。従って、いくらかでも、触れて述べてゆきたいと考えている。
 
もちろん、私自身は無力であり、無責任である。おまえこそ安全な傍から正義ぶって言っている張本人ではないか、と言われれば、何も否定はできない。しかし、関わりがないとは考えていない。この戦闘についても、自分がただの傍観者であるという意識はない。戦闘を起こし、また続ける働きの一端を担っているような気持ちを、常に懐いている。人類の罪であるならば、誰か他人が悪いとしか思わない態度とは、私は明確に線を引いていたいと思っている。



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