ハッピー・クリスマス

2023年12月13日

12月8日は、真珠湾攻撃を以て太平洋戦争が始まった日。細かな事情はさておき、日付としてはこの日を、覚えておきたいと考えている。だが、中学生は、殆どこの日付を知らない。日本国憲法の公布と施行については、日付を正確に覚えないとテストに出るから覚えるが、テストに出ない日付については、知る由もないらしい。アメリカにとり、国内を初めて外部から攻撃された、屈辱の日であるために、いまなお憎しみを抱く人もいる。その攻撃総隊長の淵田美津雄さんの回心と伝道については、かつて記したことを覚えておいでの方もいることだろう。
 
同じ12月8日はまた、ジョン・レノンの亡くなった日でもある。衝撃的なニュースがその日、世界中に流れた。あの中村哲氏の死も同じ12月の4日のことであり、これも衝撃であったが、同じように理不尽な銃弾に倒れたこと、平和を願う人物であったことなど、私の思いを重ねるところのある方々でもある。
 
ジョン・レノン。ビートルズのメンバーで、詞に曲に、そして歌にと、バンドの色彩を決めるような立場にあった。キリストへの冒涜のような言葉が物議を醸したこともあったし、ソロとしての有名な「イマジン」も、そうした宗教を争いの材料にしか描いていない。だが、1971年に、「ハッピー・クリスマス(戦争は終った)」(Happy Xmas (War Is Over))を発表している。オノ・ヨーコとの作品ということになっている。
 
ベトナム戦争への抗議を背景に、政治的な主張をもたせている作品であるが、商業的な益も当然計算に入れてのことだから、予想ほどのヒットにはつながらなかったことは、悔しかったかもしれない。ただ、こうした人物が政治的なメッセージをこめて歌うということは、一般に大きな影響力をもつものだったと言えるだろう。
 
ジョン・レノンの名は「John」だから、ヨハネのことである。もちろん西洋ではよくある名である。たとえ当人がキリスト教を敵に回したとしても、その名はついてまわる。また、そもそもこの曲が、クリスマスを歌っているということで、ジョンもまた、キリスト教文化の中で叫んでいるように、私には見える。
 
この曲を、当時小学生だった息子と共に、教会のクリスマス会で歌ったことがある。まだ彼はギターを始めて間もなかったが、演奏するに問題はなかった。お年を召した方の多い教会では、そんなに内容が届かなかったかもしれないが、曲自体は、年代からして聞いたことのある人は少なくなかっただろうとは思う。
 
 War is over!
 If you want it
 War is over! Now!
 
最初は和やかなクリスマスの風景。その後、次第に世の中のことを描き出し、上の言葉が最後にリフレインされる。――戦争は終わる。望みさえすれば、いますぐにでも終わるのだ。
 
ウクライナへの攻撃が始まり、二度目のクリスマスを迎えようとしている。パレスチナへの攻撃については、初めてのクリスマスである。もちろんイスラエルの場合はクリスマスは関係がない。むしろ「ハヌカ」であろう。ロシアは教会が戦争の後押しさえしているので、クリスマスはどういう形になっているのか、関心を寄せたいものである。尤もロシアでは、12月25日より2週間ほど後の話になると思うが。
 
ジョン・レノンの歌詞から考えるならば、戦争が終わらないのは、私たちが望んでいないから、ということにもなる。からし種一粒ほどの信仰があれば、山も動く、とイエスは教えた。確かに、聖書の空気の中で、この歌詞も生まれたことになるかもしれない。私たちは、教会で歌う。祈る。だが、それは信仰によってのことなのか。戦争はまだ続いているではないか。戦禍に喘ぐ人、命を落とす人、増え続けるではないか。
 
教会では、ああいいクリスマスだね、などと笑顔で過ごす。美味しい料理を食べ、時にふざけた劇やクイズ大会でもやりながら、祈りの中で「戦争が終わりますように」とだけ口にして、自分はちゃんと祈ったのだ、という免罪符のようにしようとしていないだろうか。私たちは賛美歌を歌うが、その賛美歌の背後で、大砲やミサイルが飛び、住居が破壊され、食糧や水のない子どもたちが飢え渇いて死んでいる。
 
クリスマスとは何なのか。ジョン・レノンが正しいのではない。ただ、その歌を通して、私たちは何かを受け止めることはできる。聖書の言葉もそうだ。礼拝説教で、よく聞くクリスマスのあたりまえの話をまた聞いて、お勤めを終えたかのように、メリー・クリスマスと笑顔で乾杯して楽しく帰宅するということが、私には、とてもできそうにない。聖書の言葉をどう受け止めるか、どんなチャレンジを受けるか、そして自分の無力さにむせび泣きしながら、胸を締め付けられるような祈りと、誰かを助ける言葉とが、申し訳ないという思いと共に、零れてくるのが、関の山なのである。
 
因みに、ギターを弾いていた息子はその後、天才的な能力を発揮するようになった。どこでどう覚えたのか、耳で聞いただけの曲をピアノで再現し、ベースもドラムスもなんとなくで演奏できるようになってゆく。いまは大学でJazzギタリストとしてステージに立ち、九州を中心とした音楽関係の方々との交流にも忙しい。Jazzには人々の叫びがあり、ソウルフルな世界であると言えるだろう。そして彼は、哲学を学んでいる。



沈黙の声にもどります       トップページにもどります