仏教のすすめ

2023年11月19日

奇を衒った題を掲げてしまったように見えるかもしれない。これは、小冊子のタイトルである。書店に置いてあり、無料で持ち帰ることができる。非売品である。
 
サイズはA5で、130頁を超える。キリスト教系のブックレットの同サイズのものはいまや千円を超えるから、かなりの資金が必要になる規格と言えるだろう。
 
内容の殆どは、本の広告である。最初の十数頁に、東北福祉大学学長の千葉公慈氏による、「仏教という生き方」という文章が「エッセイ」として掲げられている。これがずばり「仏教のすすめ」というように理解できるだろう。キリスト教で言えば、量質ともに説教ひとつくらいのものである。
 
続いて、仏教や宗教関係の、7月までのこの1年間の新刊書が452点、二次元コード付きで並べられる。詳しく内容を知りたいときには、ウェブサイトを訪ねるとよい仕組みだ。
 
後半に、仏教の歴史が教科書的にまとめられている。インドからの歴史と、また別に日本仏教の歴史も別章で説明されている。世界史でも日本史でも、仏教に関する知識はこれで身につくと言えるほどのものである。
 
最後には、仏教書の「基本図書リスト」が、小さな文字で並べられている。こちらにはコードはないが、全集ものなどもある。
 
私がもらってきたのは、もちろん最新の2024年度版である。
 
『キリスト教書総目録』なるものもある。新しいものは手許にないが、以前手にしたときの印象では、正に本の目録であった。もちろん、日本キリスト教団出版局だけの目録もあるし、教文館や新教出版社なども各社で目録を出している。いまやそれぞれダウンロードできて、便利である。
 
だが、それは「目録」なのである。必要とした人だけが関心をもって調べるものである。ウェブサイトには、キリスト教関係の図書だけが検索できるものもある。だが、検索だけである。
 
つまり、「キリスト教のすすめ」の文章や、キリスト教の歴史を教えてくれる文章が、そこに混じることがないということである。ただの事務的な目録はあるけれど、読み物がない。
 
もちろん、キリスト教ではずっと以前から、さかんに「トラクト」という伝道文書が作られている。今どきはやはりインターネットを利用した形のものが多くなったが、昔ながらの印刷物のトラクトももちろんある。人に手渡したり、送ったりするのには重宝するだろう。そこには、「キリスト教のすすめ」の意味をもつ文章や記事が満載である。新聞形式のものもあるし、ミニ冊子となっているものもある。それはそれで役立つものとなることだろう。
 
では、そのトラクトで少し興味が出たときに、何かお薦めの本があるのか、渡された人が知りたくなったとしよう。その情報は、そこには普通ないと思うのだ。「聖書を読めばいい」というのは結論であろうが、いきなり聖書を読むということの危険性は、クリスチャンの誰もが知っている。新約聖書の第1頁を開いた瞬間、挫折させようと企んでいるかのようなものである。時代も地理も異なる文化の古代文書を、いきなり本文をどうぞ、というわけにはゆかないだろう。
 
トラクトの次は、聖書を読んでください、あるいはまた、教会に来てください、というようなメッセージを発信しているだけではないのか。もしそうだとすれば、なんだか寂しい気がする。私もまた、その程度のことしかしていないので、強気で言うつもりはないのであるが。
 
この『仏教のすすめ』の小冊子は、確かに内容は図書目録がメインである。だが、タイトルには「目録」という文字が一切見られない。それどころか、目次にもないのだ。「目録」は、本を探したい人が利用する事務的な一覧だが、そのためのものではないことを、これは表しているのであろう。もちろんこの小冊子は、仏教書販売出版社の一定の協同体によるものであるが、単なる「目録」ではない。まさに「仏教のすすめ」なのである。私は、そこに魅力を覚えた。
 
「キリスト教のすすめ」の文章に加えて、こうした本がありますよ、お薦めします、という案内の一覧が載った小冊子があったらいいかもしれない、と私は思った。



沈黙の声にもどります       トップページにもどります