リスボン地震に思う

2023年11月1日

万聖節。ご存じない方も、その謂われなどについては、ウェブサイトに良い説明が多々あるのでご覧くだされば幸いである。西洋のお盆のようなイメージで想像して戴いてもよいだろう。キリスト教が聖書から考えたお祭りであるようには思えないが、その前夜がいわゆるハロウィーンであり、日本でも近年有名になった。
 
1755年11月1日の朝、当時世界最高の都市の一つであったポルトガルの首都リスボンは、この万聖節で、賑わい始めようとしていたと思われる。午前、ポルトガル近海を震央とする地震が発生する。地が揺れた。何分間も揺れが続いたという。推定マグニチュード8.5以上、建物倒壊の上に、火災と津波も重なり、死者は数万人に上ったらしい。リスボン市民の三分の一が死亡した、という報告もある。
 
哲学者カントは、ほぼ最初の大学教授としての哲学者だとも言われるが、当時の文化人がよくそうであったように、いまでいう科学研究者でもあった。宇宙生成の理論は今なお一定の説として尊重されているくらいである。その他、初期に地震についても仮説を展開している。当時、地震について科学的考える人は殆どいなかった。そう、リスボン地震に衝撃を受けたのだ。物理学や地理学も多くの講義をしているカントであったが、この地震についてはかなり綿密な考察をした。カントの説は結果的には今に引き継がれるものはなかったが、それでも地震についての研究が始まったことへの功績は認められている。
 
ルソーやヴォルテールなどがこの地震についていろいろ考察はしたものの、科学的というものではなかった。しかし、ヴォルテールが、当時人気だったライプニッツの楽観論を徹底的に揶揄する作品を書いたことは有名である。この地震はなんと悲惨なことであることか、それを神がもたらした最善などというのは、なんたることか、という憤りが隠れている。
 
ポルトガルはこの後、国力としては衰退の一途を辿った。正に世界の歴史を変えた地震となった。東日本大震災の後に、日本では特にこのリスボン地震についての注目が強く、阪神淡路大震災を経験した兵庫でも、地震に対する都市のあり方や復興について、チームを立ち上げて調査と報告を行っている。
 
この報告は、詳しく多角的であるけれども、災害対応と都市再生のための分析である。これに対して、ノンフィクション的著作ではあるが、社会や思想における当地の姿を描いた本が最近発行されている『リスボン大地震:世界を変えた巨大災害』というが、値段が張るために私には手出しができないでいる。研究書ではないから、史料としての価値はないかもしれないが、その意味ではペストを扱ったデフォーの『ペスト』も同様である。これは安価で入手できるので読んだが、当時の社会が生き生きと描かれており、興味深かった。
 
リスボン地震については、経済的・政治的な衰退という一面も注目すべきではあるが、精神的なものも重大である。教会のお祭りの日に、天罰のように大災害が起きたということは、人々の信仰心を揺るがす出来事であったということだし、さらに、近代科学や産業革命の時代と移ってゆく中で、旧態依然とした教会の権威の失墜につながった、ということでもある。教会は、人々を指導する立場を削られてゆくことになる。すでに近代科学の世紀となっていく中で、宗教は次第に社会の片隅へと移動させられてゆくようになる。そしていまもなおその流れの中にある、と言ってよい。
 
キリスト教会が人間社会を牛耳る時代がよかった、とは思わない。だが、西欧諸国はキリスト教文化だ、というようなぼんやりしたイメージで日本人のクリスチャンたちが酔い痴れていることは、勘違いである。いま世界では、キリスト教会に元気があるのは、南米やアジアではあっても、西欧諸国ではない。アメリカはアメリカで、どこか歪んだ信仰意識があって、内に妙なエネルギーを溜めているような不気味さも感じさせている。
 
リスボン地震当時、日本は、八代将軍徳川吉宗の享保の改革の後、本居宣長や杉田玄白、平賀源内や円山応挙といった文化人がいた時代であった。日本は地震国のひとつである。歴史に残る大きな地震とその被害についての記録も残っている。かと思えば、太平洋戦争中に起きた東南海地震(1944)や三河地震(1945)のように、一般に報道がなされなかったものもある。むしろアメリカではこの情報を掴み、大きく報道されていたというから、日本人の方が知らなかっただけ、ということのようである。
 
どちらもマグニチュード7前後で、千人単位の死者が出ている。また、戦後1948年には、地震の規模としてはさらに大きな福井地震も起こり、多数の被害が出ている。その後はしばらく時間が空いて、日本海中部地震(1983)、釧路沖地震と北海道南西沖地震(1993)、三陸はるか沖地震(1994)と、マグニチュード7以上の地震が続き、1995年の阪神淡路大震災が、都市型災害として甚大な被害を出している。
 
2005年、福岡でもマグニチュード7.0を記録する福岡県西方沖地震が起きた。3月20日の日曜日の朝であった。以前もお話ししたが、この日、子どもメッセージとして、イースターの手作り紙芝居をある方が話している最中だった。イースターは翌週27日であり、この日は受難日であった。
 
亡くなった方もいたのであまり良く言いたくはないのだが、玄界島の被害が大きかったにも拘わらず、各地の震災報道にあるような甚大な被害が続いたわけではなかったのは助かった。だが、万聖節ならずとも、キリストの十字架を覚える礼拝の朝、まさに礼拝の最中に揺れたということについて、その後教会でも信徒の間でも、動揺することはなかったように思う。
 
しかしそれでよかったのかどうか、私たちはもう少し考えてみる必要があるに違いない。



沈黙の声にもどります       トップページにもどります