化学反応

2023年10月14日

CHEMISTRY(ケミストリー)というツインボーカルユニットがある。美しいハーモニーと共に、数々の名曲を世にプレゼントしてくれた。20年以上の音楽活動歴がある。一時数年間、活動休止の時期があったが、近年再び2人ででも活動している。「男子ボーカリストオーディション」で選ばれた2人が組まれてCHEMISTRYとなったのだが、それは「化学」の意味をもつ言葉である。つまり、1+1=2でしかなかったことが、化学反応を起こして、3にでも4にでもなるような効果が、2人の間にあるという意味を含んでいるのであるらしい。
 
「化学反応」については、中学の理科で学び始める。先日も「混合物と化合物との違いが分かりません」と、受験生に質問を受けた。物質というのは一定の性質をもつというレベルで区別されるが、複数の物質がそれぞれのままにただ混ざっているものが混合物である。つまり、最初にあったものは、最初にあったままでそこにある。食塩が水に溶けても、そこにあるのは依然として食塩と水である。
 
それに対して化合物となると、原子レベルで結合が組み替えられ、最初にあった物質がもはや存在せず、新たな物質が生じる、という現象となる。水素という気体と酸素という気体とが化合すると、もはや水素や酸素はなくなってしまい、新たに水という物質ができる、ということになるわけである。
 
ただ混ざっていても、元からあるものは変わらない。しかし、化合という化学反応が起こると、別の物質に変わる。化合と逆に分解という反応だと、水が水素と酸素とに分解される、ということになるが、別の物質に変わる、という意味は保たれている。このように、中学生には教えることになっている。
 
厳密な意味は知らないが、「化学反応」は「化学変化」とそう大きな違いはないように思われる。ただ、「化学反応」のほうは、どのようにして変化しているのかを注視しているような趣がある気がする。
 
CHEMISTRYの場合も、歌っているそれぞれが混ざっているだけというのではなく、1人のときには絶対に生まれなかった新たな世界が、2人が共に歌うことで生じてくる、という音楽を、象徴的に示しているのであろうと思われる。
 
いくら聖書を読んだとしても、それを「右から左へ受け流す」ような扱いしかできないと、しょせん神は神、自分は自分、という具合にばらばらである。多少混ざった現象は見られるかもしれないが、食塩水は熱すれば水が蒸発してただの食塩が析出されるだけである。
 
しかし、聖書を通して人が神と出会うとなると、そこに化学反応が生じることになる。私はもはやかつての私ではない。一粒の麦が死んで新たな命に生まれるように、それまでの自分とは違う者になる。人は、変わるのだ。
 
パウロが、最後のラッパが鳴るとたちまち変えられる、としたのも、終末における化学変化のような理解が可能かもしれない。しかしそもそも、救いというものは、人が神に出会って変えられることを抜きにしては考えられないものではないだろうか。「化学反応」は、どのようにして変化したのかが注目される、というように先に挙げた。神に出会って、変えられたのである。そのことは、その人の中で揺るぎない「反応」として記憶される。これが「証し」となる。それを口にしようがしまいが、事実として、その変化があったのである。



沈黙の声にもどります       トップページにもどります