魂を揺さぶる語り

2023年7月31日

諸事情から1ヶ月ぶりのその講壇は、長かった。話したいことが溜まっていたかのようであった。私は、夏期講習で日曜日の勤務であったから、動画の配信を待っていたが、夜遅くそれが届いた。そこからの個人的な礼拝となった。激務の連続の後だったため、体は果ててしまいそうだったが、魂は生き返った。
 
黙示録を連続して読んでいく形で、礼拝説教が語られている。今日はラオディキアの教会への手紙からであったが、それは私が自らのメッセージで今年の2月に取り上げた箇所であった。その時には、この黙示録シリーズのことを知らなかったから、偶然と言えば偶然である。私は「あなた次第」という題で、まずは黙示録を紹介し、ラオディキアについてもひととおりのことを記した。「自分が惨めな者……であることが分かっていない」というフレーズから、「汝自身を知れ」というソクラテスを思い起こした。私は一旦ヨエル書に転じ、「主に立ち帰れ」という部分に反応した。悔い改めの呼びかけだと受け止めた。その後、ラオディキア教会への手紙の内容に触れながらも、幾度か、戸口に立って扉を叩く主の音をリフレインさせながら、そのノックに歓迎の意思を示すことなど、ふつうないのではないか、と問うた。そのドアを開いて主と出会うに至るのかどうか、それは部屋の中にいるあなた次第なのだ、ということに気づくように導く。私もまた、かつてそのドアを開けることをためらっていた一人だった。だが、開いたとき、隙間から光が射し入り、主イエスの、疵ある掌がスッと入ってきたのだった。――そんなことを書いた。
 
今日の礼拝では、説教者の1ヶ月のブランクのときの出先の教会でのことが先ず語られた。それに関する意味もあったが、今日が七つの教会への手紙の最終回となったために、これまでの各教会への手紙を振り返る時間もあった。これが説教全体を長くした理由の一つでもあった。尤も、私はかつての教会で、短くて一時間という説教に慣れているし、説教を担当した時にも自ら一時間をだいぶ超えて語ったことがある。語るほうは、決して長くは感じないものだということを、体験的に知っている。しかし私のような要領の悪い話し方では、聴く方は辛かったことだろう。
 
植村正久牧師の説教についての考えに触れた点は、ありがたかった。「生きているイエス・キリストを紹介すること」こそが、説教の心得だと語っていたのだという。私も同じようなイメージをもっている。私の場合は「紹介すること」というよりも、「指し示す」という表現をよくとる。私自身はただの看板であり、道標なのであって、「イエス・キリストはこちら」と示している役割を果たす程度である。誰も、看板そのものに注目して評価するような人はいない。ひとは、看板の示すほうに関心を示せばよいし、そちらに向かって進んでいく。ただ、こちらに行けば生ける神に会えるのだ、という正しい情報を知らせることができたら、私は十分だ、と思うのである。
 
植村正久牧師というと、恐らく説教者は、加藤常昭先生がその言葉を敬愛し、また目指してきたことを踏まえて、ここに取り出したのではないか、と推測するが、私は最近、大関和(ちか)という人と植村正久牧師との関係をよく描いた本のことが、脳裏を過った。その本は、彼女を「明治のナイチンゲール」と称したが、日本の看護婦教育の基礎を築いた人であった。それは、当時の女性の置かれた情況からはよくあることだったかもしれないが、不遇な目に遭っていた嫁ぎ先から逃げ出すようにしたところ、関心をもった英語を教えていた植村正久牧師の教会に通うようになる。やがて信仰をもつに至り、看護に愛を見出し、当時は卑しい仕事と見なされていた看護職を、敬すべきものへと変えていくことになる。植村正久牧師とは、深い友情に結ばれていた、というようにその本は描いている。
 
説教では、ラオディキア教会の描写に留まらず、特にパウロの、自分を惨めだと称したローマ書の精神へと進んでいく。その一部に、「愛することのできない惨めさ」を、パウロは嘆いたに違いない、というような指摘があった。つまり、あの回心前の自分のことではなく、回心後の自分に関わる意味での「惨めさ」なのである、と。私は、まず「愛することとは程遠い」自分を神の前に見せつけられて、それから神の前に引きずり出され、イエス・キリストに救われるに至った。しかし、そこから初めて、「愛することのできない」自分を一層思い知らされるようになる。むしろ、神の愛を知ったからこそ、自分には本当に愛などというものがないのだ、ということが分かるようになったのである。
 
見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。(黙示録3:20)
 
ここには、よく見ると「わたしの声を聞いて」というフレーズがある。この「わたし」はイエスのことだとしてよいかと思うが、イエスは戸を叩くだけではなく、声を発しているのである。呼びかけの声である。神からの呼びかけがここにあったのだ。このように、五感をフルに活用した聖書の読み方というのは、とても大切なことだと思う。私もそれを語ることを逸していた。さすがの説教者である。そこにあったのは、戸を叩く音だけではなく、主イエスからの呼びかけの声があったのだ。
 
その声は、気づくかどうかは別として、常にすでに、ここにある。また、キリスト者は、自ら求めて、主日ごとにそれを求めて礼拝に加わる。
 
しかしここで、説教者は驚くべき問いかけをする。「そもそも、その部屋の中に、あなたはいると言えるのか?」と。私の心の扉をノックするイエスを、迎え入れるかどうか、という程度のレベルでしか思い描いていなかった私とは違う。そもそもそのノックした先の部屋に、私がいるのかどうか、問うのだ。私は、イエスが訪ねてきた場所、私が私としてそこにいるようなところに、ちゃんと立っているのか。現実を放棄したり、過去に逃げたり、本来自分がいるべきところを離れて、彷徨っていやしないか。自分の立つところをそこまで疑うというこの問いは、なかなかに懐疑的である。そして、本質的である。
 
そう、神はひとに度々問う。「あなたはどこにいるのか」と。創世記はもちろんのこと、随所にある。説教者は挙げなかったが、預言者エリヤに対しても、神は類似した問いかけをしている。特にこの創世記におけるアダムへの、神の最初の問いかけの言葉は、私を神の前に引きずり出した決定的な言葉であった。私の原点である。それがこうして改めて礼拝説教の中で放たれると、私は私のいるべき場所を、否が応でも意識せざるを得ない。
 
だが、それを踏まえて再び神の前にいることを知るならば、私は私の「居場所」というものを強く認識したことになる。信仰したことになる、と言ってもよいかもしれない。「居場所」は近年一種の流行語でもある。それを表面的にのみ理解して、「教会が教会員の居場所になるように努める」などと尤もらしいことを言い、教会員が増えないことの責任が自分に及ばないような逃げを打つようなことも、現実にありうるわけだが、教会たるものが確かな神への礎を有し、神の住まいだとでもいうべき誇りを抱くようなメッセージをこのように語ることができる説教者は、確かに神からの言葉を私たちに告げている。そして、礼拝説教が、すでに世に勝っている、と言えるほどの信仰が、ここにある。これまでに教会で先に送った仲間たちが、その勝利の中にすでに移されているのだ――そう断言できるところに、この説教が確かに命を注いでいるということが、証明されているといえるだろう。聴く側が予想できる範疇を超えて、魂を揺さぶる語りが投げ込まれてきても、驚きつつそれをなんとかキャッチできるような捕手でありたいものだ、とつくづく思う。



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