【メッセージ】父と子

2023年6月18日

(イザヤ9:1-6, ペトロ二1:16-19)

イエスが父なる神から誉れと栄光を受けられたとき、厳かな栄光の中から、次のような声がかかりました。「これは私の愛する子、私の心に適う者。」(ペトロ二1:17)
 
◆変貌山の出来事
 
礼拝説教は、何らかの聖書箇所を読み上げ、それに基づいたメッセージを語るという形式になります。もちろんふつうは、その取り上げた聖書箇所から話をするものです。今日私は、イザヤ書と第二ペトロ書を掲げました。それなのに、第三の聖書箇所として、マルコ9章を最初に開くことにします。少しだけ、長い目で見てください。
 
2:六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。すると、彼らの目の前でイエスの姿が変わり、
3:衣は真っ白に輝いた。それは、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほどだった。
4:エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。
5:ペトロが口を挟んでイエスに言った。「先生、私たちがここにいるのは、すばらしいことです。幕屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのために。」
6:ペトロは、どう言えばよいか分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。
7:すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これは私の愛する子。これに聞け。」
8:弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはや誰も見えず、イエスだけが彼らと一緒におられた。
 
マルコによる福音書の中央辺りにある記事で、「変貌山」の記事だなどとよく言われます。不思議な内容です。弟子たちを連れてイエスが山に登ります。それも、丘程度のものではないようです。そこでたちまちイエスの姿が変わりました。真っ白に輝く衣。栄光の姿とは、こういうもののことを言うのでしょうか。そこに、旧約聖書の重要人物であるエリヤとモーセとが現れます。イエスは二人と話します。
 
一連のまとまりの中での中央というのは、ユダヤのレトリックでは有名なことですが、大切な点を表すものと見なされることができます。それを中心にして、前後がそれぞれ対応するものをもって配置されている、というのです。ユダヤの祭器であるメノラーの枝が左右に出ているのが、ちょうど適切なイメージであろうと思われます。
 
従ってここは、福音書の中でも重要なものでありうる箇所です。少なくとも私は重視します。イエスがただ者ではないことが、弟子たちの目に明らかになったのです。
 
このときこれを見て弟子たちはイエスを理解したか、が問題ですが、どうやら分かったふうではないような記事になっています。ペトロはここに幕屋を建てますなどと、とんちんかんなことを言います。本当にとことん意味不明でいたのかどうか、それは私には分かりません。ただ、その時には理解できなくても、後に思うところがあったからこそ、こうして記事になったのでしょう。
 
イエスの変貌は復活の様を見せたのかもしれませんし、再臨の心得となったのかもしれません。はっきりしているのは、ここにモーセとエリヤが現れたという記事のもたらす効果です。旧約聖書でモーセは律法、エリヤは預言者の代表です。また、「律法と預言者」という言い方(マタイ7:12,ルカ16:16,24:44)で、イエスが口にしたのは、正に旧約聖書全体を表すもののことでした。ここには旧約聖書のすべてが集まったのであり、それを具現したのがこのイエスであった、ということを伝えるものです。だから「もはや誰も見えず、イエスだけが彼らと一緒におられた」のです。これは象徴的な構図としても、意義深いものだと私は思います。
 
◆ペトロの経験
 
ところで、この出来事をどのように捉えるのか、それはそれぞれの人が考えればよいことだと私は考えています。深い洞察や霊的な空想をする必要があるのかもしれません。あるいはシンプルに、深い感覚を受け取ることができる人もいるだろうかと思います。私が私の感じたことを語るのも必要なことなのかもしれませんが、それを押しつけるようなことをしたいとは思いません。それぞれの人が、こうした場面を味わい、イエスと出会うとよいのです。
 
このとき、雲の中から声がしていました。
 
7:すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これは私の愛する子。これに聞け。」
 
ペトロ、ヤコブ、ヨハネという、恐らく初期の教会の中心人物であった三人の弟子だけが、同行を許されていました。彼らはこの声を聞いています。そのうちの一人であるペトロが記したとされる手紙が、新約聖書に収められています。本日正式に開く聖書箇所は、その最初近くの部分です。
 
17:イエスが父なる神から誉れと栄光を受けられたとき、厳かな栄光の中から、次のような声がかかりました。「これは私の愛する子、私の心に適う者。」
18:私たちは、イエスと共に聖なる山にいたとき、天からかかったこの声を聞いたのです。
 
そう、先ほどの変貌山の出来事を踏まえて記しています。ペトロ自身が経験したことだから、それを踏まえて書いたと見なされます。よく「父なる神」と神のことを呼びますが、そのときイエスは御子、つまり「子」という位置を占めます。父なる神がイエスのことを「愛する子」と呼んでいることになります。神のことについては、子であるイエスに聞けばよい、イエスの言葉は神の言葉である、イエスのする業は神の業である、そう受け止めておけばよいのだと思います。
 
これはペトロだからこそ、かの場面で事実聞いたものでした。では、私たちはこのような声を聞くことはできないのでしょうか。聖書に起こったことはただの昔話であって、私たちは深い意味で知ることはできないのでしょうか。できるならば、そうしたことを見聞したいものです。経験したいではありませんか。
 
◆父の日
 
6月の第三日曜日は、父の日です。正確にいうと、アメリカで定められた「父の日」という記念日です。これは、「母の日」がアメリカで成立した後に、言うなれば母があるなら父も、というように補う如くに制定されたと聞いています。母の日ができて間もなく、やはり教会を舞台として始められた考えだったそうですが、正式にアメリカ全土で国の記念日として定められるためには、母の日に後れること60年近くを必要としました。
 
世界には、様々な日付で「父の日」が設定されています。もちろんアメリカがすべてではありません。但し日本に知らされたのはアメリカからだったと思われ、一般的にそれに合わせて父の日を想定している現状があります。アメリカのカレンダーに沿って、今日は「父の日」を意識した形で、神の言葉を取り次ぐことに致します。他の国や文化の方々、ご容赦ください。
 
ただ、その前に実は障害があると思います。もうすでに、いたたまれなくなった人がいらっしゃるかと思うのです。
 
「父」という言葉すら、耳にしたくない人がいるのではないでしょうか。思い出したくもない、自分の父親のことを突きつけられる人には、トラウマを呼び起こすことになってしまいます。ごめんなさい、としか言いようがありません。
 
「父」という男性性を意識させる言葉に抵抗を覚える人もいるでしょう。どうして神は男なのだ、という感情を懐く人がいてもおかしくないと思います。それだけで反吐が出そうな気分になるかもしれません。
 
神はどうして「母」とは呼ばれないのか。「父」でなければならないのか。疑問に思っても当然です。遠藤周作のように、母なる神を心に描いて作品を綴っていった人もいますし、マリア信仰がその点を補ったと見なす人もいます。
 
言葉に過ぎない、などとは考えません。言葉に傷つくひとを蔑ろにすることはできません。少しでも気を払いたいのですが、しかしどうしても何らかの形で今日は「父」と呼ぶことをしなければ、話を続けることができません。ひとつの「記号」として呼んでいるのだとお考えくだされば幸いです。ご自身の辛い経験とは少し離れた場所での一般的な記述だと、少しでも見なしてくだされば助かります。
 
◆父になる
 
この私自身、子どもたちにとっては一人の父親であります。私も、あるとき父親になりました。その朝のことは鮮明に覚えています。そのとき、初めて自分が大人と呼ばれてよいように思えた気がしました。
 
自立心が強い方ではありませんでした。だからまた、いつまでも家にいてはいけないと感じ、無理を言って、福岡から京都に出て大学生活を送ることにしました。憧れだった大学には入れませんでしたが、哲学をする場所が与えられました。とにかく生活は極力切り詰めました。牛乳は今とさほど変わらない200円だと安いと思ってその店にばかり通っていました。さすがに今年値上げラッシュの中では、また違いますが、1年前くらいを考えると、食料品がそう大きく違っていたような気がしないようにさえ思います(記憶が薄れているだけかもしれませんが)。そういう時代に、一日400円の食費で過ごしました。もちろん自炊です。家事手伝いなどしたことがない者が、料理を初め、生活の全部を自分で執り行うように変わりました。奨学金も借りて、アルバイトも始めました。当時京都では、家庭教師という方法がそれなりにありましたので、親から仕送りも受けましたが、生活費には困ることはありませんでした。
 
けれども、そんなことではまだまだ自分が大人だとは感じませんでした。そのうちに聖書とキリストに出会い、妻と出会いました。結婚式は、民家を改造しただけの教会堂で、小さな小さな集いとしました。よくぞあんなタダ同然で牧師に司式をしてもらえたものだ、と厚かましい自分のことを思い出すと恥ずかしくなります。結婚すると、とりあえず経済的には自分たちの家計をつくります。でも、まだ自分が独立したような気持ちにはなれませんでした。まだ、違うのです。
 
自分の子が産まれたとき、私は父となります。もちろん、父親としてはまだヒヨッコです。なんと頼りない父親でしょう。朝方に長男が産まれたため、私は徹夜明けに大学病院を後にして帰宅しました。夜が明けて、通勤者の波を逆行して歩いたときの、あの冬の空気の冷たさ、そして見上げた空の青さ。あの風景を、つい昨日のことのよう記憶しています。
 
子育てが、そこから始まります。夢中で、できることをしました。私の仕事は夕方近くからでしたから、それなりに助ける機会はありました。その後子どもを公園で遊ばせるなども私の役割でしたし、「イクメン」という言葉が現れる前に、私は当たり前にそれをしていたと思います。
 
こうして、私は「父」となっていきました。ようやく、父親の視線に近いものが見えるようになってきたのだと思います。
 
そのときの息子も、数年前に結婚して家庭を持ちました。二人だけの生活を続けるのかしら、と思っていたら、いろいろ苦労して、ついに子が授かりました。すると、彼は自営業でありながら、補償の出ない「育児休業」を宣言し、子どもの世話を熱心にし始めたのです。子煩悩というか、親バカというか、デレデレであり、毎日ウェブサイトを通じて、写真や動画を送ってきます。
 
なんともはや……と思いきや、自分のことを思い出しました。私も当時出始めたビデオカメラを買い、1ヶ月に一度程度ですが、ビデオテープに映像をまとめて、親に送っていたのです。結局、同じことをしているということに気がつき、我ながら笑いました。
 
◆クリスマス
 
子どもが産まれたが故の「父」です。もちろん、里親制度などもありますから、表現には気を払いますが、子がいての「父」ということにはなるでしょう。「母」もそうですが、母の場合は、自分のからだの一部だったものが子となる意識が強いだろうと思います。お腹を痛めた子ども、という言い方もあるように、生々しい実感があるのでしょう。父は、それに比べると些か抽象的です。自分の胎内ですでに子という感覚があり、すでに母となっている母親に対して、父親は、その子をその目で見るまでは、自分が父親という意識は薄いように思います。少なくとも、自分がそう感じたのは確かです。
 
そこで新約聖書から、この緊迫感のある人物をひとり思い出しました。ヨセフです。クリスマスに登場する、イエスの父・ヨセフです。この人は、世にも稀な特殊な立場にいます。許嫁マリアの宿した子は、確実に自分の子ではありません。身に覚えがないのです。そして天使のお告げからすれば、それは聖霊により宿った、神の子だと言うことになっています。信じたくないような出来事だったことでしょう。それでいて、自分がその子の父親を務める立場にあるとなると、非常に複雑な立場にあると言えます。
 
そのクリスマスのときに、旧約聖書から読まれる箇所として人気の箇所が、今日お開きした次のイザヤ書9章です。
 
5:一人のみどりごが私たちのために生まれた。/一人の男の子が私たちに与えられた。/主権がその肩にあり、その名は/「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
6:その主権は増し、平和には終わりがない。/ダビデの王座とその王国は/公正と正義によって立てられ、支えられる/今より、とこしえに。/万軍の主の熱情がこれを成し遂げる。
 
クリスマスに読まれるとは言いましたが、これは旧約聖書です。もちろん、預言者イザヤが、イエス・キリストを頭に思い描いていたとすることは無理です。紀元前8世紀、アッシリア帝国の侵攻で北イスラエルが滅亡します。イザヤは南ユダ王国からこれを見ています。この情況を救う王が現れることを期待しての預言ではないか、とも思えますが、いろいろな学者がこの背景を研究しています。今日はその説明に左右されず、イザヤが、イスラエルを救う王がもう産まれたのだから、その王が成長すればこの苦境から逃れることができる、と励ましていることを想像しておくことにします。
 
しかし、新約聖書の時代、イエスを知り、イエスがこの救い主であるのだ、と気づいた人々は、イザヤが考えてもいなかった、新たな意味をこの中に読み込んだのでした。それが、クリスマスの出来事であったというわけです。
 
◆永遠の父
 
みどりご。今は使わないような言葉です。「嬰児」と漢字で書いたほうが通用するでしょうが、これは「えいじ」と読んでしまいます。「みどり」は、赤・青・黒・白といった本来日本の色彩の語彙になかった言葉で、平安時代辺りから使われるようになりました。「新芽」のもつ「瑞々しい」イメージから、私たちのいう「緑色」のことを指すようになりました。元来の感覚からすると、その「瑞々しい」こと、若々しく潤いを感じさせる様子を含む言葉です。だから「みどりの黒髪」という言葉は、実に適切な表現であることになります。
 
初々しい赤児(これは赤い色からきているのでしょう)、それはクリスマスの出来事において、「神の子」として産まれました。当時のローマ帝国においては、ローマ皇帝が自らを「神の子」と称したり、呼ばせたりしていたそうです。かつてネブカドネツァルが自分の立てた像を拝めと君臨していたことに匹敵すると見られます。聖書の世界で、神に反する傲慢な者は、同じように描かれているようです。時代を超えて、そのような者は現れます。いまも現れている――そうは思えませんか。
 
後にイエスこそそれだと人々が信じたのが、この救い主、その名は、イザヤの思いを尊重して、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」という表現を受け継ぎました。これが、その「子」に帰せられた名であり、称号です。産まれたばかりのこの子が、「永遠の父」と呼ばれる、というのには驚きを隠せません。
 
やっと産まれた赤児が、「父」の名をもつのです。しかも「永遠の」という修飾語が付いています。さらに「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」の中には、「指導者」つまりリーダーだという指摘があり、「力ある神」と、もう神とまで呼ばれています。単なる人間としての王にするわけにはゆかないような背景がここにあります。そして「平和の君」ですから、凡そ人が考え得るあらゆる理想が並べられているように見えます。尊い称号の連呼です。
 
その中にあって、「永遠の父」は、少し地味かも知れません。一見、具体的に欠け、迫ってくるものを覚えないような気がします。ここに留まってみましょう。しかも、これをイエスになぞらえ、あるいは神と見る方向で、捉えて見ます。
 
神が永遠であることは、当たり前だと思われるかもしれません。しかし古代において、戦争で負けた国の神は、神である地位を失い、いわば死に滅ぶというのが常識だったといいます。イスラエルは負け続けました。カナンの地の小さな部族にこそ勝ちましたが、大国の前にはひ弱な小国に過ぎませんでした。それでも、イスラエルの神は生き続けました。
 
近代において、「神は死んだ」というフレーズが、人間たちには気に入られました。簡単に信じる人もいたし、都合が好いと喜んだ者たちもいました。けれども、神は生きています。誰がどう言おうとも、こうして教会にいる私たちには、生きていて共にいる神が確かにいるではありませんか。
 
6:その主権は増し、平和には終わりがない。/ダビデの王座とその王国は/公正と正義によって立てられ、支えられる/今より、とこしえに。/万軍の主の熱情がこれを成し遂げる。
 
「今より、とこしえに」、そう、「今より」です。「今」とはいつでしょうか。このメッセージが投げかけられた「今」であり、このメッセージを皆さまが聞いた「今」です。今すぐこのときから、永遠に、この神は父であるのです。全面的に頼ることができ、その諭しに従えば間違いがないような、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」が、生きているのです。
 
◆イエスの姿
 
もう一度、今日の聖書箇所としては挙げていないことは承知の上で、マルコ9章を開きます。
 
2:六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。すると、彼らの目の前でイエスの姿が変わり、
3:衣は真っ白に輝いた。それは、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほどだった。
4:エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。
5:ペトロが口を挟んでイエスに言った。「先生、私たちがここにいるのは、すばらしいことです。幕屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのために。」
6:ペトロは、どう言えばよいか分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。
7:すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これは私の愛する子。これに聞け。」
8:弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはや誰も見えず、イエスだけが彼らと一緒におられた。
 
福音書の中でも、非常に重要な箇所だと思う、と最初に申し上げました。それは決して私だけではありません。ほかにもそのように理解している方は確かにいます。一応その前提で進ませてください。この場面は、それまでのイエスとはずいぶん違った姿を弟子たちの前に現したものでした。いきなりそんな輝く姿などを見せられても、弟子たちはすぐに何かを覚ることなどできません。仕方ないと思います。
 
ただ、この場面にいて、この弟子たちの失敗をよく知っている者がいます。イエスのことを言っているのではありません。――私です。私たちです。私たちは知っています。弟子たちが如何に無理解であるのか、を。当時ライブで体験している弟子たちには分からなかったことが、聖書を読む私たちには分かります。
 
また、この様子を見ている私たちは、イエスの救いを知っています。いえ、信徒ではないなどと言っても、イエスが人を救ったという出来事の意味について、何らかの理解をしているということで、そういう表現を使わせてください。イエスは十字架でこの後に殺されます。そして復活し、人々に救いを与えたというストーリーについては、ご存じの方が多いでしょう。
 
私のような体験をお持ちの方であれば、イエスの死と共に、自分もまた死んだ、という意識をもっていることだろうと思います。あの惨めな自分、神の前に崩れ落ちた自分、ダメさ加減に絶望さえした自分、そうした自分がすべて、イエスと共に十字架に付けられて、死んだ経験をするのです。私の場合であれば、愛のなさを突きつけられ、また自分がどこに立っているかについて深刻な問いを投げかけられ、神の前に引きずり出されたのでした。死に怯え、無力に苛まれていた自分の姿がそこにありました。生まれながらの運命を嘆き、それに縛られていた自分があったのですが、それがすべて、死んだのです。それに悩む必要がなくなりました。死んだのであれば、もう罪には問われません。私の非情な振舞いも、神の前に赦されたことを知ったのです。
 
イエスが復活した、との知らせを受けました。私もまた、復活させられました。新たな命に生かされたことが分かりました。聖書の言葉が、それを証拠立てました。いま私たちのいるここにも、聖書の言葉があります。それを神の言葉として受け止めたなら、命が注がれる言葉です。言葉はまた、イエス・キリストという姿をとってこの世に現れたといいます。イエスの言葉が、人を救います。その姿が見えなくなってからは、聖霊という見えない形で、神がここへ来るというストーリーが、聖書に語られています。聖霊は、いまもなおここに来ておられます。
 
イスラエルの地に、もはや制限されません。二千年という時間の内に制限されることもありません。聖霊という形で、時空を超えていまここに来てくださる、神が働いています。神は、愛とはこれだ、と教えてくれます。永遠の命を与えます。神の栄光を、現しています。
 
旧約聖書以来の、神のもたらすもののすべてが、いまここに及んでいます。いまここに神の声が響きます。そこには、イエスの姿だけが、見えます。それが、父なる神の心に適う方、神の愛する子、イエスなのです。



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