言わなければならないこと

2023年5月21日

ドラマやアニメは「クール」という単位で放送されることが多くなった。昔はアニメにしても数年間続くようなものも少なくなかったが、今は1クール、つまり3ヶ月がひとつの単位となっている。好評ならばさらにそのうち3ヶ月分延びることもあるし、当初から2クールで計画されている場合もある。
 
さて、この春から初夏のアニメのクールは、私にしてみれば豊作である。「私にしてみれば」というのは、「よく心が描かれているもの」を基準にすることである。心の動き、機微とも言えるようなものが効果的に描かれていると、うれしくなるのだ。また、そのためには、非現実的なものは遠慮したいと思っている。例外はもちろんあるが、やはりリアルな情景と展開が、感情移入しやすい。自分の恋心に気づいていく過程などは、いつもステキなものだと思う。
 
アニメの舞台は依然として、高校生が中心となることが多い。描きやすい世代なのかもしれない。その殆どが、ちっとも勉強のシーンや意識がないというのが気になるが、まあ問題にしないでおこう。
 
そうしたアニメに共通な描かれ方に、ふと気づいた。それは、キャラクターそれぞれが、「言いたいことが言えている」という点である。もちろん、自分の気持ちが言えないという場面はたくさんある。好きな思いを打ち明けられないのは、昔も今も同じ本質がある。だが友だちや敵対する相手に対しては、概してかなりずけずけと感情をぶつけたり拒否したりするし、自分の主張を正面から相手にぶつけるという場面が多いのだ。
 
そうしないと物語が展開しない、というのは分かる。もちろん、自分の気持ちが表に出せない人が、うじうじとした印象を与えたり、時にいじめの対象になったりする場面があることも認められる。だがしばしば、その子も一定の理解をしてくれる友だちがいて、あるいは現れて、心を開いていけるようになる場合が多い。
 
現実に、学校生活で、あんなにはっきりと意見をぶつけて対立するようなことが、どれほどあるのだろうか。その後の人間関係がぎすぎすしやしないか。そういうのを避けて、本心を抑えて表向き平和に過ごしたい、というのが一般的ではなかったのだろうか。だから、そういうことを避けて、「言いたいことが言えない」でいるのが通例ではないのか。
 
学校現場は分からない。だが若者世代の「言葉遣い」の解説や「心理」の分析などを見る限り、言うなれば「よそよそしい」会話が一般的であるようにも見えるのだ。それは、学習塾での様子からもそう思う。但し、塾は勉強目的の場であるから、また違うかもしれない、とは思う。
 
アニメでも、私があまり見ないタイプの、非現実的なファンタジーものでは特に、登場人物が互いに敬語で話していることが多いように見受けられる。仲の良い友だちや仲間同士でも「〜です」で会話が進んでいくのだ。その中に、やや型破りなキャラとして登場する者だけが、タメ口の言葉を使うというような設定が普通であるように感じる。
 
それはよいとして、「言いたいことが言える」というストーリー構成は、リアルな物語であっても、視聴者はもしかすると、ただ単に非現実的なものとして受け止めているかもしれない。それは、多分に実写ドラマであっても、そういうものではないかという気もする。
 
「言いたいこと」が、ただ自分だけの感情やわがままであるというケースもあるだろうが、「言わなければならないこと」となると、多くの人たちのために、という動機が含まれることになる。物語の中で「言いたいこと」は、後者のことが多いし、そうあってほしいと思う。
 
しかし、「言わなければならないこと」は、私たちの実社会では、たいてい沈黙の中にある。本当に心はどう思っているのか、表に出さない。出せない。出せば、角が立つからだ。自分の居場所が失われることを恐れているからだろうか。しかし、皆がそのようにして「実はほんとうはこう思っているけれど」ということを押し隠していると、「民主主義」の世の中は、その「数」が集まって、「ほんとうでないこと」が正義として認められてしまうことになる。「数」は、そのようにして決まっていく場合が多々あるであろう。
 
ほんとうは、いまのままに進むのはダメだ、とお気づきなのではないだろうか。勇気を出して、変えなければ、とんでもないことになると分かっているのではないだろうか。波風を起こさないように、黙っていなければならない、と誰もが誰かの顔色を見ながら、自分ひとりくらい言わなくてもいいだろう、と構えるようなことをしていないだろうか。いまならまだ間に合う。遅すぎないうちに、いま、ほんとうのことを言わなければならない、と思っているのではないだろうか。
 
もし誰かが言い出したならば、それに追随する気持ちはもっている。ただ、自分からは言い出せない。互いに皆が、そういう我慢比べをしている。出る杭は打たれることが分かっているからだ。エスカレータを、ひとりが歩き始めたら、それに続いてどんどん歩いていく。きっと、世の中が戦争肯定になっていくと、どんどんそれについていく人が多いのだろう。かつての時代、軍部や政治家だけが悪いように描かれることがあるが、本当にそれだけだったのかどうか、私は疑問をもっている。いまの世の中でも、あのようになる素養は確実にあると見ている。
 
あなたが薄々感じていることを、押し殺してはならない。あなたの直感は、きっと正しい。まあこのくらい仕方がない、と見過ごしていると、取り返しのつかないことになる場合がある。然りは然り、否は否。おかしなことがまかり通ることについて、現場のあなただからこそ、止めることのできるチャンスがあるはずなのである。私はもう救いようがないとして見捨てたけれども、あなたまでが今後最悪の流れに巻き込まれる必要はない。あなたなら、いまなら、最悪のスイッチを回避することができるかもしれないのだ。



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