響け!ユーフォニアム

2023年5月15日

インターネットが使える時代というのは、なんともありがたいものである。かつてテレビ放送を見逃したら、もう二度と見られないというのが当たり前だった時代があった。それが録画できるようになり、たいへん便利になったが、録画しそこなうと、もう終わりであった。その後、見たい映画やアニメが、レンタルビデオで見られるようになったことは画期的だった。しかしいまや、インターネットが当たり前になった。外に借りに行ったり返したりする必要もなく、一定のものはいちいちコストがかからずに、いつでも見放題ということになる。
 
最近私は、一連の「響け!ユーフォニアム」を一気に見ている。京都アニメーションの名作である。タイトルから推し量ることができようが、このアニメは音楽を軸に展開する。同じように音楽が効果的だったアニメを思い出すと、いまは「青のオーケストラ」もあるが、「四月は君の嘘」やら「のだめカンタービレ」やら、音楽ものはやはりいいなあ、と思う。映画「BLUE GIANT」のジャズにも痺れた。
 
「響け!ユーフォニアム」は、ユーフォニアム奏者の黄前(おうまえ)久美子を主人公として、高校の吹奏楽部を舞台に、豊かな音楽に満ちあふれたアニメである。好演奏からミスある練習まで、吹奏楽の音が漏らさず収録されていることは驚異的である。あの悲しい事件に見舞われた京都アニメーションの地が高校に設定されているが、全員が共通語を話し、関西ことばが全く出てこないという不思議があっても、そんなことはいつしか忘れさせるような物語となっている。
 
そこには、女子高生を中心とした、複雑な人間関係の悩みが溢れている。家族内にも悩みを抱える黄前ちゃんであるが、部のいざこざり中に何故かいつもいる。基本的に彼女が悪いのではない。その周囲で問題が沸き起こるのである。それは、争いや悩みにまつわる出来事が彼女の目の前で起こるという偶然もあるが、多くは、当事者が彼女に相談をもちかけたり、彼女に打ち明けたりするということが続くということである。
 
少し分かるような気がする。私も、何かと相談をもちかけられることが多かった。こいつになら話しても秘密にしてもらえる、というような信頼があったのだろうか。いいアドバイスをもらえるかもしれない、という期待があったのだろうか。悩みのゴミ箱のように見られていたのだろうか。よく分からない。だが、そんな気持ちは想像してくださる方もいるだろう。どうしてだか分からないが、この人になら話してもいいのではないか、というようなタイプの人が、身近にいるという経験をお持ちではないだろうか。
 
黄前ちゃんには、そんなところがあると思うのだ。親友の高坂麗奈が「ひっかかる」という言葉で表現した黄前ちゃんの性格だ。決して何もかも秘密にできるタイプではないのだが、というのは正直な性格がすぐに態度や声にも出てしまうからだが、肝腎なところは揺るがずしっかり守っている。黄前ちゃん自身悩みを抱え、先輩たちの前では基本的に自分を出さないようにしているものの、心の通う相手に対しては、ずばりと、あるいはずけずけと指摘さえする。つまり、はっきり言うべきことは言う、ということである。
 
真面目な話をもちかけやすい人。黄前ちゃんは、周りから自然とそのように見られているに違いない。理屈でどうだというわけではないが、明らかに、腹を割って話ができるタイプなのだろう。だから麗奈も、なんでも分かっているような凄さを、黄前ちゃんの中に感じていたのではないかと思う。
 
イエス・キリストに祈る。それは、私たちが話をもちかけるということだ。腹を割って話ができるということだ。この方になら話しても秘密にしてもらえるという信頼がある。いいアドバイスがもらえると信じている。なんでもとにかく打ち明けるべき相手だという思いで接している。それは、人間相手の次元をもちろん超越している。
 
キリストを信じる者には、一番頼れる方が、いつでもそばにいる。



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