カレーの作り方

2023年5月13日

ハウス食品さんの「基本のカレーの作り方」というウェブサイトをお借りして、今日はカレーの作り方をご説明してみようと思う。
 
まず材料。サイトには、バーモントカレーと、牛肉や玉ねぎ・じゃがいも・にんじんといった野菜が挙げられ、サラダ油や水の量も書かれている。手順は、まず「具材を切る」といい、次に「具材を炒める」という。そして「煮る」と、「ルウを入れて煮込む」とできあがるという具合である。この説明には、嘘はない。だから、カレーをよく知っている人からすると、正しいことを説明している、と思えるだろう。そして、自分の経験を想像しながら、その手順で言わなかった情景までが頭に浮かぶのではないかと思われる。ちゃんと作り方を説明していた、という記憶だけが、聞いて残るかもしれない。
 
そのように、すでにカレーをふだん作っている人は、この手順すら要らないであろうが、久しぶりに作るという人は、この手順に、「ああ、そうだったな」などと思って受け止めつつ、途中の様子は自分の記憶を辿りながら、作ることができるだろうと思う。経験者は、この程度の手順確認で、すいすいできるであろう。
 
だが、ふだん料理をしない人にとっては、これくらいの説明では心許ないと思われる。「玉ねぎは放射線状のくし切り」にしましょう、「じゃがいもは1個を6〜8等分に切るのが目安」などと書いてあると、安心である。まさか、じゃがいもの皮を剥きましょうから書いていないと、剥かずにやってしまうよ、となると、そもそもカレーというものを知らないのかもしれない。「にんじんは3pくらいの乱切り」という書き方くらいで見当がつかないとなると、このレシピ以前の問題であることになるだろう。
 
炒める段階では「厚手の鍋にサラダ油を熱し、牛肉、玉ねぎ、じゃがいも、にんじんを入れ、肉に焼き目がつき、玉ねぎがしんなりするまで炒めます」と書かれている。これはかなり親切な書き方だ。これなら多くの人がクリアできそうだ。
 
「煮る」段階では、「水を加え、沸騰したらあくを取ります」と書いてあれば、具体的に何をするかまでよく分かる。そして「具材が柔らかくなるまで弱火〜中火で約15分煮込みます」とあれば、たいへん親切であるだろうと思う。作ったことがない人も、これでかなりいけるだろうと思う。
 
ハウスさんは親切である。「いったん火を止め、沸騰がおさまってからルウを割り入れてよく溶かします」と、ちゃんと説明している。そして「再び弱火で時々かき混ぜながら、とろみがつくまで約10分煮込んででき上がりです」と結ばれる。完璧な説明である。
 
だが、これで本当によいだろうか。カレーを生まれて初めて作る人にとっては、これではうまく作れないはずである。経験者ならば分かるような、ちょっとした技が、随所にあるだろう。これも、ハウスさんは、ちゃんと合間に実は載せている。あまりそれらを全部載せると、著作権もあるし、ハウスさんに失礼であろうから、最初のところだけを例に挙げることをご容赦ください。じゃがいもについてのコツである。
 
「じゃがいもは変色しやすいので、炒めるまで時間がかかる場合は水にさらしておきます。」ということと、「じゃがいもは、男爵を使うとほくほくした食感で煮崩れしやすく、メイクイーンを使うと煮崩れしにくいのが特徴です。じゃがいもが煮崩れすると、カレーのとろみが増します。お好みでお使いください」という文章が、そこに記されている。単なるレシピだけでは絶対に分からないが、実際に作る上では絶対に必要な知恵である。こうしたことを載せてくれるハウスさんの記事は、素晴らしいと思う。それは、他の手順においてもそうであり、確かにそうだと思うことばかりであり、また、私もやったことがない知恵が紹介されているものもあった。勉強になる。
 
さて、ここに、カレーのレシピを声だけで説明しようとする人がいるとする。実はその人は、カレーを実際に作ったことがない。しかし、カレーの作り方を本で学んだ。だが、説明することが、敬われる近道だと考えたのか、それとも小さいころから、そんなことをしたかった夢があったからなのか、定かではないが、周りの反対を押し切って、その勉強を始めたらしい。他の分野でやっていられなくなったために、という可能性もある。v  
実際に作ったことがなくても、作り方を学ぶことはできる。口で説明できるのは、最初に挙げたあの「手順」のようなものばかりである。否、頑張って勉強すると、先の「親切な説明」くらいまでは説明できるようになる。しかし、さすがに経験に基づく知恵には至ることができない。聞く耳をもった人が聞けば、その説明に実感がなにもないことは分かる、そういう話しぶりしかできないのである。
 
どうやらその説明を聞くのは、カレーを今まで作ったことのない人たちではなく、主に経験者たちばかりであるらしい。「手順」を聞いて、確かにそうだな、と安心する。そして「親切な説明」を聞くと、この説明者はなかなか作り方をよく知っている、と感心する。良い説明だ、と納得するのは、経験者たちならではである。作った経験がなくても、そのように話をすれば、聞く経験者たちが勝手に実際の手触りやちょっとしたコツなどを心の中で補ってくれるものだから、ちゃんとした説明をしているものと見られてしまうのである。
 
が、果たしてこのような説明者は、相応しい立場にいるのだろうか。いったいその人と聞く人々は、その場で何をしていることになるのであろうか。そうだ、今日はカレーにしようか、と夕食のメニューを決めるのに役立つくらいのメリットはあるかもしれないが、新しく気づかされたり教えられたりするようなことは、何度通っても、ひとつもないのではないか。それでよいとお思いだろうか。



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