「シオンの娘」から気づくべきこと

2023年4月5日

「シオンの娘」と聞いて、讃美歌を思い出すクリスチャンは少なくないだろう。旧約聖書では、イザヤ書に何度か登場する表現である。そもそもエルサレムの都は高地にあるが、その中でも丘になっている場所があるという。そこを呼ぶ「シオン」という名称は、やがてエルサレム全体を指す扱いを受けるようになる。そしてその住民を基本的に「シオンの娘」と呼ぶのである。
 
以前、鹿児島本線の車窓から、「シオンの娘」という看板を掲げた、地味な店舗を見かけた。上り線で、香椎駅に入る直前である。ああ、いまはここでやっているのか、と感慨深かった。
 
ずいぶんとマスコミに騒がれた店である。それは、いまの統一協会やオウム真理教のような組織性はない人々であったが、マスコミの報道過熱と非難の激しさは、それらに対する目ものと変わらないと言ってよかった。
 
「イエスの方舟」と名のる集団は、聖書の勉強会であった。千石剛賢氏が始めたグループで、そこには、居場所をなくした女性が数多く加わり、いつしか共同生活を送るようになった。これに対して、マスコミが怪しいと睨んだのだった。邪教呼ばわりを始め、新聞社も反対キャンペーンを繰り広げた。ワイドショー関係のお祭り騒ぎは、静かに耐える彼らへ容赦なく弾圧の如く続いた。1980年頃のことである。
 
国会議員も狂信的団体だと取り上げ、カルト教団だと扱われるようになった。一部、公平に報道を続けるマスコミもあったが、混乱は続き、逮捕騒ぎにもなったが、結局世間が勘ぐるような変なことはなされていないようだと分かってからは、マスコミは静かになっていった。
 
結束したグループは、博多の中州に「シオンの娘」という店を開く。たぶん酒は提供せず、食事やカラオケなどを営んでいたのではないかと思われるが、これについては皆さまそれぞれがお調べ戴きたい。千石氏の没後もグループの営業は続けられたが、近年香椎に移転していた。私はそれを目撃していたのである。
 
だが、今年になって再びそこを通ったとき、「シオンの娘」という看板がなくなっているのを見た。店も何もない空き店舗のようであった。それでまた驚いて調べてみると、古賀市に移転したらしいことが分かった。ウェブサイトによると、2022年をもって香椎を引き払い、2023年4月に古賀市に再オープンするというので、もしかすると今頃は営業が始まっているかもしれない。古賀市というと、元々この「イエスの方舟」が会堂をもっていた地である。どうやら香椎は仮住まいのつもりであったようだ。
 
ある筋によると、このときマスコミは、あらぬ想像を以て、イエスの方舟について勝手な邪推を重ねたことを認めざるをえなかったため、怪しい宗教団体に対してバッシングをすることに慎重になったという。オウム真理教は、そこのところをうまく突いて、マスコミに攻撃をさせないような形をつくり、殺人兵器を製造することに成功するに至った、と理解することができるのではないか、ということだ。
 
自分本位の正義が、どのような事態を招くのか、私は常々懸念しており、警告を発しているつもりである。もちろん、私自身がそうならないようにと気を払っているように自分では思っているが、そのこと自体が、自分本位の正義そのものであるかもしれない、といつも怯えている。
 
それでも、こうした危険性に気づいていることは、どうしても必要だと信じている。気づかないでいるからこそ、誤った道を正義だと豪語して突き進むことが起こるのであり、そのことに関して悪くない人に対して迫害を、正義の名の下に、群衆的に行うようになってしまうからである。そのような群衆は、なにも世間のことばかりを言っているのではない。実際に教会組織にもある。むしろ、信仰の名の下に、自分を正義とするという意味では、教会ほど質が悪いものはない。聖書が預言する「反キリスト」なるものが、生まれる所以である。自分は違う、と断言する者こそ、最悪の加害者になるということを、弁えておくべきなのである。


※騒動の数年後『「イエスの方舟」論』を著した芹沢俊介氏が、先月亡くなっていたことが、一昨日報じられた。マスコミの報道に棹さすことなく、冷静に分析した評論であるらしい。まだ読んだことがないので、機会があれば見てみたいと思う。


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