【メッセージ】そこにいたのか

2023年4月2日

(ヨハネ19:1-37)

それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている。(ヨハネ19:35)
 
◆十字架刑
 
十字架。口にするだけで、胸が一杯になることがあります。アクセサリーではないのです。ファッション・アイテムではないのです。死刑台なのです。世にも残酷な死刑台です。
 
残酷な死刑台というと、私たちはしばしばギロチンを思い出します。しかしギロチンは本来、フランス革命後、「受刑者の苦痛を和らげる人道目的」で開発された死刑台だったそうです。苦痛が持続しないというのです。それに対して十字架刑は、「受刑者の苦痛を最も長引かせる目的」で行われたといいます。槍で刺すなど他の方法で絶命させられないとすると、窒息状態で意識があるままに長時間捨て置かれることになります。ローマ帝国では、ローマ市民でない者で、政治犯に適用された、見せしめの刑であったと伝えられています。
 
心して、今日は十字架を伝えたいと祈ります。復活祭の2日前、それがイエスが十字架に架けられた日です。復活祭のときには復活を語るのが通例ですから、その一週間前の礼拝で、この十字架を語るということになります。そしてこの日から、「受難週」が始まるという暦で、教会は動くのです。
 
酷たらしい死刑にされた人を拝むのは何故か。見せしめの磔とされたわけですから、特に日本人には評判の悪い理由のひとつが、この点です。極悪人を神と呼ぶようなことは、断じてあってはならないことなのです。
 
しかし、教団内部では、むしろその死を受難として、教祖を崇める方向に走るということはありえます。人々を殺戮することを教義としたカルト集団の教祖は、まさに死刑囚として刑を受けましたが、後継の教団は、そのために結束している模様です。霊能者を標榜して世の最高の知恵者と自画自賛していた教祖は、謎の死を遂げました。有名人の名を騙るその言いたい放題の中には政治的な目的があったことは間違いありません。その教団は、その教祖の死について間もなくコメントすると公言していましたが、1か月を経ても沈黙しています。内部でもめているのか、何か事情があるのか、分かりません。
 
キリスト教も、初期は、こうした教団と似たような見られ方をしていた可能性があります。イエスは人々の病を癒やし、心に響く教えを垂れていたとされていますが、そうであったとしても、群衆はユダヤ教当局の煽動に同調して、政治犯として消してしまえと合唱していました。そのため十字架刑へと追い込まれ、最もそうした刑に相応しくない方が、刑死するに至ったのでした。こうなると完全な賊軍なのであって、その弟子たちの存在そのものが、社会悪となることは必然でした。
 
◆「あなたもそこにいたのか」
 
この十字架刑の現場を描写した賛美歌に「あなたもそこにいたのか」というものがあります(「讃美歌21」306番)。これは他では「あなたも見ていたのか」という題になっていることもあります。歌詞をすべて引くことは遠慮しますが、概ね1節と同様の内容が繰り返されますので、1節のみここに挙げることにします。アフリカ系アメリカ人の霊歌のひとつで、歌詞や曲も元はいろいろあったようです。歌い方も、型にはめず自由に歌うべきだと考えられています。
 
  あなたもそこにいたのか、
  主が十字架についたとき。
  ああ、いま思いだすと
  深い深い罪に
  わたしはふるえてくる
 
イエスの十字架刑の正確な日付は分かりません。聖書の記事を根拠に、天体運行も含めて様々な研究がなされており、この日だろうか、と考えられている説もありますが、もちろんそれは文献上の結論です。暗くなったことを日蝕だと仮定してのことがしばしばです。但し、イエスの十字架での死が実際にあったであろうことは、基本的に疑われていません。疑う人もいないわけではありませんが。
 
それが二千年ほど昔のことだ、というのも、常識化しています。そうなると、「あなたもそこにいたのか」という私たちへの問いかけは、事実上ナンセンスです。誰も二千年以上生きているはずがないからです。この詩は、ナンセンスなのでしょうか。
 
そういえば、自分の信仰を口にするとき、「私のせいでイエスは十字架に架けられた」という言葉をも耳にします。これもまた実際ありえない論理となります。私が生まれるずっとずっと前に、イエスは十字架に架けられたのです。私がその刑の理由になるはずがないわけです。自分とそれとの間に、何の関係があるのか、と思うのは、当然と言えば当然です。
 
それにも拘わらず、「私のせいでイエスは十字架に架けられた」と告白する人は少なくありません。実はこの私もそうです。そして、そう告白する人となら、私は信仰の深い話をすることができるだろうと思っています。基本的にそういう人とのみ、信仰の話が交わせると考えているほどです。
 
◆ヨハネによる福音書
 
イエスはどのようにして、十字架刑へと至ったのでしょうか。その過程を描いているのが、新約聖書の中の四つの福音書です。イエスの生涯を記したようなそれぞれの福音書ですが、その後半の多くの部分を、この十字架へと至る道筋の説明のために費やしています。ただ、福音書それぞれに書かれていることは、判で押したように同じわけではありません。むしろずいぶん違いがあります。記者が違うためにそれは当然ですが、かなり食い違ったような記述が目立つこともあり、学者たちの中には、一時福音書は信用できない、と短気になった人々もいたようです。
 
福音書が著されたのは、現在の研究によると、早くてイエスの死後40年ほどから、60年ほどの頃ではないかとされています。いわば半世紀を経て少なくとも四つの取材を基にイエスの記録が書かれたわけです。半世紀ともなれば、現代の歴史を記すとしても、いろいろ違う描写となるのではないでしょうか。従って、これら幾つかの取材に基づく記録を、私たちはまずはそのまま受け止め、それらの証言から、むしろ立体的に自体を捉えたいと考えます。
 
私たちはこの春、ヨハネによる福音書を追いかけてきました。そのまま駆け抜けたいと思います。このヨハネ伝は、他の福音書三つとは、明らかに雰囲気が異なります。ひとつだけ、趣が変わっています。イエス像もずいぶん違っているし、如何にもドラマチックに描かれていることは、誰もが認めるところです。まるで舞台を見るようですし、いっそミュージカルのようだ、と思うことができるかもしれません。
 
今日は長く聖書箇所をお読み戴きました。十字架へ至る過程です。これはどうぞそのままお読みください。一つひとつのことにコメントすることは差し控えます。それぞれに膨大な研究がなされており、言及していると際限がありません。その背景を踏まえた上で、一部分に焦点を当ててお話をしようと思っています。
 
◆ピラト
 
ここに、ピラトという人物が登場します。多くのキリスト教会で、毎週のように皆で読む「使徒信条」の中に、「(主は)ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」というフレーズがあります。世界中で、これほどしつこく悪口を言われ続けているような人も珍しいものです。
 
ローマ帝国の役人であり、通常「総督」と呼ばれています。この訳語でよいのか、というような研究もありますが、そこには立ち入らないことにします。とにかく当時ユダヤ地方は、ローマの属州でしたから、ローマ帝国が支配している形になっています。そのユダヤ地方に派遣された役人の長だと理解しておく程度に致しましょう。
 
要するに、イエスを十字架刑との判決を下す責任者が、ピラトという男だった、ということになります。一旦「私はあの男に何の罪も見いだせない」(18:38)とユダヤ人たちに宣言したものの、騒ぎ立てる群衆に怖れをなします。騒乱を起こせば自分の責任問題に問われかねないからです。「どこから来たのか」と問うても答えないイエスに向かって、ピラトは言います。
 
「私に答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、この私にあることを知らないのか。」(10)
 
十字架につける権限のあることを自ら認めているわけです。
 
さて、今回の場面で、ピラトが群衆に対してイエスを示すことが、二度ありました。
 
5:イエスは茨の冠をかぶり、紫の衣を着て、出て来られた。ピラトは、「見よ、この人だ」と言った。
 
14:それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。ピラトはユダヤ人たちに、「見よ、あなたがたの王だ」と言うと、
 
これに対して、群衆は狂気的な反応を示します。「見よ、この人だ」とピラトが言ったときには、「十字架につけろ、十字架につけろ」(6)と叫びます。但し、こう言ったのは「祭司長たちや下役たち」であると福音書は記しています。
 
また「見よ、あなたがたの王だ」と言ったときには、ユダヤ人たちが「連れて行け。連れて行け。十字架につけろ」(15)と叫んでいます。確かにどちらも叫んでいます。
 
これでピラトは、十字架刑を決定し、イエスを引き渡しました。自動的にこの後直ちに、イエスは十字架刑へのプログラムに載せられることになります。
 
◆群衆
 
ピラトが最初にイエスを示したときは、祭司長など当局側が、「十字架につけろ」と叫びました。この後、ピラトはイエスに直に問いかけます。この中で、先ほどの権威のことにも触れるのですが、「ピラトはイエスを釈放しようと努めた」(12)のでした。
 
しかし群衆は、釈放をするならローマ皇帝に背くことになる、と叫び出します。これにはピラトはびびりました。ピラト自身の命が脅かされたのです。そこで、「見よ、あなたがたの王だ」(14)と、この問題をローマ皇帝とは切り離そうと持ちかけたのでしたが、「私たちには、皇帝のほかに王はありません」(15)とユダヤ当局の祭司長たちが言いました。ローマ皇帝とこの問題を結びつけてしまうのです。書かれてはいませんが、群衆もこれに乗ったことは間違いありません。
 
群衆を扇動したのは当局でしたが、この場面ではやはり群衆の声が恐ろしいものとして響いてきます。正に「群衆心理」とでもいうのでしょうか。
 
私たちは現代、民主主義を掲げ、一人ひとりがよく考えることでその意志を全体に反映させることができる、そのような社会を進めてきました。しかしそれは、「よく考える」ことを前提として建てられた砂上の楼閣のようなものである危険があります。むしろ、これは「民主主義」だという、新たな偶像のもとに恐怖すべき力となっていくことに対してこそ、警戒しなければならないと私は考えています。このことについては腐るほど言いたいことがありますが、この礼拝に相応しくなくなっていくような言い方になってしまいそうなので、いまこれ以上は遠慮しておきます。
 
イエスが晒されているこの現場においては、祭司長たちがけしかけているふうでもあります。最近もありましたが、某元大統領が、妙なことを呟いて支持者をけしかけて暴動すら起こしている姿を、私たちは見ています。なんのことはない、昔も今も、人間のしていることは同じです。いえ、情報通信の速度と拡大は、この恐ろしい事態を確実に助長します。煽動に簡単に乗るからこそ、「炎上」もありますし、「独善的正義」が巷に溢れています。
 
ピラトの問いかけに対して止まらなくなった感情は、イエスを十字架につける力にまで発展しました。これらがユダヤ人だったということを、ヨハネによる福音書は強調する傾向にあります。それが、その後の歴史の中で差別を生んできた一因となったことは否めません。その惨さについては、いまここでは言葉を控えます。しかし、私たちは、そして私は、やはりこの「群衆」の一人であるということを、忘れてはならないということだけは、いつも心していて戴きたいと願うばかりです。
 
◆「も」はいらない
 
その意味では、自分がいつの間にか大きな波の中に身を隠して、悪しき勢力に加担していないかどうか、自分を見つめておくことが重要です。「たとえ世界中を敵にしても」という歌詞をもつ歌は、あちこちに沢山あるようですが、それは逆に言えば、そういうことが私たちには殆どないからでしょう。
 
そこで初めの方でお知らせしたあの歌詞に戻ることにします。
 
  あなたもそこにいたのか、
  主が十字架についたとき。
  ああ、いま思いだすと
  深い深い罪に
  わたしはふるえてくる
 
すばらしい詞なのですが、英語の標準の歌詞はこうなっています。
 
  Were you there when they crucified my Lord ?
  Were you there when they crucified my Lord ?
  Oh, sometimes it causes me to tremble, tremble, tremble
  Were you there when they crucified my Lord ?
 
1行目だけ、直訳してみますと、「あなたはそこにいたか? 彼らが私の主を十字架につけたとき」です。日本語を曲にのせるので言葉が違うのは当然ですが、大切な一語がこちらにはありません。「あなたも」の「も」です。どこにもありません。日本語にするなら「あなたはそこにいたか」であって、誰か他の人と一緒に「あなたも」ではないのです。
 
もちろん、イエスの十字架の目撃者はたくさんいます。だから、福音書に描かれている人物たちと一緒に、そこにあなたもいたのではないか、と問うていることは、確かにひとつの真理を含んでいます。しかし、それではまるで、日本人好みの、集団意識の中に溶けこませようとする、あるいは溶けこんだほうが意味が伝わると考える、先走りのようなものではないか、と私は思うのです。
 
しかし、あなたはそこにいたか? オリジナルは、そうサシで向き合って問われている歌詞でしかないのです。この問いにどう答えますか。「ええ、いました」という答えがひとつのナンセンスであることに、先に触れていました。他方、それは信仰の話としては「はい」と答えるのが筋道である、と私は捉えていることをお話ししました。
 
「あなたはそこにいたか?」「はい、いました」、それは豊かな想像力の中での出来事としてあり得ることとしましょう。では、どこにいましたか。つまり「そこに」という「そこ」とは、どこのことでしょうか。福音書が描くイエスの十字架の場面の、どこにいたのですか。
 
弟子ですか。ペトロでしょうか。まさかユダだとは思わないでしょう。女性は、見守った女の中に自分を置くかもしれません。どれが良いとか悪いとか言うつもりはありません。ただ、この私自身はどこにいたか、それはずっと変わらず、決まっているのです。
 
群衆の中です。先頭にいるか、隠れているか、それは分かりませんが、元々は先頭にいたに違いないと思っていました。群衆の先頭で、「十字架につけろ」と叫んでいたそいつが、私です。しかし、最近はどうかすると、自分の身を安全なところに置いて、つまり隠れてただ同調して、「十字架につけろ」と野次馬のように叫んでいるのかもしれない、と思うこともあります。それでもとにかく、「そこ」とは、あの群衆の中であることに違いはありません。
 
◆見た
 
「あなたはそこにいたか?」「はい、いました。しかも、『十字架につけろ』と叫んでいた群衆の中に」。だから私は、イエスを殺したのです。殺した張本人なのです。
 
そんなことは現実的にありえない。意味のないことをこれ以上言うな。そう責められることも覚悟の上です。どう言われようと、私の意識は、それを否定することができません。絶対にできません。イエスが私の身代わりに死んでくださった、というだけの私であったなら、私はただの善人面をした性根の腐った奴として自分を軽蔑するだろうと思います。しかし私がイエスを殺した。その意識があるからこそ、そんな私を赦してくださった、というイエスの赦しが私を貫きます。
 
再び、ピラトとイエスが並んでいる情景を想像します。群衆である私に向けて、ピラトがまず言います。「見よ、この人だ」(5)。私はそれに対して、「十字架につけろ」とシュプレヒコールに溶けこみます。そしてその後、ピラトが一旦引っ込んだ後に、また私に向けて言います。「見よ、あなたがたの王だ」(14)。私はそれに対して、「連れて行け」と繰り返し、やはりまた「十字架につけろ」と叫ぶのです。
 
けれども、その後私は赦されます。イエスの十字架が、私に決定的な赦しの体験を与えます。赦されたならば、いまは「十字架につけろ」とは叫ばなくなります。すると、ピラトの言葉が、違うように聞こえてきます。
 
「見よ、この人だ」「見よ、あなたがたの王だ」――ここに、「見よ」という言葉があるところを、しっかりと聴くのです。私は見るのです。イエスの姿を。私は見たのです。
 
覚えておいでですか。あの「あなたもそこにいたのか」のゴスペルのタイトルは、「あなたも見ていたのか」という題もあった、と申しました。ちらりとそのように私は触れていました。この訳は、ただそこにいたのではなく、見るというもっと能動的な働きをそこに含めるものだったのではないかと思われますが、そういう意図とは関係なく、私はこのピラトから私への言葉の中に、この「見た」という応答をすべきだと、強く思わされているのです。
 
  わたしはふるえてくる
  深い深い罪に
  深い深い愛に
 
私は証しします。見たのです。それは、ただ傍観したという意味ではありません。
 
どうして、酷たらしい死刑を受けた人を拝むのか。そのようにキリスト者に問う人がいる、ということも先に申しておきました。いまひとつの答えを返すとすると、罪人の受ける罪をそのイエスが受けたからだ、とでもしておきましょうか。そして、この私がイエスを殺したからだ、と言いましょう。私は、そこにいたのです。そして、イエスを見たのです。
 
唾を吐きかけられ、言いたい放題の暴言と誹謗中傷を浴びていたイエスを思います。イエスが鞭打たれたときに、その肉に食い込んだ傷と痛みを、思います。もう立てないほどの状態でありながら、市中引き回しの上獄門というような姿をさらけ出されていたイエスを思います。釘打たれた手を、足を、見つめます。裸で見せしめに遭っていたのはもちろんのこと、痛みと苦しみの極みを黙って受けていた主を見ました。自らの体重で、息ができないような状態でありながら、長時間虫の息を続けなければならないその姿。
 
私は、それを証しします。証言します。それは、私がしたことなのだ、と。一年のうちでせめてこの一週間くらいは、このイエスの姿を見る時でありたいと願います。目を背けないでいたいと思います。わたしは、そこにいたのです。



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