WBCチームが羨ましい

2023年3月23日

WBC(最高の世界野球)大会が終わった。やはり自国チームが勝つと盛り上がる。私も片手間ではあったが、楽しませてもらった。ただ今回は、質的にも教えられることが多かった。
 
年長の経験者が、へりくだり、よく選手全体の世話をしたこと。その場にいられなかった仲間との一体感すら伝わってきたこと。監督も選手とのコミュニケーションをよく図っていたこと。その監督が選手を、選手が監督を強く信頼していたこと。目標は他国のどのチームも同じなのだろうが、その目標を掲げ、チームがよくまとまっていたこと。その目標へ向けて、心が一つになっていたこと。そして何よりも、明るく希望をもって進み、形勢不利でも諦めなかったこと。人々へのリスペクトを常にもち、礼節を弁えていたこと。
 
その他、各報道機関が、様々なエピソードやインタビューを報じているので、何かと細かくみると、いろいろ出てくるだろうと思う。いま触れたことにも、その背景がいろいろあって、それを拾い出すと、もうキリがないといった情況だ。
 
皆が一つの目標をもっていることが明らかであり、そのために心を一つにする。こういうことを称えると、日本人らしい画一化や強制を勧めるのか、と文句を言われそうである。そんなに「和」が大事か、そのために心が潰されていく者がいることをなんとも思わないのか。非難を浴びそうである。
 
確かにそうかもしれない。だが、さしあたりそういうつもりはない、とだけ言っておく。なにより私こそがいつもはみ出し者であって、一つになりましょうなどという甘い言葉に対しては、まず反抗する天邪鬼なのである。
 
しかし、その天邪鬼であることには理由がある。一つになりましょうという人物当人や、組織たるものが、それを言うに値しない人間であるからである。人間は罪人だという前提が私にはある。それでいて、できるだけ信頼するというのが、私のスタイルである。信頼はするが、警戒も怠らない、と言ったほうがよいだろうか。だから、値しない人間に対して、「赦し」などという美しい言葉を用いて信頼を寄せることは、むしろ悪であるとさえ断言する。
 
但し、無条件で全面信頼できる方を、私はひとり知っている。私はその方に救われたのだ。
 
同じような経験をした人々は、その方に同様に結びついているはずである。その方が、そのように説いているから、それは信じる。その仲間たちは、見える形でなくても、とにかくその方の名のもとに結びついている。そして、その方が話してくれた言葉を信じて、その言葉にあるような、一つの(数量的に単数という意味ではなく、一筋のものと理解できようかと思う)目標を与えられている。その方は、こうした仲間がそのように一つになることを願っている。
 
仲間には、チームの監督のような人がいる。一つの目標のために、メンバーとの間の信頼の成立に努める。誰かが挫けそうになったら、助けようとするだろう。何か失敗をしたとしても、責めるようなことをせず、目標へ進む最善の道となるように導くだろう。もちろん、その道を進むことは喜びであり、明るい光の中を共に行くのだろう。
 
そのような理想的な体験が、ないわけではない。が、人間のつくる組織に理想は成立しない。それを壊しにかかる邪悪な存在がある。人間を使って、理想をもつことに対して絶望させるために、希望を踏みにじるようなことをしようとしてくるのである。そして、自らを正義だと称し、世でうまく立ち回り、その偽正義のグループを肥大化させる。多数派はいつでも正義だという偶像を信じる現代人は、ますますこの罠にまるめこまれていく。
 
そうした現実に、望みをもつことを諦めかけていた私だったが、WBCでの日本チームの姿の報道に、おっと危ないところだ、と気づかされた。心が一つになるというのは、あの方の望むところではなかったか。忘れてはいけないのだ。  
一つになることをせせら嗤うような現状や、偽りの組織形成が正義面をするような世界の中で、私は聖書の中からささやかれるか細い声に、耳を傾けることをやめないでいよう。
 
あのチームの戦いを、胸に刻んでいよう。ちょっと、羨ましいなと思いながら。



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