ブルーナと東日本大震災

2023年3月10日

ディック・ブルーナ。亡くなったのは2017年。「ミッフィー」の作者として知られるが、福音館書店のシリーズでは「うさこちゃん」として知られる。原語では「ナインチェ」というのだが、「うさちゃん」という感覚なのだそうだ。英語訳からいつしか「ミッフィー」というほうが日本でもメインになってきたようであるが、その辺りの事情が、この本には書いてあった。『ディック・ブルーナ』(森本俊司・文春文庫)である。
 
今回は、本のご紹介ではない。年に一度の恒例行事などにはしたくないし、できないのであるが、東日本大震災についてのひとつの思いを表してみようと考えている。
 
著者は、ブルーナと特別に親しい関係にあった。京都にいるときに東日本大震災を経験し、一週間後、ブルーナに手紙を送る。東北の子どもたちに寄り添ってくれるようなメッセージをお願いできないか。
 
ブルーナは、「子どもの涙を見るのはつらいことです」と本に書いていたことがある。「あなたのイラストで、子どもたちに希望を与えて下さい」という著者の願いに対して、オランダの会社を通して、少し時間をくれるようにとの返事が来た。ブルーナが如何に丁寧に仕事をするか、著者は知っていた。だから待った。1か月くらい、待つつもりだった。だが、8日後に、それは届いた。うさこの目に涙があった。
 
私も覚えている。新聞を通してそれを見たように思う。ただそれだけなのに、胸が締め付けられるような気持ちがしたことを覚えている。――私がこうしたことに弱いことは、妻が一番よく知っている。テレビ画面に凝固した私に「なんで泣いとうと?」と顔を覗き込んでくるようなことがしばしばである。
 
ブルーナの世代の場合、オランダにおいては、日本に対して、戦争を通して悪い印象をもっている人が少なくない。だが、ブルーナはこの著者に、日本への関心を常日頃から示していてくれていた。
 
うさこちゃんの涙。それは1991年の『うさこちゃんのさがしもの』に、すでにあった。くまのぬいぐるみをなくして探すうさこちゃんが、両目に涙を流している。もちろん絵本は、最後にくまと再会する――思いがけず。物語では、この涙の後、「もう なきませんでした」で結ばれる。ブルーナの願いは、ここにあったものだと著者は覚る。
 
大好きだった人と離れ離れになった子どもたちに寄り添おうとする心がそこにあった。しかしまた、もうひとつ、『うさこちゃんのだいすきなおばあちゃん』という1996年の本がある。家族が皆、涙を流している。「愛する人との別れは悲しいことです。でも、あなたの人生はこれからも続いていくんだよ」という説明を、この絵本について著者が質問したときに語っていたのだという。
 
涙の絵本のエピソードはこの後も続く。直に本書をお読みくだされば幸いである。著者は、「おかげさまで日本の子どもたちは笑顔を取り戻した」と、胸を張ってブルーナに伝えることができるだろうか、と自問する。また、大震災を機にこれまでとは違う社会をみんなでつくっていこうという僕たちの誓いは、いったいどこへ行ってしまったのだろう、とも問う。
 
これは2019年の文章である。これをいま私たちは問い続けているだろうか。おとなたちは、 子どもたちに笑顔を、という願いを断念していないか。違う社会をつくろうとしていると言えるのかどうか。もちろん、私も、その中にいる。
 
なお、その震災の年、そして今年2023年は、どちらも干支ではうさぎ年である。



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