阪神淡路大震災、そして

2023年1月17日

1995年1月17日。歴史のひとつとして、教科書にも載っている。生徒はそれをテストにために憶える。もちろん、憶えてほしい。だが、そこから想像力も働かせてほしいと願う。
 
これを何らかの形で体験した、と言える世代は、もう30代以降ということになるだろう。あの日、燃える町は一日中テレビ画面に映し出された。まだインターネットは普及していなかったから、テレビが最大のメディアだった。ラジオでは、消息を問うために人の名前が読まれ続けていた。
 
京都に住んでいた私は、教会が際立つ神戸の街が好きだった。映し出される神戸の街は、すっかり変わっていた。そして、そこに住む人々が、身内を喪った悲しみもさることながら、日々生きることに負われている様子も知った。そこに向けられるカメラそのものの意義をも問うと共に、そうして報道されなければ分からないものも受け止めようと理解していた。見ないふりをすることだけは、してはならないと思った。
 
変わっていくもの、変わってしまったものを、自分のイメージの中の元の姿に直ちに戻すことはできない。また、自分のイメージの方が正しいのだ、と思い込んで、現実の姿を蒸しすることもできない。
 
あの頃はよかった。でもあの時には戻れない。ただ、これからの時を迎えることは必要である。生きているならば、明日がくる。変わってしまったものを、自分の思いのままに変えることはできないけれど、むしろ自分が変わるということで、新しい道を行くことを想定していくのがよいだろうと思う。
 
その人のために、その人たちのために、その道が調えられるために、祈る。自分自身の無力さと、愚かさを超えて働かれる方に、祈るのである。



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