新型コロナウイルスとインフルエンザ

2023年1月10日

この冬は、インフルエンザが流行している。これまでコロナ禍の中、何のせいだか不明だがインフルエンザは殆ど表に出てこなかった。だが今回、新型コロナウイルス感染症と共に、インフルエンザも多数出ている。
 
これらが、症状からすると、見分けがつかないのである。
 
医療機関では、発熱外来をもとよりやらないところもあるが、それを受け容れたところは、両方セットになった検査キットを準備しなければならない。
 
だが、これが医療メーカーでたいへん不足している。生産が追いつかないのだろうが、会社で確保しているキットを、多数希望する医療機関に配分しなければならないため、医療機関側としては、必要分が回ってこないのである。
 
そうなると、他所で検査してください、と言われた患者が、発熱外来を探して、自宅から離れた医院を探して訪れる。すると、従来その地元でかかりつけになっていたような人が弾かれかねないことになる。
 
ともかく、限られた牌を奪い合うような事態になっている。そして、この二重検査の手間もあって、医療機関はパンク状態である。残業に次ぐ残業であり、休憩時間も取れないのが実情である。
 
繰り返し述べてきたが、風邪症状でない別の症状で医療機関を受診することが、困難になってきている。そして、医療従事者が過労状態になっている。医院に行けば当たり前のように治療してもらえると思っている人がこれまでもいたが、もうそれは無理な話になっているのだ。保健所や医療機関の扱いが冷たいなどという身内の憤りを、そのまま政治や社会の批判としてぶつけることで、正義を放ったように勘違いしていた識者もいたほどである。医療現場で耐え続けている人々に、その言葉はどう響くものか、想像力がなかったのである。
 
マスコミももう報道しない。深刻に考えてなどいない。それはそのまま、社会一般の意識となってしまう。そして、マスクを取ってよいのだとか、会食万歳とか言い、我慢できないからいいじゃないか、と何でもアリの方向へ社会全体が向かっている。
 
少子化政策ができない政府が悪いとか、経済対策がよくないとか、そんな批判でもしていれば自分が正義であるかのように思い込んでしまうのが、知恵のない愚行であるということを、キリスト者は知っているはずである。世の中の見張り役を承っているのが、聖書を信じる者の立場だったはずである。塩気をなくしたら棄てられるであろうというような言葉を、本当にイエスが言ったのか、などと文献を偉そうに分析していた人自身が、自分が何をしているのか、気づかないでいるようなこともありそうである。
 
「医療機関のために」と祈りのリストに毎週載せておきながら、礼拝で一度もそんな祈りを聞いたことがないとすると、空々しいものを感じざるをえない。無知そのものを私は非難はしないが、偽善については、イエス・キリストが徹底的に糾弾していることを思い起こしてよいかと思っている。もちろん、私自身にまず刃を向ける姿勢だけは、崩したくないとは願っているのだけれども。



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