手話を使う俳優

2022年4月16日

興味のない人には全く目にも留っていないだろうとは思うが、SNSの一部で、猛烈なバッシングが起こっている。
 
ろう者でない人がろう者を演じるドラマがあったときに、ろう者がそれをよろしくないと発言したのだ。これに対して、聴者たちが、それはおかしい、と一斉砲撃を始めたのである。病人の役を病人が演じないといけないのか。ゲイでなければゲイの役をしてはいけないのか。つまり、すべての役柄が、その該当者でなければ演じてはならないとでもいうのか、演技というものが分からないのか、などということのようだ。
 
実にいろいろな例を持ち出してくる。ろう者でなければろう者の役をしてはいけないのか、という、いかにも正論であるような言い方をして、炎上している印象がある。
 
論理というものを、教育で押さえていないと、こうした単純な理屈を思いつく者がいても、それに安易に同調していくように見えて、悲しくなる。
 
それが筋が通ったように見えた人がこのように少なからずいるということは、何を意味するか。それは、「手話が言語である」ということが、理解されていない、ということである。
 
確かに、病人でなければ病人を演じてはならない、というリアルさは、事実上必要ない。それがまかり通ると、「演技」というものが全く意味をなさなくなる。だが、手話については、それが言語であるという点で、「演技」に支障が出ることが大いに予想されることになるはずなのである。
 
問題になった発言は、そもそも、それまで全く手話を知らなかった人、それも俳優業だけを営むのでない人が、急遽何週間か何か月か知らないが、手話を練習して、ドラマで生まれつきのろう者(聴覚障害者であるらしいが手話を使う)の訳を果たすということについて、ろう者が、手話をなんだと思っているのか、という声を出したときに、聴者たちが叩いたのである。
 
アメリカ映画で、日本人役が主役であったとする。日本語を話す様子が全編にわたって展開する。そこで日本人役に選ばれたのは、生粋のアメリカ人であったとする。俳優は副業のような人で、その人は、日本語について、それまで聞いたこともなく、全く知識がなかった。それで数週間か数ヶ月か分からないが、日本語を教えてもらって、映画で日本人の役を、日本語を全編で話すというようにしてこなす。どうせ英語訳がついている。見る人も英語が分かる人が殆どすべてである。日本語が不自然でも、構わないだろうという見通しで、そのようなキャスティングがされた。――さあ、それで、日本人として、気分良くその映画製作を受け容れることができるだろうか?
 
朝ドラでも、方言指導というのがある。これに訳者はずいぶん苦労するが、何週間かで対応する。これは、方言を身につけるのは大変だが、その方言をこれまでの人生で聞いたことは当然あるし、何より日本語である以上、習得が不可能というわけではない。
 
だがこの場合、手話などそれまで全く何も知らなかった人が手話を使う主人公なのである(俳優のために気遣っておくと、なかなかよく勉強はされており、その点放送後いくらか評価されているようでもある)。
 
これも知らない人が多いが、ろう者の俳優はけっこういる。日本にも、よく知られた人がいるし、劇団もある。そこには声をかけず、手話の「し」の字も知らない人を主人公にしたことについて、ろう者が不快感を覚えたとしても、聴者側から責める理由は、恐らくないはずだ。
 
そして現実に、アメリカのアカデミー賞において、ろう者の俳優がろう者を演じた作品「コーダ あいのうた」(この邦題には一部から悪評があるがそれは置いといて)が、作品賞・脚色賞・助演男優賞の3部門で受賞を果たした。このような優れた作品の実例があった中で、日本ではろう者の俳優が自らの立場の役ですらもらえないという社会状況が明らかになったことにもなる。
 
手話言語法が各地で成立している。手話歌で手話をやってみて、手話ができたと喜んでいる風景もよく報道される。昨今は、声を出せない合唱場面で、たとえば卒業式での歌を手話を使った、というような美しい話も報道されている。だが、手話歌で手話を使った、などというのは、ろう者の中には批判的な人も多い。振り付けにはなっているが、コミュニケーションの手段、つまり言語としての役割を果たしてはいないからだ。英語を全く話せない歌手が、歌詞の中の英語だけかっこよく歌い、インタビューひとつ全く英語はだめだということを、英語を使う人が嬉しく思うだろうか。
 
言語とは何か、考える機会である。また、たとえ会話はできたとしても、コミュニケーションができないでいては、対話はできない。私たちは、どのような言語であれ、肝腎の対話を欠いては、何も得るものがないのかもしれない。現に、このSNSの中では、日本語が使われていても、対話になっていなかったのであるし、対話が成立しないところに、武力が用いられるということが、実際起こっているのである。



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