熊本地震から6年

2022年4月14日

4月は、いくつか思い起こさねばならないことがある。たとえば、25日の、尼崎列車事故と、この熊本地震である。6年という月日は、そう遠くない過去なのだが、さて、一般の認識は、かなり遠い過去ではないかと案じられる。
 
震度7を3日のうちに2度経験するというのは、記録上ないと言われている。実際の被害もさることながら、心理的な影響はただならぬものと思われる。というのは、京都で味わった阪神淡路大震災の揺れは、いまだに私のからだに染みついていると思うからだ。
 
仮設住宅に何度か足を運ばせて戴いたことは、かけがえのない体験ではあった。だが、福岡に戻れば家のある自分が、なんとも言えぬ感覚に包まれるものだった。
 
せめて、生活面では必要な助けが続くようであってほしい。被災しなかった者には、それくらいのことしかできないのだ。
 
今週は、2022年に設定された受難週。マタイによる福音書によれば、イエスの十字架の時に地震が起こり、さらに復活の朝にも地震が起こっている。これもいわば、3日間のうちに2度起こったことになる。
 
それはまた、いつ起こるか知れない。医療や保健の危機のいまに、災害がくるのは厳しい。保健所を減らし続けた報いを私たちは受けているが、備えと助けにおいて、愚かな判断しかできないのであれば、また別の危機に見舞われることだろう。
 
まずは、痛みの中にある人々に、慰めがあることを祈るばかりである。



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