手話で「クリスマス」は

2021年12月13日

手話という言語もまた、日々進化していく言語である。新しい語に対して、対応する手話が発案される。日本語を訳す上で、とりあえず指文字で表現してコミュニケーションを図るが、まとまった形の手話がやがて決められる。
 
元来、地域で自然に固まっていったはずである。従って地域により「方言」がある。しかし音声日本語も共通語へと傾いているのと同様に、手話もまた、この通信の時代の中で、ある程度共通認識がなされるようになってきている。
 
技術的な新語もあるし、流行語もある。流行語はやがて消えることも多いが、テクノロジーや社会的な関心事などは、その後も使われていくので、何らかの共通認識が必要とされる。そうでないと、手話ニュースが成立しない。
 
手話は、表現豊かな言語である。時間的に一音ずつ辿らねば伝達できない音声言語と異なり、空間を利用する事で、一度に複数の情報を伝えることができる。たとえば教会では「礼拝」という言葉をよく使うが、神に向かってひれ伏す人間を同時に示すことで、その関係性を一度に表すことができる。「騙す」はキツネの形をとるが、どちらがどちらを騙しているのか、手の向きだけで一目瞭然なのである。こうした感覚は、音声に頼る聴者の文化からすると、画期的なものに見える。
 
しかし、教会では、実はなかなか落ち着かなかった言葉がある。「クリスマス」である。
 
一般の手話辞典によると、サンタクロースの髭を示すものがある。だがさすがに教会でこれを使うのは問題がある。そこで、クリスマスの英語の最初の文字「C」を示したり、「X」を示したりすることも考えた。しかし最近は、「主イエス」+「誕生」が標準になってきているように聞いた。これは四つの動きを伴うので、たくさん使う語彙である故せわしない動きとなるが、意味は的確に示しているので、内容的には問題がない。とはいえ、これについては手話の方がもたもたしている感は否めない。
 
それでも、手話のもつ豊かな表現の世界は、聴者では思いつかないようなすばらしいものがあると捉えている。視覚的なものに対する確かさについては全く及ばないし、デザインや色彩について、たとえば衣服についてはいつも魅惑されている。
 
ただ、社会制度や生活習慣など、聴者が設計した社会は、音のない条件ではてんで役に立たないものになっていることが多く、その中で生きるろう者にとっては大変な負担を強いられるものも多い。それは時に、生命に関わることもある。一つのたとえとして、私たちが全く理解できない言語だけの街に放り込まれたら、どうかという想像をしてみるとよいのだ。また、逆にろう者だけの集まりに、聴者がひとり飛び込んだときにどう感じるか、ということもよく言われる。
 
手話ばかり取り上げたが、ろう者や聴覚障害者が、皆手話を使うわけではない。せっかく今、教育現場でも「ユニバーサルデザイン」という概念が浸透しているのだから、誰もが同等の権利をもって生きていくことができるような社会を形成するようにしたいと願うばかりである。福祉体験やこうした知識を、小学生は必ず学んでいる。むしろ知らずに誤解や偏見の塊であるのは、大人のほうだ。大人こそ、一から学ばなければならない。



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