「しなかったこと」を問おう

2021年11月23日

教会で牧師とすれ違い様に「先ほどはありがとうございました」と声をかけられた。私は、何のことか全く分からなかった。その日教会に来てまだ10分かそこらであったから、その中で思い当たることは何もなかったのであった。
 
説明された。ある人を乗せて車椅子を押していたことだという。
 
私は、それがなんで「ありがとうございました」なのか、まだよく分からなかった。やっと少し遅れて、「いや、そんな、全然」とは言ったものの、まともな対応ができなかった。
 
マタイによる福音書25章の後半に、有名な、羊と山羊のより分けの話がある。言うなれば終末の審判の場であるのだが、人類が二種類に分けられる場面で王が言う。片方を褒める。言うことには「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」そうだ。しかし、当人たちは、自分がそんなことをしたとは思えない。いったいいつそんなことをしましたか、と王に問う。王は「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」と説明して、彼らに永遠の命を与える。この箇所からトルストイは、あの有名な靴屋のマルチンの話を書いた。
 
そんな意識しないことがあるだろうか、というふうにも思えるが、車椅子を押しただけのことで礼を言われるという奇妙な体験があると、もしかするとそういうことがあるのだろうというふうにも思えた。
 
このより分けの話の続きは、これと対照的な様子を示す。裁かれるほうに王は厳しい結論を言い渡す。「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ」と、今度は「しなかったこと」を羅列したのである。当然言われた方は不服を訴える。いつ自分たちは「しなかった」のでしょうか、と。王は先ほどと同じような言い方で、「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ」と説明し、彼らを永遠の罰に引き渡す。
 
この話は普通、善行の勧めに用いられるかもしれない。しかも、小さな者のために、とあるから、弱い人や光の当たらない人、なにげなくそこに困っている人、そうした人を助けることの大切さを、教会学校では子どもたちに説くことになる。
 
だが、もっと違うところに目を留めることもしてよいように私は感じた。そのために、何が悪かったのか考えてみよう。それで最初の事例の逆のことを言葉にしてみようと思う。最初の褒められた方の反対は、たとえばこのような場合だ。「自分はこのように善いことをしました。だから神さま、私を褒めてください」というふうに考えることだ。待てよ。子どもたちは先ほど、弱い人を助けましょうと教えられたのではなかったか。だったら、教わった通りに弱い人を助けよう。よし、助けることができた。神さま、私を褒めてください――という路線に走るのは殆ど必然的ではないだろうか。せっかく教えたことが、正反対の位置にその人を連れて行ってしまうのだ。意識させてしまったばかりに。
 
後半の、「しなかった」方は何が悪かったのか。自分の「しなかった」ことを意識できなかったことである。しかし、自分が何かしたということは自分の意識に上る画、自分が「しなかった」ことを意識するのは、限られた場合になりはしないだろうか。見て見ぬふりをした、と良心の呵責の苛まれたときなど、するべきかやめておこうか、という葛藤を覚えた上で、楽な方を選択してしまった場合は、「しなかった」ことが意識に上るだろう。だが、基本的にこの「しなかった」というのは、それをするということそのものに気づいていない、というものではないだろうか。
 
どうしてキリスト教会は、性同一性障害を犯罪とする法と裁きから、助けることを「しなかった」のだろうか、と問われたらどう答えるだろうか。それは助けるという発想そのものをもてなかったからなのだ。気づかなかったのだ。さらに言うと、それを犯罪とすることを、キリスト教は正義だと言って憚らなかったからだ(尤も、そう言っておきながら自ら聖職者がそれを盛んにやっていたとなると、弁護のしようもなくなる)。だがきっと、それは間違っている、という考えを持っていた人はいたはずである。しかしそれを言う自由は当面なかった。その声が響いてきても、つまり考えそのものを耳で聞いたとしても、人々はその大切さに「気づく」ことがなかったのである。
 
「しなかった」ことに気づくことは、簡単ではない。
 
2020年からの「コロナ禍」と呼ばれる事態は、ついに2年という月日を数えることとなった。この間の教会の活動は、礼拝を最初は「中止」するという声が飛び交い、そこに私のような考えをもつ人が、礼拝を「中止」するという考え方はありえない、と言うようになった。リモートという新たな形で礼拝を画面に映し出すことで、かろうじて信徒たちは教会とつながるような形で、礼拝生活を続けたことになっていた。中には、それまで礼拝に集っていた人が、信仰そのものから離れることもあった。いろいろな事情で、献金がそれまでのようには集まらなくなったところが多いのではないかと思われる。ついに牧師がアルバイトを始めた、などというケースもある。その上、伝道活動が利かなくなった。ミッション系学校の学生が礼拝出席レポートを出す活動がなくなり、また、「教会に一緒に行こう」「教会に一度来てみて」という誘いができなくなった。逆に、リモートで公開されている礼拝を渡り歩くこともできたが、メディアの視聴以上にはなかなかなりにくい。信徒は減ることはあっても、増えることがないようになった。ただでさえ、閉塞感の中で教会員が減少の一途を辿っていたキリスト教会であった上にこれでは、ますます絶滅への道へと急加速したようなものであった。
 
教会組織は、組織の運営や保持に必死になったものと思われる。毎週必ず行う礼拝のため、慣れない機器を用意して発信をするのも試行錯誤、そして連絡をどうするか、会議をどうするか、とにかく一つひとつに慌ただしく立ち向かうのだから、それもやむを得なかった。
 
人と会えないということは、教会の多くの活動を止めた。特に教会の外にいる人への働きかけに力を注ぐ余裕をなくしていた。しかし一部の教会は、この時にできることを見出そうとしていた。物資の必要な人に物資が届くように働きかけたり、一般の人の事務作業を手伝おうと呼びかけたりした。このときにこそ困っているのだから、と苦しい境遇の人をなんとか助けようとする活動も、工夫をして続ける教会や団体もあった。本当に頭が下がる。
 
だが、多くの教会はそうではなかった。そこで、気づくために、問うべきだと考える。このコロナ禍において、「教会は何をしなかったか」ということを。
 
保健や行政関係を含む医療従事者のために祈ることをしなかった教会があるはずだ。患者やその家族のために祈ることをしなかった教会はもっと多いかもしれない。そもそも、誰かのために何かを、という発想が全くなかった教会も少なくないのではないか。
 
「しなかった」ことには気づかない。その結果がどういうことになるのかは、イエスが明確に語っている。気づきませんでした、は言い訳にならない。私たちは自分が何かをしたということはそれなりに意識できるが、「しなかった」ことは意識できない。その意識を敢えてしようと「目を覚ます」ように「しなかった」ならば、本当に教会に未来はあるまい。



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