人間のにおい

2021年10月16日

教会に清さを求めて来る人はいまもいる。特に日本でつくられたテレビや映画では、教会に対するステレオタイプな描写が多いから、それを見て教会のイメージをもつしかない人は、ますますそういうところだと思う可能性があると言えるだろう。
 
もちろん、キリスト教を毛嫌いする人もいて、そうした人は、SNS関係から、教会に行く人の見にくい発言を見慣れているということで、教会とは醜いところだと思い込んでいる場合もある。SNSでは、純朴なキリスト者が、信仰の交わりをもちたいとツイートを始めて、こんなはずではないと痛く傷つくこともしばしばである。そういうツイートを何度見たことだろう。
 
京都で教会生活が始まり、信仰ということを教えられた。聖書についての知識を研究するようなタイプではなかった。私は個人的に、聖書を調べるほうに勤しんでいたから、信仰を語られ続けたことは、バランスが取れていたと思う。ここでは何かを語るにしても、正直に話せたと思うし、いろいろな人のエピソードが知らされ、一人ひとりに生きている神の霊というものがどういうものか、しみじみ感じることができた。また、このとき私は教会の音楽というものを教えてもらった。音楽の先生がいて、下手くそな私に歌を教えてくださり、また私に賛美をつくることを勧めた。そしてささやかな賛美集を発行して戴いた。
 
福岡に戻ったとき、私は日曜勤務の会社に入ってしまい、悩んでいた。妻は子どもを連れて近くの教会の礼拝に連なった。そのとき、その人々に大きなショックを受けたのだという。楽しい交わりがあってリラックスできる雰囲気があったのはいいが、あまりにも世俗的というか、教会でそんな歌うたう?みたいな自由奔放を感じたそうだ。カトリックを目指すような聖なる雰囲気のところから始まった妻の信仰生活だったせいもあるだろう。だが京都の教会は、信仰についてのある種の厳しさがあり、そして暖かさもあったから、何も荘厳なものがいいというポリシーをもっていた訳ではない。しかしそれにしても、あっけらかんとしすぎていた。ここでは礼拝と並行して子どものための礼拝システムを考え、私がほぼ一手に引き受けていたため、子どもたちだけではあったが、礼拝の主催を長きにわたって務めることとなった。残念だったのは、祈りのうちに転出した牧師の代わりに招いた人が、世間的に考えても精神的に問題があったということだった。不適切極まりない伝道師を付けることもあったが、二人してよく喧嘩をしていた。自身の信仰のない人のメッセージに、私は耐えられなくなった。
 
別の教会は、少し襟を正すようなところがあった。どちらかと言うと古いタイプの礼拝だった。聖書をきっちり読むことを学んだ。イスラエル旅行の案内ができるほどの牧師だったので、現地の空気を届けてくれるようでもあった。歴史や文化について多くを学んだ。何より、そこでは手話を知ったのが大きかった。残念だったのは、見た目で人が選ばれたためか(そんなことはどこでもあるが)、全く信仰のない信徒が教会の役員をして、結局その人たちが教会を破壊してしまった。人間の理屈を大声でまくしたて、自己本位に振舞ったのだ。その後、その人が全く信仰などもたないことが、SNSから判明した。どうして当初それを見抜けなかったのか、自分の愚かさを悔やんだが、時すでに遅かった。また、後継者を焦るあまり、とんでもない人を伝道師としてしまったことも、この破壊の一因となってしまった。こうした人間的な問題が続いたのも、信仰というものがそこに見られなかったのだとしか言いようがなかった。
 
また違う教会は、自由な礼拝形式の中で、若い力が漲っていた。よく奉仕する方々が多くて頼もしかった。それまでのように、私たちがいくつものことをしなければ教会が動かないというようなこともなく、少し楽な居心地がしたのはありがたかった。これまでとは少し違う感覚の説教だったし、時折嘘を平気で語るところは難点だったが、自身悩みを抱えてきた人の語りには、ある種の真実があった。他方、別の説教者は個人的な救いや信仰というものは、その人格からは少しも感じられず、教師のようであり、原稿を読む形の講演会というふうに見えた。こうした背景をもつと、信徒もどこか頭でっかちになる。社会運動や神学理論には詳しくなるかもしれないが、信仰という意味では疑問をもたざるをえないという気がした。いや、そもそも教会の方針に信仰というものがあるのかどうかさえ分からないように思う。人間くさい理由で退任した牧師に代り、しばらく新しい人を探していたが、こちらも後継者選びに焦り、本来の条件を変えてまで見つけた人は、そのSNSを見る限り人格的にも信仰的にも危うい人だと私は見ているが、いまやキリスト教世界で牧師となる人が不足しているという現状は、全国的に深刻である。
 
プロテスタントに限らないという話だが、そもそも小さな教会が多すぎるために、ますます牧会者が相対的にも少なすぎる羽目になっている。自ずから、質が落ちることも仕方がない。学校が激しい定員割れであるために、入る意志がある生徒を誰でも入学させるような形になるからだ。上に挙げた、全く信仰をもたないようなとんでもない人が、定年退職したから神学校に行こうかな、などとSNSで呟いているのは、その象徴と言えようか。
 
もちろん聖書の知識は大切である。だが、知識を得たいならばカルチャーセンターで学べばいい。研究も結構だ。そしてそうした研究は、大切なことだ。研究者を尊敬するし、感謝している。しかし、教会というのは(訳語もまずいが)、キリストに従う者たちによる信仰の共同体である。それに適していない人が混じってはいけない、などと言うつもりはさらさらなく、多くの人を招き入れて然るべきだと私は声を大にして言いたいけれども、しかし信仰に生きる人たちも、流され変えられていく危険性は常にある。あまりに人間くさい空気に慣れ親しむと、信仰など第二、第三の原理に下げられてしまって、いつしか顧みられなくなるほどにもなりかねない。人間の原理がまかり通るだけの組織になってしまい、組織経営がすべてとなっていくことがしばしばあるのを、悲しく思う。
 
偶々私がそういうところにばかり当たったのかもしれないが、そもそも私が育まれた「信仰」なるものが、教会というところから失われているということなのかもしれない。メディアを通じて聞こえてくるキリスト教信仰というものが、一部には確かにあることは間違いないのだが、どうもそうではない現場にばかり神は私たちを遣わしているようだ。
 
信仰は、献げることでもあるとすると、京都の教会は、献げる教会ということを大きなモットーとしており、やはりそこに命があったことがよく分かる。但しその教会も、私たちが福岡に帰った後、教会を破壊する者が現れて、牧師を追い出してしまった。その結果、教会自体がやがて消滅してしまったので、私たちが結婚式を挙げた建物はいまはもうない。他の教会でも、教会を破壊したというような言い方をしていたが、それは牧師を追い出したということだ。幸い、信仰ある信徒が建て直したが、そこでも焦って探した牧師のせいで、教会が再び混乱した。それは確かに新しく来たその人が極めて自己本位であったためで、今度は、その人を退かせることで信徒の礼拝は建て直された。そこにあったのは、愛に生かされた信仰であった。人間くさいものから脱皮したとき、良い形に向かったのである。
 
教会には、人を見に行くのではない。鼻から息をする者に頼る必要はない。もちろんこの自分が模範だなどという思い上がりをすることはありえない。自分の考え方が唯一正しいのだなどとは微塵も考えていない。罪人のかしらだという意識を片時も忘れたことはないし、忘れてはいけないと考えている。人に不平を言っているのではない。むしろ人間とはそういうものだ。どうしても、人間くさいものにはなるだろうと思う。ただ、それを教会の原理にしてしまってはいけないことは確かである。人間のにおいがぷんぷん漂うままに放置してはいけない。もはや教会ではなくなるからだ。礼拝は、人間の側から言えばひとつには神と会うことであり、神から言葉を受けることである。そのときこちらからも神に何かを返す動きがあって、対話というか、コミュニケーションがあるという営みであるに違いない。もしそこに、人しか見ず、人の考えしか現れないようなことがあれば、その人間くささが、神を追い出してしまうことになるだろう。
 
そうならないためには、「信仰」がキーワードになりはしないか。それはまた、聖書の原語の世界では「信頼」を表す言葉でもあった。信頼を壊すことは、教会を建てることとは対極になるものであろう。



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