本は友だち

2021年10月14日

夜中だろうが、隙間時間であろうが、いつでも付き合ってくれ、嫌な顔一つせず、すべてをさらけ出してくれる。寡黙な奴で、問いかけてもにやにやしながらこちらを見ているだけ。心の中を当ててごらん、とでも言うように、どっしりと構えてくれる。少々乱暴に扱っても許してくれる。本はいい奴だ。
 
ふと、昔の風景が目に浮かんできた。
 
「ジャポニカ大日本百科事典」。たぶんこういう名前だったと思う。家にあった。20巻くらいあったと思う。当時、ガラス戸の書棚に、百科事典というものを並べるのが、ひとつの社会的なステイタスのようなものであったような気がする。しかし我が家はそんな格調高い建物でもなかったし、裕福ではなかった。もしかすると、まだ幼かった私のために揃えていたのかもしれない。
 
しかしまだ幼稚園か小学校低学年だった私には、それが読めて使いこなせるとは思えない。そこで次に登場したのが、「原色フレンド百科大事典」なる青い表紙のものだった。カラー写真が豊富だった故の「原色」の名が時代を感じさせる。こちらは分厚い1冊形式で、小学生に相応しい説明だったと思われる。私はよくこれを見ていた。
 
しょうもない雑学めいた知識が多かったのも、これのせいではないかと思われる。この体験があるから、私は我が子にも、現代風のそうしたものとして「まんがこども大百科」を部屋に置いておいた。案の定、ただ置いてあるだけで、それを見て楽しむ術を覚えたてくれた。子どもとはそういうものだと思う。孟母三遷ではないが、そこに気を惹かれるものがあれば、触れてみるものである。
 
私はほかにも、細長いジャンル別の図鑑が大好きだった。これは題名を忘れたのでさすがにいま検索しようにも難しい。海の生き物が特に面白かった。ホネガイなんか、なんでこんな形しているのだろうと感じつつも美しいと感じた。ウミウシとの出会いもこの図鑑だった。海の生き物は、重力に左右されないから体型も様々なのだということは、後から知った。
 
偕成社だったか、自信がないが、だとすると「児童名作シリーズ」というものも、家にあった。姉は歳が離れているので、それは明らかに私のために揃えられていたものだった。母も、それを読めとは強いなかった。私はそれを読むのが面倒だった。それで少しは読むように言われたかもしれないが、さして記憶がない。外遊びばかりしていたし、室内ではダイヤブロックがお気に入りだった。
 
本を読むのは、好きではなかった。
 
それでも雨が続くなどして、退屈が過ぎると、そこにあるその文学作品の子ども向けのものに手を伸ばしてみていた。読み終わるまでにそれなりに時間がかかったので、なんでこんなに時間をかけて本を読まなければならないのだろうという気持ちが強かったが、なんとなく読んでいるうちに話に惹かれていくことも多かった。もちろん、馴染まないものもあった。外国の、少女が主人公のものは、共感の要素が少なかった。しかし日本のものは、当時母の実家の禅寺に年に二三度行っていたこともあり、近しさを覚えた。耳なし芳一はけっこう怖かったし、彦一とんち話は何度読んでも面白かった。古事記の内容を後にそれなりに知っていたのは、この全集のお陰である。曲がりなりにも、世界の名作に触れたことは、後に世界の拡がりを感じるのに十分な素地を与えてくれたと思う。
 
我が子たちの場合は、実は秘策というわけではないが、最高の環境があった。家の近くに図書館があったのである。そしてよく連れて行った。借りて読むことに慣れ、いつも図書館の本はバスケットに入れて並べておくことにしていた。小学校では学校の図書室から借りることもできる。長男は、卒業のとき、本を一番借りたということで表彰されていた。確かによく読んでいたと思う。
 
私はというと、文学作品はやはり苦手意識をもったまましばらく過ごしていたが、中学三年の後半で、理科系の本に夢中になった。勉強に少し厭きていた時期であった。高校のときには本をあまり読まなかったと思う。理系クラスだったが大学受験が思うようにならず、浪人したとき、哲学を志すように進路変更した。そのため、文系なら本を読まなければ話にならないと考え、受験雑誌「学燈」(受験の国語のほうである。丸善の雑誌ではない)に載っていた必読リストなる50冊をとにかく片っ端から読んでいくことにした。
 
そして、本を読まねばならない大学生活へとつながっていった。数年間それが続いた後、その義務から解放されたとき、私は本をそう買わなくなった。気になるものは時折買うが、月に一万円はゆうに買っていた学生時代(奨学金の多くがこれに消えた、但し大学生協では1割引で買えた)と比べると、微々たる者だった。だから、また大学時代と同様に本を買いまくるようになったのは、比較的最近のことなのである。学生時代、木造アパートは底が抜けそうになっていたが、後に鉄筋の部屋に移ってからは安心し、結婚後福岡ではその点の心配はなくなったし、本を買うだけの金銭は確保した。別にひとと飲みに行くようなこともしないし、贅沢な服も買わないわけで、実際本くらいにしかお金の使い道がなかったのだ。子どもを連れて行くレジャーも、さして金のかかる場所には行かなかったわけである。
 
妻は本が溜まることに辟易している。ずいぶんそれで争うこともあった。私は何度か本を棄てた。いま読みたいと思う本を棄ててしまっていたのも事実だが、確かに棄てた殆どは、それっきりのものでしかない。いまは部屋をひとつもらって、そこを本倉庫としていて、妻は関知しないことになっているのだが、コロナ禍で閉じこもりになった当初に棄てて以来、またどんどん溜まっていくものだから、呆れつつも、少しずつ圧力をかけてきている。私も確かに棄てる時期には違いないと考えている。二度と読まないことが分かっていても、棄てられない感情があるのも確かではあるのだが。
 
だが大学時代に奨学金で購入した哲学者の全集の中には、全部は読んでいないというものも事実あった。だからコロナ禍になってから、決意して日々読み進めることにした。とにかく全頁読むという掟を自らに課した。お陰で、デカルト選集とプラトン全集は制覇した。いまカント全集を半分余り読み進めてきたところだ。それが尽きたら、せっかく全部買っていたので、岩波講座の哲学というやつを見ようかと考えており、それは一部もう読み始めている。さすがにカントも、アカデミー版(髭文字のやつ)で通して読むドイツ語力はもう私にはないから、それは飾りで終わるかもしれない。



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