すばらしい歌

2021年9月14日

パラリンピック閉会式で最後に、ルイ・アームストロングの「WHAT A WONDERFUL WORLD」がしっとりと歌われ、心にしみた。
 
決して心安からずという状態のアメリカで、平和などどこにあるんだという気持ちの中で生まれた曲だという。だが、この美しい自然と、人々の友愛を見て、子どもたちの未来を信じて歌う「素晴らしき世界」が、障害者(この言葉が適切かどうかはここでは問わないで使わせて戴く)や子どもたちと共に歌われた。そこに健常者(この言葉が適切かどうかはここでは問わないで使わせて戴く)も加えてほしいと願い乞うような、ひとときだった。
 
その前には、ゴダイゴの「ビューティフル・ネーム」も歌われた。1979年の「国際児童年」の協賛歌だったし、NHKの「みんなのうた」でも放送された。日本語の詞は、うる星やつらやななこSOSの歌でも知られ、2021年5月に亡くなった伊藤アキラによる。
 
  名前、それは燃える命
  一つの地球に ひとりひとつずつ
 
名は体を表すという言葉があるが、伝統的に人の「名」は、その人の本質を表し、その人の核心であり根底的なものを示すともいう。「ゲド戦記」はそれをテーマとして描かれたとも言えると思うが、日本でも「大工と鬼六」のように、名を知ることの重要さを教える物語があるので、「名」の大切さは広く考えられていることだろうと推測できる。
 
そして聖書は、格段にこの「名」ということの重みを感じさせてくれる。神の名を呼ぶ者は救われるし、賛美するのは主の名である。これを挙げ説明しようとすると、それだけで一冊の本ができそうなので、いまは割愛する。
 
「ビューティフル・ネーム」の英語の詞は、奈良橋陽子。カナダで育ち、帰国後ICUで言語学を学んでいる。聖書を背景にした「名」のもつ意味を十分ご存じの方なのだと思う。一人ひとりを尊重すること、それが未来をつくるいまの子どもたちであること、それを「美しい」「すばらしい」と歌うこと。子どもも大人も、安心して歌える言葉だというのが、なんともうれしい。
 
  呼びかけよう 名前を
  すばらしい名前を
 
「素晴らしき世界」とともに、共に「すばらしい」と歌う。キリスト者は賛美歌で、神に向けてこの言葉を向けるが、その心がこれらの歌とつながるということは、素直に認めてよいと思う。こちらは、キリスト者であるかどうかに関わらず、誰もが歌うことができるという意味で、「すばらしい」。
 
誰もが声を合わせて歌うことができる歌。いったい、どれほどあるだろうか。最近だと、「パプリカ」がそうだろうか。ただ、こちらは私とあなたという関係の中に留まっている。キリスト者は、自分と神という関係の中で「私とあなた」を歌うことがあるが、それは広く人間すべてと神との関係へと結びついていく。「パプリカ」のそれはそういう広がりを感じない。普遍性をもつような、スケールの大きい歌詞の歌を、誰もが声を合わせて歌うことができないだろうか、と願う。
 
すでにあるかもしれない。私が知らないだけではないかと思う。教えて戴きたい。



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