ただ非難だけをする前に

2021年8月12日

出入国在留管理局において死亡事故があったことで、いまもなお議論が続いている。当然これは問題であり、蔑ろにしてはならない。
 
だが、これに乗じてか、出入国在留管理局が悪の権化であるかのように一方的に非難する人が、一部だがいることは非常に残念である。
 
仕事の上でのミスや勘違い、至らぬ点があることは軽視してはならないが、さも管理局がけしからん存在であるかのように叫んだり、それに近い言い方で(世論という)圧力をかけようとしたりすることは、人間の愚かさそのものであると見て然るべきであろう。
 
出入国在留管理局は、私たちの生命と財産などを守るために置かれている。社会の秩序を守るルールに従い、またそれを目的として、日々懸命に仕事をしてくれている。
 
ミスをした役人や機関をただ悪辣に非難することで、自らを正義であるように思い込むことが、人間の性であることは否定しない。だが、これは大変危険な姿であると私は理解している。
 
私はこの報道でまず何を感じたか。それは、私があの人を殺したようなものだ、という深い痛みであった。私の生活を守るために働いている機関の失敗である。間接的ではあれ、私が関与しているのだ。
 
この痛みの中から、どうしてこんなことが起きたのか、この方とその関係者にどう償えばよいのか、そしてこれからどうしたらよいのか、そんなことを考えていくしかないのだ。
 
犯罪被害者の遺族がよく、「もう二度とこんなことが起こらないように」と涙ながらに語るが、内にあるかもしれないもっと強い怒りを抑えての精一杯の声として聞く。だが、私たちがすべてを誰か他人のせいにして、自分が正義である限り、「こんなこと」がまた起きるのが実情である。実際、起きているのであり、「二度と起こらない」というようなことは、成就していないのではないか。
 
他人をただ非難することは、自分が正義であると示したい心理の裏返しである。自分が不正義であるという痛みを、すべての人が感じることを私は願っている。



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