『老い』(ボーヴォワール・100分de名著2021年7月)

2021年7月6日

関心のない人には気持ちが向かわないテーマかもしれないが、高齢化社会となっては、関心のある人のほうが多いだろうとも言える。しかも講師が上野千鶴子氏。女性問題についてのみならず、社会問題への発言力からしても、最高度のレベルを提供してもらえそうな期待ができる。これを「過激」だなどというと、むしろ、ではあんたは何をしているのか、と問われそうな気もする。
 
ボーヴォワールに戻ろう。そもそもボーヴォワールが、サルトル絡みでしか頭に浮かばないということ自体が、どうかしているのだ。一般に読まれやすい者としては、やはり『第二の性』だろうか。私も必要からだが読んだ。ある女性が卒論で扱ったからだった。いろい考えさせられた。だが、女性についていくらかでも考えているつもりでいたら、とんでもないことだと常々教えられる。最近も、『女性の生きづらさ その痛みを語る(こころの科学)』や『哲学の女王たち』に触れて、こてんぱんに打ちのめされた。
 
いやいや、本当に本論に戻ろう。安心してよいのか、さすが上野氏、視聴者あるいは読者が、要するに何をどう捉えればこの本を少しでも知ることになるのか、それを繰り返し、また簡潔に指摘してくれている。結局のところボーヴォワールは、老いに問題があるとすれば、それは社会問題なのだ、と言っているのである。
 
その過程をここで辿るわけにはゆかない。番組をご覧になるか、テキストをお読み戴くべきだ。実はこのテキスト、amazonで注文したのだが、トラブルがあった。予定日に到着しないばかりか、荷物がどこに言ったのか行方不明のようだったのだ。amazon側が悪いのではなく、運送業者の方で見失ってしまったらしいのである。予定日より4日遅れて到着。このコロナ禍において益々増えた荷物を黙々と配達してくれる業者に対してとやかく言うまい。ただ、番組開始前にテキストを見られなかったために、初回を見てぶっ飛びそうになった、そのことが言いたいのだ。というのは、上野氏、堂々と、限りなく放送禁止用語に近いような語を繰り返し言ったからだ。伊集院光氏もEテレでそれかとたまげていたが、どうやら語そのものは問題がないらしい。テキストを読んでいたら驚かなかっただろうと思うと、この場合、テキストが遅れて届いたのには意味があったことになるのだろうか。因みに第2回では、上野氏はこの伊集院氏の芸人の場合の心理などについての説明にいたくご機嫌で、本当に楽しそうだった。伊集院氏の理解力にはこれまでも驚かされていたが、今回目を細めていた上野氏の眼差しは、非常に印象的だった。
 
さて、ものの考え方というのは、それが当たり前、と思っているところに、罠がある。自分がそのような景色しか見えないからといって、それが世界のすべてではないことは、考えてみれば当然である。だが、その場所に立っている自分からしてみれば、それ意外の考え方など思いもよらず、別の道があることに気づかない。
 
老い。その言葉に、私たちは否定的な意味合いを読み込むことしかできなくなっているのではないだろう。美魔女と言ったり、アンチエイジングが流行ったりするというのは、老いを好ましからざるものという前提で捉えているからである。ボーヴォワールにしても、本テキストにしても、まずそこから突き崩すというところから始める。『山椒魚』の岩屋のように、狭い限られた世界しか見えていないところからひとつ抜け出すと、『国家』の洞窟の比喩のように、全く違う世界が目の前に現れてくることだろう。尤も、後者の場合には、新しい世界を知った者は迫害を受けることになるから、別の見え方ができるようになった視聴者あるいは読者は、この世に住みにくくなる可能性があるのだろうか。
 
そんなことはない。覚悟をきめて、老いに新たな価値を見いだしたら、それで勝ちなのではないだろうか。



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