母の日と別れ

2021年5月9日

「母の日」の発端をつくったアンナ・ジャービスは、その後、母の日が商業化されることに激しく抵抗したという。だが世間は、そんなアンナの声を抑えつけ、商業的母の日がはびこるようになってしまう。ただ、それなりに母への感謝というポリシーは、どこかにあるのは確かだった。
 
「クリスマス」もまた、商業のために繁栄したイベントとなったが、こちらは主目的が消滅するケースが多くなり、もはやそれは何の日だということすら知られない場合も少なくない、空しい事例である。
 
「母の日」に戻ろう。アンナが母を教会で慕ったのは、亡き母に対してだった。社会的な活動に貢献し、またきっとある種の憧れとして輝いていたからこそ、娘だけでなく教会の人々にも称えられたということなのではないかと想像する。まだ、当時はアメリカにおいても、女性に参政権がなかったはずである。
 
親を喪うというのは、子が何歳であるかには法則などない。時には子が先立つということもあり、これを親としてはいたく悲しむこととなる。内村鑑三や西田幾多郎など、宗教者、哲学者にしても、その痛みを抱えて人生や思想に大きな影響を及ぼすこともあったのだ。
 
親は子に、「順番、順番」というような言い方で、親が先に逝くことを悲しむな、という気持ちを伝えることがある。だが、悲しまないでいられるはずがない。かけがえのない人なのだ。
 
いつもそこにいるのが当たり前だったような親が、そこにはもういない、会いに行こうとしても会えない、その喪失感の悲しさ、酷い場面の立ち現れ、それはもちろん、確かにある。だが、それと共に、次はこの自分があのようにいなくなるのだ、という覚悟のようなものも、子の心の内には起こるものではないだろうか。
 
そして、いままだ母と会える人は、なにも深刻になる必要はないが、どうぞあたたかな時を分かり合うことができますように、と、祈りの思いをここにこめて伝えたいと思う。



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