クリスマスに福音を伝えているか

2020年12月22日

セールス電話はお断り。その手の電話だという雰囲気ながらも、一応その落ち着いた声の、Kと名のった女性に、何の御用かと尋ねると、「このコロナ禍で、聖書の教えが……」という言葉が。その瞬間、私は「ああ」と全部分かりました。
 
「エホバの証人さんですね」と切り出すと、分かってもらったとでも思ったか、相手は少し明るい声で、肯定しました。そこへ私は間髪を入れず「けっこうですから、もう電話しないでくださいね」と言って電話を終わりました。
 
お分かりでしょう。訪問ができないのです。このコロナ禍においては。
 
それでも、電話という手段を用いてでも、訪ねようとする。歩く訪問と比べると、手間が省ける反面、電話代がかかります。それでも、活動を惜しまず、新たな方法で活動を続けているわけです。
 
ご存じのとおり、エホバの証人は、クリスマスを祝いません。聖書にないからとそもそも認めないし、キリストそのものも特別感の薄い存在としています。クリスマスの時期に聖書の話をもちかけ、そして実は聖書にはクリスマスなどないのですよ、と迫るのは、ひとつの良い誘いであるように思われます。
 
話では、アメリカユタ州の本部などがロックダウンされたことがあり、得意の印刷物がストップしていた模様。電話もだが、インターネットを利用した伝道をしているようです。エホバの証人の訪問や、印刷物の投函はいくらもありますが、電話は初めてでした。相当に鍛えられた者が訪ねてくることが多いので、生半可な議論では太刀打ちできません。最近、エホバの証人の家庭に生まれた子が後に抜け出して、コミックを含みエッセイをよく出しています。
 
キリスト教関係者の中には、明らかに彼らを見下している人も見受けられますが、近年手渡すことを控えながらも駅前でパンフレットを立てかけてじっと一日中立っていることもありましたし、この電話勧誘の熱心さも感じますので、その精力的な活動については、それだけについてでも、一目置く必要はあろうかと思います。
 
だって私たちは、クリスマスというイベントを通じてでさえ、仲間内にしか伝え切れていないのではありませんか。――もちろん、それは私のことでもありますし、そうじゃない方もいますので、あまり強くは申し上げませんが。



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