孤独だからこそ

2020年11月12日

「一匹狼の会」
 
なんだか変ですね。自家撞着が起こっています。「会」をつくっちゃ、「一匹狼」ではなくなってしまうでしょう。
 
リルケが、孤独を知ることをさかんに「手紙」の中で勧めているのを見ました。詩人は、孤独になることが必要であるのだ、というのです。
 
孤独になるからこそ、自分の内から魂の声が聞こえてくる。その言葉こそが、世界の真実に響くものであり、多くの人を生かす言葉となっていく。そんなことをリルケは信じているように見受けられました。
 
孤独になるからこそ、つながることができる。なんだかそんなことを言っているようにも聞こえます。まさに「一匹狼の会」が成立するのだ、と。
 
論理的にこれは、つながることは孤独なのだ、と言うことはできません。逆は必ずしも真理ではないからです。しかし、つながるということの中には、孤独であるということが含まれてもよい、ということは言えます。
 
教会に、どのような気持ちで集っているでしょうか。孤独を感じなくなってうれしい、それもまたよいこと。けれどもまた、教会で孤独を感じるという人もいることでしょう。誰かと親しく話すこともなく、人間同士のつながりをちっとも実感できない、そんな人も少なからずいるのではないでしょうか。でも、それもまたよいことだと受け止める道が、ここに見えてくるような気がします。
 
依然として、人とのつながりは薄いかもしれません。確かに孤独である。でも、確かにつながっている。教会につながっている。そして何よりも、独りであるにしても、神の前に出ており、神との関係を確かに覚えながら、そこに立っている。立つということは、すでに歩き始める行動力を表現するのが、聖書の表現です。ただ立っていればいい。神の前にいればいい。
 
また、たとえ立ち上がれなかったとしても、神は共にいる、それを信じている。一匹狼ならぬ、一匹羊を、神は探し、抱え、握り締めてくださる。見た目であなたが孤独であるようでも、あなたはもう、ただの孤独ではなくなっていく。このことを喜びとして受け止めるためには、一度その孤独を通って行かなければならない、というあたりまで、私たちは言及してみたい思いです。



沈黙の声にもどります       トップページにもどります