戦争のエール

2020年10月17日

NHK朝の連続テレビ小説、通称朝ドラの「エール」。クリスチャンのはずが閻魔大王云々という無神経さに腹を立てて、しばらく遠ざかっていました。撮影も中止され、放送も初回からの再放送をしていたようですが、ようやく一カ月前から続きが放映されることとなりました。
 
場面は戦争に入ります。モデルの古関裕而氏については、戦争協力をしたという目で見られることもあり、事実協力したということは否定できないでしょうが、その責任ということについては、恐らく問うことは難しいと思われます。ドラマは史実とは違いますから、ご本人の自責の思いや苦悩などを簡単に推し量ることはできないとすべきでしょう。ここではドラマに描かれた古山裕一の姿だけを追うこととします。
 
ドラマが戦争の時代に入ることで、私は再び視聴することにしました。上記のような、戦争協力の様子の描き方に関心があったからです。福岡のほうでは「しよんなか」と言いますが、しばしば「仕方がない」で水に流して終わらせる私たちの風土の責任感とは、恐らく違うものを描いてくるだろうと予想したのです。
 
裕一は、素直で無邪気に、戦意昂揚のための曲作りを、よいこととして続けてきましたが、今週ついにインパール作戦の舞台に至りました。裕一はビルマのラングーンに慰問あるいは報道のために向かいます。インドのインパールを落とそうとする作戦は、最悪の作戦とも言われ、無惨な戦死を重ねたわけですが、裕一がここで経験したことは、朝ドラ史上類を見ない描かれ方となりました。
 
タイトルだけが画面にちらりと出ただけの始まり方で、私は「来たな」と思いました。これは悠長に主題歌を歌っている場合ではないということで、視聴する覚悟を決めました。恩師の藤堂先生(これは非実在のキャラクター)に会え、森山直太朗さんの美声で新曲も歌われることとなりました。が、直後、藤堂先生は戦死することとなります。その戦闘シーンの、なんとリアルなこと。ここまで描かなくても、まさか朝なのに、と思わせるほどの出来映えでした。
 
その翌日も、タイトルは画面に重ねて映されるだけでした。これも「来たか」と覚悟しました。この日は、キリスト信仰をもち戦争に反対をする、裕一の義妹の夫が拷問を(描写はソフトだとは思いますが)受けた後、その義妹が空襲で命を落とすところだった、という流れでした。そして傷心の裕一がビルマから日本に戻り、戦争の中で曲を作ってきた自分はいったい何者なのだと自問し続けます。そしていわゆる「終戦」を迎えるのでした。さらに週末においては、これまた主題歌なしの重い雰囲気を保ったまま進み、音楽を生み出せなくなった裕一を正面から映し出し、若者の死と向き合う場面が哀しく響きました。救いは、裕一の義母が焼け跡に歌う「うるわしの白百合」。情緒的なものを好む日本人に愛される讃美歌ですが、これは2節まで歌いきり、これまでのことを「ささやきぬ昔を」と走馬燈のように(?)画面に呼び出すというものでした。本当は、ささやいている対象は、キリストの復活であるのですが、裕一が戦後に、ある意味で復活することを象徴していたのかもしれません。
 
かの戦闘シーンは、もちろんスタッフは直接それを知る世代ではなかったことでしょう。描くのにも勇気が要るものだったし、よくよく調べたものだとは思います。また朝の爽やかさをウリにしてきた朝ドラにこのように描いてよいものか、という冒険でもあったことでしょう。しかし、これをしっかり描いたからこそ、戦後の「長崎の鐘」につながるものがあったというように物語を展開させたかったのかもしれないし、最終シーンであろう東京オリンピックを平和の祭典として締め括りたいのかもしれません。そのために、戦争とは何だったのか、戦争のもとで音楽に何ができたか、それでよかったのか、芸術とは戦争において何なのだろうか、などを真摯に問うことができるように備えられたのではないか、と考えてみたいような気もします。
 
これらの結論は、視聴者一人ひとりが考えるべきことです。画一的な結論を出すべきではないと考えます。
 
ただ、戦闘シーンはあれはあれでよいと思うのですが、よく特攻隊や爆弾三勇士のように、勇ましく散る美学のようなものを含ませた形で描くドラマや映画があります。右派の作家などは好んでそこをカッコよく描きたいだろうとは思いますが、さて戦争での戦死とは、そういうものだったと言えるのでしょうか。
 
私も戦争を直接は知りません。直接知るのは、放生会で傷痍軍人が座って物乞いをしていたのを見たくらいです。しかし、少し考えてみれば分かることはあります。東南アジアで戦う兵士にとり、何が敵であったか。病気と食糧不足が決定的ではなかったのでしょうか。
 
実際古関裕而氏のときにも、ペストすら流行していたとも聞きますし、マラリアなどの伝染病が拡がる可能性は、栄養も衛生も満足でない中で、それが皆無だとするほうが無理であろうと考えられます。食糧が十分供給されている情況も、想像しにくいものです。だからまた、現地の人里で強奪や殺人が行われていたということも否定しづらく、そうでなければこれは餓死が待っているものでしかなかったと考えざるをえなくなります。餓死と病死、これが戦死の多くのケースではなかったのでしょうか。これは単に私の想像だけでなく、研究者たちも、それらが半数を下ることはないと言っているように見受けられます。
 
戦闘死であっても、言葉は悪いですが犬死にのようなことが多かったことを予想するのは間違っているでしょうか。敵艦に体当たり、などという戦死は、ごくごく僅かな、選ばれたメンバーでしかなく、ドラマや映画でのカッコいい死に方ができるのは、超エリートのようなものだ、という捉え方のほうが、ありうべきものではないでしょうか。
 
根拠のない、無責任なことばかり申し上げております。むしろそうじゃないぞ、との訂正を受けたいと願います。適切な根拠や研究など、ご教示くだされば幸いです。
 
聖書もまた、戦争を盛んに描きます。首を切る、というあたりまでは旧約聖書でも記されており、遺体を動物が食するという描写もありました。さりげなく残酷なことが書かれているのが、十字架です。十字架刑の残酷さについては、見かけ以上にとんでもない事態が起こるということで、もし足を載せる横木などがなかったら、大変なものであろうと思われるのですが、いまはもうそこはストップしておくことにします。もし旧約聖書続編をお読みでしたら、聖書と名のつく文書の中でもとびきり残酷な描写と出会うことになります。続編は、プロテスタントの方々がもし全く読まないとすると、もったいないような記事ばかりです。古来芸術家などがどれほど多くのインスピレーションをそこから得ていたか、機会を見つけてお読みになればいいのに、と思います。
 
なお、古関裕而氏は、一般の社歌や校歌も多く手がけています。少し調べると、福岡の身近なところにも、ありました。東福岡高校の校歌や、香椎高校の校歌です。また、高宮小学校の校歌もそうだそうで。その作詞は西條八十。また、これら高校の校歌のほうは、作詞が火野葦平で、北九州の作家として名高いほか、「エール」では裕一とビルマに派遣されていた作家がそのモデルであるはずです。



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