緩むというよりも

2020年9月4日

文化施設。施設の係員二人に荷物をもたせて、議員さんだか役人さんだかそんな雰囲気の男性が入っていく。その人ひとりだけが、マスクをしていない。そして、入口の消毒液と消毒を促す表記には、見向きもしないで深々とした礼を職員から受けて、事務関係の奥へと入っていく。
 
まぁ、そんなものだろうなとは思いつつ、私は愚直に、爪の先まで手洗いや消毒をし、無意味と思しき場面でもマスクを着けて行動する。もちろん、そんなことは当たり前で、世の多くの人は、そうしているだろう。
 
確かに、商業施設の入口でも、一時と比べると消毒や体温測定に足を止める人が減ったように見受けられることがあるけれども、これは緩むというよりも、それとはまた少し違う現状を見たような気がした。
 
「牧師」が「先生」とちやほやされているうちに、何か勘違いをしているのではないかと思われるような人もいないわけではない。これは人間一般にありがちなことなのだろう、とは思っている。
 
そんな折、聖書の日課アプリが届けた今日の言葉が眩しかった。自分に対しても、突きつけたい。



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