秋の気配

2020年8月12日

いつの間にか、秋が始まっています。立秋は、先週。地球は、秋のゾーンに入りました。
 
しかし、太陽光度→地温→気温の順で最高値の時期が移っていくことが、小学校の理科で教えられるとおりに、夏至を遥か過ぎてなお、気温は上がりかねない情況。その中で、古代の人は、暦というものを考えることで、ちゃんと秋に入ることを感知していました。しかも、それを自然の微妙な変化から、感覚でも知ることをしていたということに、改めて驚くばかりです。
 
秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる (藤原敏行朝臣)
 
秋の気配――オフコースの名曲は「ぼくがあなたから離れてゆく」という歌詞で、衝撃を私に与えました。このタイトルも、昔からきっと多くの人が感じていたことでしょうが、この歌では「厭き」をイメージさせるものと感じてよいだろうと思います。自分の心変わり、但し浮気というのではない、ただなんとなく心が離れていくという自分の気持ちに気づいた様子が描かれているわけです。
 
夏の暑さの中で燃え上がった恋が、秋の季節に冷えていく。秋はしばしば別れの季節となるのです。この寒さを、温もりを分かち合える関係となりえなかったカップルの切なさが、この季節に漂っています。
 
教会生活にも少し似たものがあるかもしれません。信じたとき、世界がすっかり変わって見えた。あの喜びの中で、救いを確信し、傍から見ればそこまでできるの、と思われるほどの奉仕に燃え、弾けていたような人が、ふっと冷めていく。これでいいのか、これが自分の道なのか、ほんとうに? バーン・アウトという言葉もありますが、職務上燃え尽きていく医療従事者のことも話題になるほか、信仰生活にもありうるのは確かでしょう。
 
教会というところは、一般的に、慣れさえすれば、居心地の悪いものではありません。比較的信頼の置ける人に囲まれ、いろいろ誉めてももらえるし、意地悪なことを言ってこないばかりか、そう思うことさえ罪だなどと言われる中では、寛容に扱われるのが普通でしょう。とくに新しく教会に加わった人は大切にする場合が多く、心地よく思えるという人は少なくないことでしょう。「先生」と呼ばれる仕事が、しばしばそのように称されます。居心地の良さに辞められない、などとも言いますが、学校の教諭は近年こきつかわれブラック呼ばわりされている中、教会はそう搾取するような扱いはしないものと思われ、何かしら弱さを抱えている人も大切な存在だと認めてくれるとなると、信仰心などなくても、居座ってしまうというケースも少なからずあるものでしょう。
 
自己肯定感はひとには大切なものです。それがないと、立ち上がり歩いていくことができなくなる場合があります。けれども、それが過剰になっていくことも問題です。この自分を認めないのは何故だ、という辺りに始まり、やがて、自分をそのまま認めないのはけしからん、と怒り始めることもあります。こうなると、ファリサイ派のようなもので、福音書のファリサイ派や祭司たちもそのような心理からイエスの命を狙うような動きをしたのではないか、とも考えられます。
 
いまのままではいけない、と自己批判が強すぎるのもよくありませんが、いまのままですっかりよいのだ、と暴走するのはもっと悪質です。他人を虐げにかかるからです。教会生活が長くなると、聖書への信仰というところではなく、自分が政治や社会問題に対して懐く考えも絶対に正しい、と譲らなくなる人が現れます。勘違いをしているのです。罪なる存在をイエス・キリストが無罪だとしてくれたというところに信頼を置くところまでが私たちの弁えておくべきことなのであって、私たちの考え方が直ちに文句なく正しいものと認められたということではないのです。
 
しかしまた、ステレオタイプのように、ファリサイ派はイエスと敵として対立していた、と決めつける必要もありません。福音書の中にも、イエスと親しく食事をしていたファリサイ派の人や、イエスの弟子になろうと近づいてくる人も描かれています。素直にイエスに教えを求めて頭を下げていたファリサイ派の人もいたわけです。
 
気温はまだしばらく上昇していきますが、太陽光度は秋の段階に入っていきます。日は傾いていくばかりです。イスラエル民族を圧迫した大帝国もやがては滅び、長続きはしませんでした。キリスト教を国教としたローマ帝国もやがて消滅しました。けれども、イスラエル民族に与えられた希望の言葉は、今日まで途切れることはなく、消えてしまうことはありませんでした。確実に秋へと季節が変化していくように、神の刻む時も変わっていくことでしょう。私たちは、この秋に「厭きる」ところに落ち込んでいくのではなく、神の恵みに「飽きる」ほどに満ちあふれているという思いに浸り続けていたいものだと願います。



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