沖縄を思う

2020年6月23日

沖縄の人々が心の安らぎにしているのであれば、とやかく言うべきではありませんが、私は個人的に「慰霊の日」というこの日に対して、すんなり向き合えません。一種の傍観者であり、沖縄から見れば敵であるに等しい地にいる者が、切なる祈りを捧げる人に向けて傷つけることを発することの無理解さに対してお叱りを受けて当然だと考えております。でも私の中の気持ちを打ち明けることを、少しだけお許し下されば幸いです。
 
6月23日という日を定めてひとつの区切りにしているわけですが、この日は沖縄で戦闘が終わった日でもないし、ヤマトの軍人が自決しただけの日であるために、「ああ、この日こそ」という気持ちにはなれないのです。ヤマトの側にいる私がそんなことを言っても、殆ど無意味であるかもしれないことを覚悟の上で、でも心情としてそれは本当のことなので零します。
 
それは、8月15日という日についても同様です。正式な調印はまだですが、14日にポツダム宣言を受諾し戦争を終えたという点は認識できるのですが、15日はたんに天皇の声を放送しただけの日であり、決して終戦ではありませんし、まして敗戦などではありません。戦後まもなくは誰も15日などに重きを置いていなかったのが、後に政府のキャンペーンで15日こそが終戦であるかのように宣伝され、それに一律従ってしまっただけの話です。いまなお、戦争に物申す方々までが、まんまとそれに乗っかっているのを見ると、この呪縛の恐ろしさを覚えます。
 
戻りますが、30年前の沖縄のこの記念の日の直前に、私は初めて沖縄を訪れました。新婚旅行で戦跡を訪ねるというのはどうかしていますが、行きたかったのです。当時は沖縄の出版物など福岡には殆ど出回っていなかったと思われ、見かけたことがなかったので、現地で何冊か本を買い求めました。
 
75年という節目になりうる今年、新型コロナウイルス感染症の影響で、大きな集会ができないというのは辛いものがあることでしょう。テレビ放送も限られていることでしょうから、きっとネット中継やリモート参加などの手段が取られていることでしょう。
 
この日の定め方については意見がありますが、傷ついた人々とその思いについては何も申し上げることはありません。寄り添おうにも、あまりの酷さに、かける言葉もありませんし、何をしても偽善者にしかなれないように思います。いまなお沖縄を傷つけ続けている政治の状況は、たんに政府だけが問題なのではなく、その政治を選んだ私たちのせいであるとしなければなりません。私たちは政府の悪口を言うことで、自分が正義であるかのように錯覚しますし、またそれを求めて悪口を言っているばかりなのですが、何かを非難したり揶揄したり馬鹿にしたりすることで、自分が何ものかになるのではないでしょう。むしろ、私たちもその加害に加担しているのだという意識を忘れた、自己義認というものは実に恐ろしいものになり得ます。
 
地道に活動をして支えている人々に敬服します。眺めているだけでは何にもならないわけで、行動として沖縄を援けている方々や組織にはただ頭を下げるばかりです。私たちは、祈ることしかできませんが、祈ることはできます。その中から、何かが見えてくる・聞こえてくることを待つ時を過ごします。すみません。



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