ブルーインパルス

2020年6月1日

東京に住む息子が、ステイホームの窓から、ブルーインパルスの飛行を見ました。すぐに撮影して、離れて住む母親に送りました。母親はひじょうに慰められました。看護師をしていたからです。
 
5月29日、東京上空をブルーインパルス(航空自衛隊アクロバットチーム)が展示飛行をしたとのことです。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)と闘う医療従事者などに対する経緯や感謝を示すためであると報じられています。新型コロナウイルスの患者を直接扱う医療従事者はほんとうに大変ですが、直接接触がなくても、そうした患者がくるかもしれないとの態勢で構える町の小さな医院も、絶えざる緊張の中で連日業務を行っています。そしてその関連で患者が激減し、経営にも支障が出て来ているのが実情です。
 
確かに、直接感染症患者と共にいる医療従事者の場合、飛行機を飛ばすくらいならば、マスクや防護服をくれ、と叫びたい方もあるだろうと思います。けれどもまた、かの航空ショーに好意的な医療従事者もまた、数多くいることは確かです。
 
いつも政府や中央の動きに文句を言いたいタイプの方がいます。今回も、このブルーインパルス飛行については、非難の声をSNSにぶつけている人がたくさんいます。感情で何でも吐くというタイプのものなら、まだその程度かと思うのですが、じっくり考えてた落ち着いた良識のように述べる中にも、少なくありません。
 
・費用がかかっている。その分を医療補助に使うべきだ。
・東京上空の飛行は危険だ。事故が起こったらどうするのだ。
・政治宣伝だ(と思う)。
 
およそ、こうした点で正義の鉄拳を揮っているように見えます。でも、それでよいでしょうか。比較するのは失礼であると非難されることを覚悟の上で例示します。熊本地震の後、熊本城を再建するためのプロジェクトが立ち上がり、進行しています。上の意見を述べた方は、城の修理はするな、その費用を被災者のために使うべきだ、という意見を表明したのでしょうか。城の工事は危険が伴う、事故が起こったらどうするのだ、と主張したのでしょうか。熊本の首長の政治宣伝だと批判したのでしょうか。
 
確かに、費用がかかる問題でした。その寄付を市民に募るなどもしました。反対者もいたと思います。けれども熊本城という、市民の心の支え、あるいはシンボルについて、なんとかまた美しい姿を見せてほしい、それを見上げて一人ひとりが励まされるのだから、という思いは概ね支持されているのではないかと感じます。
 
医療従事者に対する理解は、今回いくらか進み始めただろうとは思います。現実に身近に医療従事者がいた場合、差別や偏見は渦巻いています。しかしだからこそ、理解をしてもらいたいという声も挙がっていますし、それで定刻に拍手を贈るなどという運動も、世界的に始まっています。日本でも、それはあります。また、「Make It Blue」などの合い言葉によるキャンペーンが起こり、全国各地の建物や施設がプルーでライトアップされることもなされています。青は、運動の発祥地イギリスの国民保健サービスのシンボルカラーなのだそうです。ピンクリボンや黄色いハンカチなど、何らかの色で皆があることを思い浮かべるというようなシンボル効果は自然な動きであろうかと思われます。ブルーインパルスも、この青ということで、何かできることを示したとは言えないでしょうか。
 
医療従事者に対するリスペクトをもった人々も、自分の力で何をすればよいのか、分かりません。そうした人々は、何かしたい、という思いに駆られるのです。基本的にすることはあります。StayHomeです。自分の不埒な行動で医療機関をパンクさせるようなことに加担するのを避けるのです。しかし、それだけでもない。何かできることはないか。マスクをつくる人たちもいます。聴覚障害者のために透明な部分をもつマスクを作った生徒たちのニュースも漏れ聞きます。コンサート活動ができない音楽家たちは、リモートで医療従事者を支援する歌を披露することもありました。ポップスやクラシックすべてにわたり、いまその動きが目立っています。すばらしい音楽を私たちは無料で聞くことができますが、医療従事者もそれを聞く機会があると、励まされることがあるかと思います。
 
しかし、ブルーインパルスが何の意味があるのだ、と思う人がもしかするといるかもしれません。彼らは彼らなりに、できることはこれだ、と思ったのだと私は解したいと思うのですが、音楽のような意味があるのでしょうか。私はあると思います。医療の現場に、多くの人が気づき、思いを馳せてくれるきっかけになります。こうしていろいろな人が、拍手もあり、曲芸飛行もあり、医療従事者のことを思っている、そうした関心を呼ぶことに影響することはありうるでしょう。現にこのように報道もされたのですし、現場で見た人々はなおさら、へえと見上げたのだろうと思います。東京オリンピックのときにも、国立競技場上空をそのようにブルーインパルスが飛んだのだそうです。アピールの力はきっとあると言えるでしょう。
 
でも危険じゃないか。それはそれで、また別の議論としてよいのではないでしょうか。頭から、そんなことは意味がない、というような言い方で否定するのでなく、気持ちは受け容れるが、東京湾のほうですればよかったのではないか、というような議論にもっていけば生産的になるのではないかと思うのです。
 
批判はしてよろしいかと思います。しかし、ただの非難は慎んで戴けたらと願います。逆に尋ねますが、医療従事者に対するリスペクトをするというのが、ブルーインパルスの飛行であったというのが一応の粗筋であるとすると、これを非難した方々は、医療従事者に対してリスペクトをしていたのでしょうか。正義のようにこれを一蹴していた方々は、その非難をしていたとき、医療従事者がどういう思いでこの飛行を見ていたか、ということに、少しでも思いを馳せていたでしょうか。私は、そのような配慮と気持ちが伝わるような非難は、殆ど見たことがないのです。
 
医療に関心をもってくれたらいい、そうした思いは伝わってくる、とあの飛行を見上げていた医療従事者もまた、存在します。拍手されても実際的な助けには何にもならないかもしれないけれども、医療のことを考えてくれるなら、それを多くの人に考えてもらうように知らせることができるならば、それはありがたいことだ、と思う人も、確かにいるのです。
 
むしろ、自分たちを応援してくれている動きを一刀両断に非難するような人たちのほうが、医療従事者にとっては無理解な厄介な人たちだ、と悲しまれているという可能性を、感じたことはないでしょうか。
 
応援されて、そんなに悪い気にはならないものです。NHKの連続テレビ小説も、収録が進まず休止するのだそうですが、そのタイトルは「エール」。元来の英語の意味とは違う日本的な意味なのだそうですが、自分に対して贈られるエールに励まされるというのは、ある意味で普通の感情であろうかと思います。もちろん、必死の現場にいる方々にどれだけ助けになるか、難しい問題はありますが、必要なのは、互いに応援する思いであってもよいのではないでしょうか。無責任に安易に密集し、感染を増やすことほど、医療従事者を困窮させる行為はありません。そうしないことが、立派な応援になると思います。そして、カリカリして自分の正義を人に押しつけるのではなくて、まず自分が正義を実践することから始め、また思いやりをもって、人の心を少し想像することも忘れないで戴きたいと思うのです。
 
私も気づかないことが多々ありますが、医療従事者がいまどういうふうに思うか、困窮のフリーランスの方がどういう思いか、事業経営者が窮地に追い込まれていてどう今日明日を考えているか、介護の必要な方々がどんなに危険な状態に置かれているか、いわば何らかの意味で「低い」位置にいる方々の視線を尊重する、それがイエス・キリストのなさっていたことではないかとも感じます。給料が減る心配もなく感染危険も少ないような「高い」位置にいる人々が、人の心を忘れた非難によりその正義を振り回すようなことがありませんように。新約聖書をよくお読みの方は、きっと真意が分かってくださると信じております。



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