気づきたい3つのポイント

2020年5月8日

1 よく知りもしないことを、知っているかのように堂々と公言すること。これは、真実でない可能性が高いのと、他人に嘘を教えその嘘を拡散させるリスクを伴うことで、他人に危害を与える危険性を多くもちます。いわゆる「デマ」の例を挙げれば、この危険性についてお分かり戴けようかと思います。
 
2 よく分からないからと言って、事態から距離を置いて、自分には責任がないのだという態度をとること。確かにこれはデマのような危害を積極的に加えることはしませんが、誤解や偏見だと分かっていてもそれを放置するとなると、消極的ながら危害を増大させていくことに加担することになります。いわゆる「見て見ぬふりをする」態度と理解できます。
 
3 それで、確かなことに基づきながら、あるいは危険につながる暴走を止めるべく発言したとしても、口先だけで実際に何か行動をとりはしないこと。結局、発言自体が無視されることにそれ以上のはたらきを持ちえないことになり、無力で実際の助けにはならないという点で、何の良い結果をももたらすことができません。
 
せめて「1」を避け、「2」とならないように貢献したいというのが精一杯のところで、私は「3」については何もできていません。いや、何ができているかという点でいい気になっていることが最大の危険でもあるわけですが、今は一度それを棚に上げて続けます。
 
これらの避けねばならないポイントについては、いわゆるクリスチャンが皆善良である、などとは決して言えません。特に「1」は、社会的影響力を与える「立派な」クリスチャンでも、平気で犯し続けているのが実情であり、信仰云々に関係なく、これらの危険を振りまいているのが現状です。
 
こうしたことが追い詰めている人のことを、精一杯の想像力をもって思い、祈ることしかできないのが、「3」を突き破ることになればいい、という辺りが、さし当たりいまできることではあります。言い訳にしかならないかとは思いますが、それでも何かの問いかけになればいいかもしれない、と願いつつ。



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